12:死の森-前編-


 新たな目的地を目指して、俺たちは馬車を手配してもらい、移動していた。

 顔を隠しているとはいえ、他人と関わることに不安はあったのだが。馬車を運転する御者ぎょしゃは、金さえ払えば訳ありの客でも乗せてくれるらしい。

 狭い馬車の中に五人は、なかなかに窮屈きゅうくつだった。それでも、徒歩で行けば丸一日以上はかかるというので仕方がない。


 死の森は、フェリエール王国の南に位置する場所にあった。

 到着した先で金を支払うと、愛想のない御者は元来た道をさっさと引き返していく。


「帰りの馬車はどうするんですか?」


「ああ、心配すんな。この呼び鈴を使えばどこにでも呼び出すことができるんだよ」


 そう言ってギルドールが見せてくれたのは、小さな金色の鈴だった。

 キーホルダーのようにも見えるのだが、恐らくそれにも魔法がかけられているということなのだろう。


「つーか、クソ暑いな……南に来ただけでこんなに変わんのかよ」


 グレイの言う通り、馬車を下りた途端に、肌に感じる気温は明らかに変わっていた。

 訪れたことはないのだが、そこはまるで砂漠を彷彿ほうふつとさせる灼熱しゃくねつだ。水分を多めに持参する必要があると言っていたが、こういうことだったのかと納得する。

 各自で水筒を何本も持参しているのだが、重さを感じることはない。これも水筒に魔法がかけられているためで、魔法とは本当に便利なものだと思う。


「みんな、しっかり水分補給するように。少しでも具合が悪くなったら無理はしないで、引き返すことも頭に入れるんだぞ」


「そういうアンタも、薬草探しに夢中になりすぎて倒れたりしないでよね」


「ああ、わかってる。心配してくれてありがとうな、シア」


「し、心配したわけじゃないわよ……! アタシはただ、珍しいものも見つけられずに無駄足踏みたくないだけ!」


 そんな風に言ってはいるが、俺の身を案じてくれているのが伝わってくる。

 とはいえ、既に弱音を吐きたくなるような暑さだ。気を引き締めて、俺は目的地へと顔を向ける。

 周囲は本当に砂漠のようで、一帯が砂地になっている。

 だというのに、目の前にはそこだけが別の空間であるかのごとく、森が広がっているのだ。

 だが、生えている木々は生命力を感じさせるものではない。黒々としていて、木の幹も葉もまるで炭のようなのだ。

 死の森。まさにその名前が相応しい見た目をしていた。


「それじゃあ、行くぞ」


 俺の言葉を合図に、森の中へと足を踏み入れていく。

 森の外とは違って木陰こかげになっているので、マシかと思ったがそんなことはない。

 外では直射日光がジリジリと肌を焼いたが、森の中は湿度が高いらしい。日陰でも蒸し暑く、滲み出す汗が止まらない。

 大量の水分を持ってきているとはいえ、あまり長居できる場所でないことは、誰もが理解していた。


 まだ明るい時間帯だというのに、周囲は薄暗く時間の感覚が狂いそうになる。

 生えている木がどれも真っ黒なので、余計にそんな風に感じてしまうのかもしれない。


「ヨルさん、大丈夫ですか? 毛がありますし、私たちよりも暑いのではないでしょうか」


「猫の祖先は暑い場所に生息してたっていうから、暑さには強いらしいけど。湿度には弱いから結構きついかもな」


「ミャウ……」


 水筒は魔法で冷たい状態が維持されているので、それを時々ヨルの身体に当ててやる。

 冷たさが心地よいらしく、俺の肩の上でヨルは水筒に擦り寄っていた。地面は熱すぎて肉球を火傷してしまうので、歩かせることはできない。


「薬草っぽいモンは見当たらねえっスね、見たことねえ草は生えてたりすっけど」


「珍しい草もあるけど、アタシの趣味じゃないわ。本当にここに、その伝説の薬草ってやつがあるのかしら?」


「誰も見たことがない、って意味じゃあ最適な場でもあるとは思うけどな」


 見逃しが無いよう五人で視線を巡らせているので、気がつかずに通り過ぎてしまっているということはないだろう。

 それにしても、薬草らしいものは見当たらない。時々珍しい草はあるのだが、万病に効くとは思えないようなものばかりだ。


「……あれ、紐は?」


「え? 店長に言われた通り、ちゃんと結んでますけど……って、え?」


「紐、無くなっているような気がするのですが」


 薬草を探すことにばかり集中していた俺たちだが、ふと後ろを振り返って、違和感を覚える。

 フェリエール王国の領土内にある森なので、ここで腕輪を使うことはできない。万が一この森の中で迷子になってしまえば、文字通り命の危険が伴うだろう。

 だからこそ、俺たちは木に白い紐を結び付けて、通ってきた道がわかるように歩いてきたのだが。どういうわけか、その紐が無くなっているのである。


「……! まさか……」


 俺は思い立って、目の前にある木の枝に手持ちの紐を結んでみた。

 すると、しばらくしてその紐に火がついたかと思うと、燃え尽きて灰になってしまったのだ。


「この森……気候が原因なのかと思ってたけど、この木自体が熱を放ってるんだ」


 元々が黒い色をした種類の木なのかと思っていたが、炭化して燃え続けている状態なのかもしれない。

 これでは、紐を結び付けたところで目印の役割を果たすわけがなかった。


「これじゃあ、通ってきた道がわからないじゃない……!」


「入り口から結構歩いてきましたしね。もう少し早くに気がつけたら良かったんですが」


 目印があるという安心感から、俺たちは道なき道を不規則な動きで進んできた。

 単純に真っ直ぐ引き返せば、元来た道を辿れるというわけではない。

 死の森だといわれるほどの場所なのだ。もっと考えて慎重に進むべきだったと悔やんでも、既に遅い。


 休憩を挟みつつ水分を補給してはいたが、最初に限界が来たのはシアだった。体格や体力差などもあるのだろう、足元がふらついているのがわかる。

 大人だって経験したことのないような暑さなのだ、無理もない。


「シア、背負ってやるから来い」


「平気よ、このくらいどうってことないわ」


「いいから。少しでも体力を温存すべきだ、お前さんに倒れられたら全員が困るんだよ」


 始めは強がっていたものの、ギルドールの強い言葉に、それ以上反論することを諦めた。

 シアを軽々と背負ったギルドールは、顎に伝う汗を肩で拭う。


「ギルドールさん、シアは引き返した方が良くないですか? これ以上は危険だと」


「いや、道がわからなくなった以上、分かれて引き返す方が危険だろう。結構歩いてきたし、少なくとも森の半分は抜けてるはずだ。全員でいる方がいい」


 どうするのが正しいかはわからないが、俺はこの場で最年長の、ギルドールの言葉に素直に従うことにする。

 歩き続けても同じ景色が続くばかりで、どこまで行けば出口に辿り着けるのかも想像がつかない。

 ヨルも舌を出して暑さを逃がそうとしているが、水筒で冷やしてやれる範囲にも限界がある。

 コシュカとグレイもまた、言葉にはしないが前に進むのがやっとの状態なのだろう。それは、俺自身もまた同じだった。


「……水、もっと持ってくりゃ良かったっスね」


「私の方も、無くなりました」


「ギルドールさん、あの鈴で馬車を呼ぶことはできないんですか?」


「さすがにこの森の中にまでは来ちゃくれねえな、御者だって自分の命は惜しいだろうよ」


 そんな話をしているうちに、とうとう全員の水筒の中身が底をついてしまう。

 噴き出す汗は止まらないし、進むほどに暑さが増しているような気さえする。

 このままではマズイ。やはり引き返すべきだったのではないか、そう思った時だった。


「……猫?」


 暑さにやられて、遂に幻覚まで見え始めてしまったのかと思った。

 けれど、俺たちの目の前には、真っ赤な毛並みをした複数匹の猫がいる。

 その猫たちは暑さをものともしていないどころか、口から火を噴き出していたのだ。


「……火炎猫フレイムキャット


 俺たちの姿を見ても、威嚇をしたり攻撃をしてくる様子はなかった。

 攻撃性がないのは、そもそもこの森の中に人間が立ち入ることがないからなのだろうか?

 こんな場所でも猫がいるかもしれない。そう思って持ってきていたマタタビ饅頭を与えると、火炎猫フレイムキャットは物珍しそうにそれを口にする。

 恐らく、この環境ではマタタビ草が自生することはないのだろう。


「ニャオ」


 やがてマタタビ饅頭を食べ終えた火炎猫フレイムキャットは、ひと声鳴いて森のさらに奥へと歩みを進めていく。

 かと思えば足を止めて、何かを訴えるようにこちらを振り向くのだ。


「……もしかして、俺たちのことを呼んでる?」


「ヨウさん、行ってみますか?」


「ああ、そうだな」


 他に当てもないのだ。火炎猫フレイムキャットが何かを伝えようとしているというのなら、それを確かめに行くのも悪くない。

 額から伝う汗が目に入って痛むが、火炎猫フレイムキャットを見失わないよう、重たい足を懸命に前へと進めていく。

 しばらく進んでいくと、突然広々とした明るい場所に出た。

 目の前には、大きな湖が見える。それだけではない。森の中にいた時と比べても、明らかに気温が低いのだ。


「涼しい……」


「店長、この水飲めそうっスよ」


 暑さから解放されたことで、思わずその場に座り込んでしまう。一方で、湖の方へ歩いていったグレイは、その水が飲料水として使えそうなことを確かめてくれた。


「ニャウ」


「俺たちを連れてきてくれたのか……ありがとな」


 傍へ寄ってくる火炎猫フレイムキャットの頭を撫でると、俺は礼を口にする。

 火を噴くほどなので火傷でもするかと思ったのだが、火炎猫フレイムキャットの身体は、あの木のように熱を発しているわけではないようだ。

 普通の猫よりも少しだけ高めの体温が、てのひら越しに伝わってきた。


 湖で水分補給をしながら、その場で涼んでいると体力が回復していくのがわかる。

 グッタリとしていたシアも、三十分も休めばすっかり元気になったようだ。今はコシュカと共に、何匹かの火炎猫フレイムキャットと戯れている。


 こうして俺たちは、火炎猫フレイムキャットの導きによって、窮地きゅうちを脱することができたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る