第18話
何事もなかったかのように駅を出た吹雪は、重たい足取りで帰宅していた。
思っていたよりもわき腹の傷が深く、手で傷口を塞いでも出血は止まらなかった。
取り返しのつかない怪我を負ってしまい、後悔の念に駆られる。
明日は天海家に赴き、面接を受けなければならない重要な日でもある。
明日までに傷を何とかする必要があったが、吹雪に治癒術は扱えなかった。
治癒術を扱える知り合いもいなければ、病院に通う金もなかった。
日常生活に支障が出かねない傷のため、早めの応急処置が必要だ。
いかに仲間が大切な存在なのか身に染みるが、文句を言える状況でもなかった。
今回の怪我は完全に自分の落ち度であり、自身で何とかする必要があった。
傷口が熱を持ったように熱い。体を動かす度に血が滲み、痛覚を刺激した。
神経を焼き切るような痛みに耐えながら歩いていると、自宅が見えてきた。
何とか帰宅することができた吹雪は、室内に入ると同時に上着を脱いだ。
傷口を確認すると、パックリと皮膚が斬り裂かれていた。
大きな傷口から肋骨が剥き出しになり、肝臓が損傷していることが窺えた。
さすがに肝臓の治療はできないが、出血を止めたり、傷口を塞ぐ応急処置は自分で可能なため、吹雪は裁縫道具とライターを引き出しから取り出した。
「はぁはぁ……」
随分と無理をしていたのか、自然と呼吸が荒くなる。
吹雪はベッドに座り込むとライターの火を点け、傷口を炙っていく。
室内に肉の焦げた匂いが充満するが、気にせずに傷口を焼いていく。
「ぐぅぅ……はぁはぁ……」
凄まじい激痛が襲い掛かるが、歯を食いしばりながら耐えていく。
まずは出血を止める必要があった。かなり荒治療になるが、効果は覿面だった。
しばらくライターで炙っていると出血が止まり、血が固まっていくのが分かった。
異世界でも頻繁に怪我をしていたため、慣れた手付きで応急措置を施していく。
出血が止まるのを確認してから裁縫道具を取り出し、傷口を縫い合わせていく。
かなり雑な治療だったが、何もしないよりはましだと思った。
痛みが引くことはなかったが、明日の面接に間に合えばそれで良かった。
疲れが溜まっていた吹雪はベッドに横になると、気付いたら眠っていた。
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吹雪が応急処置を終え、眠っている頃。
学院の教室には生徒たちが集まり始めていた。
クラスメイトから緊急の呼び出しを受けたのが、つい先ほどのこと。
クラスメイトの慌て様から何かトラブルがあったと、土御門瑠衣は察した。
天気予報では晴れのはずだったが、学院に近付くにつれ天候が荒れていた。
台風が通過しているような天候に、グラウンドが氷漬けになっていた。
明らかに大規模な戦闘が行われた跡だった。関係者以外立ち入り禁止になっていたが、生徒たちは自由に学院を出入りできた。
嫌な予感がした瑠衣は慌てて教室の扉を開けた。
「瑠衣。遅せーよ!お前で最後だぞ」
「誠一、ごめんなさい。鍛錬を行ってたから遅くなっちゃった」
教室に到着した瑠衣を咎めたのは、
土御門家、秋月家、滋岡家の三家は陰陽師を生業とする一族である。
三家は昔から交流があり、瑠衣と吹雪と誠一の三人は幼馴染になる。
瑠衣は黒髪を肩まで伸ばした少女であり、琥珀色の大きな瞳が印象的だった。
モデルようなスラリとした体躯に学院の制服が良く似合っていた。
紺色のブレザーに、タータンチェック柄のミニスカート。
生徒たちに好評の制服は瑠衣の体のラインを際立たせていた。
一方、誠一は黒髪の短髪が似合う爽やかな少年であった。
クラスの中心的人物でもあり、女子に人気のある生徒の一人であった。
身長が高く、鍛え抜かれた肉体に紺色のブレザーが良く似合っていた。
勉強だけではなく、呪術の扱いもうまく、常に成績上位を維持している優等生だ。
瑠衣と誠一はライバル関係にあり、常に成績を競い合っている仲でもある。
「それよりもグラウンドが氷漬けになってたけど……なにがあったの?」
「吹雪の仕業だって聞いたぞ……」
「吹雪がっ!?そんなまさか……」
「海鈴先輩と戦ったらしいぜ。目撃者が何人もいる」
「あの海鈴先輩と……?」
「ああ、間違いないらしいぜ」
芦屋海鈴は二年生でありながら次期生徒会長と噂される優秀な生徒の一人だ。
小柄な体躯からは想像もできない怪力の持ち主で、戦闘能力は二年生の中で随一。
その上、格の高い式神である九尾弧と契約したことで有名な人だった。
一年生からしたら憧れの先輩であり、雲の上の存在でもあった。
「海鈴先輩と吹雪がどうして?何があったの?」
「復讐だよ。きっとそうだ。僕たちが吹雪をいじめていたから……」
瑠衣の問いに答えたのは、
小柄な体躯に黒縁眼鏡が印象的な生徒で、吹雪に対して異常なほど怯えていた。
成績上位を維持している真面目な生徒であり、クラスの委員長を務めている。
治癒術の扱いに長け、後方支援が得意な徹は教師からの評価も高い。
吹雪にきつく当たっていたため、後悔しているようだった。
「復讐?何があったのか、一から説明して」
「僕は見たんだ。吹雪の奴が充の首を斬り落とした所を。止めようとした海鈴先輩まで瀕死の重傷にまで追い込み、仁と万次郎まで殺害していった。復讐以外あり得ないよ。きっと僕たちのことを恨んでいるに違いないよ」
徹の怯え様は尋常ではなかったが、クラスメイトが殺害された現場を見ていたらしく仕方のないことであった。徹だけではなく、何人かの生徒も怯えていた。
自分たちの行いを後悔している者、俯きながら拳を握り締めている者、クラスメイトの反応は様々であった。
「確かに俺たちが吹雪に行ったことは許されることじゃねー。だが、殺害するのはやり過ぎだっての!!吹雪の奴、もうなりふり構っていられない状況なのかもな。本気で俺たちとやり合うつもりなのかもしれない」
「どうするんだよ!?吹雪と戦うの?僕はごめんだね。海鈴先輩が手も足も出せなかったんだ。僕たちでどうこうできる問題ではないよ」
「ならこのまま黙って殺されるのか?吹雪の奴は本気だ。本気で俺たちに復讐しようとしている」
誠一と徹が言い争う。瑠衣は二人が言い争うのを黙って見詰めていた。
二人の会話に割って入る余地がなかったこともあるが、それよりも吹雪のことが気掛かりだったのだ。瑠衣が吹雪の住んでいるアパートに向かったのは昨日のこと。
初めは謝罪すれば許して貰えるかもしれないという淡い期待を抱いていた。
だが、会うことも話し合うことも拒絶され、和解は不可能だと悟った。
このままでは吹雪が遠い存在になってしまう。
念のために自身の気持ちを綴った手紙をアパートの扉の隙間に置いておいたが、手紙は読んで貰えなかった可能性が高かった。
瑠衣は自身を責め続け、後悔の日々を送っていた。
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