第三章

 1  手紙に書かれた真相


 綾乃は、昼過ぎには加賀町署に戻ることが出来た。

上司である刑事課長に現状報告をすると、久しぶりに班員と合流した。

「古畑巡査部長、昼食を取りながらでいいかしら?朝から何も食べてなくて…」

「もちろんです。遠慮なさらずに・・・」

「ありがとう。古畑巡査部長」

制服組と違って、私服組は何処でも食事を取れる環境にあるのだが、時間がそれを許さないのだ。綾乃と、古畑は、狭い食堂の中での現状報告会議となった。

「私は、まだ湘南警察との合同捜査に時間を取られそうなのだけれど、古畑巡査部長の方はどうかしら?」

「今のところ、大きな事案も起きていませんので、警部補は、専従でやられて結構ですから・・・。どうぞ、ご心配なく」

「そう、恩に着るわね」しばらくは、班員に気兼ねなく捜査に打ち込めそうである。これには、感謝しかなかった。


「ところで、外ヶ浜警察から何か届いていなかったかしら?」

「たしか、郵便物が届いていたような気がしますが・・・」

「良かった!」

「それほど、重要なものなのですか?・・・」

「そうなの、今回の事件の鍵を解く何かが、書かれている可能性もあるの…」

綾乃が食堂から戻り、机の上に置いてあった差し出し人、外ヶ浜警察扱いのビニール袋に包まれた郵便物を開封したところ、確かに手紙が入っており勝野純也の署名が確認できた。



 勝野純也の手紙には、こう書かれていた。


『  拝啓  成宮刑事殿


  慣れない手紙です。失礼をお許し下さい。

 成宮刑事が私を追って、この私の生まれた今別まで来られたことを、兄の秀一から聞かされました。その際、あなたは私の身を随分心配してくれていたこともです。

成宮刑事には、感謝しかありません。今回、私が取った行動は、そのことと無関係ではないのです。成宮刑事は、事件の真実を知るために来たそうですね。当初私は真実を語ることなくこの世を去るつもりでいたのですが、手紙にある程度の事実を残すことで、あなたに許してもらえたならと思うのです。


 私と結婚の約束をした小百合が半年ほど前に病気で亡くなったことは、兄貴から

聞かされたと思いますが、絶望の淵にあった私が考えたのは、小百合のあとを追うことでした。私達は、もう充分二人での人生を生きたと言えるのですから。

そもそも、私たちが知り合ったのは、3年前の横浜の小さな中華料理店でした。店員として働く小百合と、やくざが家業の男としてです。

私がやくざの身分を隠すことで交際が始まったのですが、半年後には偶然のことから小百合に知られることになったのです。交際を続ける条件は、私がやくざの世界から足を洗うことでした。大きなお金はいらない、堅実で静かな家庭を持ちたい、これが小百合の口ぐせだったのです。


 私も、好き好んでこの世界に身を置いているわけではなかった。目を瞑ると今でも思い出すのです。20年前、今別駅のホームで都会に働きに出る私を、親戚一同

が送ってくれた光景を・・・。結局、都会は私を受け入れてはくれなかった。悔しさに涙しか出ない生活の中、流れ着いたのがやくざの世界だったのです。

 足を洗うのは、簡単ではありませんでした。人に言えぬ苦労はありましたが、組から許しが出たのが2年半後の、今から半年前のことだったのです。

小百合は、本当に喜んでくれました。やっと、望んでいた普通の家庭が持てると。

でも、そんな幸せな気持ちも長く続かなかった。小百合の病気が分かった時には、すでに、あと半年の命だったのです。私は、運命を恨みました。ほんの小さな幸せを望んだ結末がこれだったのかと・・・。

 小百合は、どうせ助からない命なら手術はしないと言い出したのです。少ないけど二人で一生懸命に貯めたお金だから、私に残すってね。バカな女です。でも、その気持ちが心底うれしかったのです。この世に生きて初めて天使にあったような気持ちでした。それからの半年は、二人にとって一生分を生きたような濃密な時間でした。

一生を生きるという事は、時間の長さではないことを学んだのです。二人にとって死は恐れるものでは無くなっていた・・・。


 小百合の死期も迫った頃、彼女は私に一枚のセピア色に変色した写真を見せてくれたのです。その写真には、まだ20代初めの若い早百合と、まだ20代にしか見えない綺麗な女性が仲良く映っていました。

「綺麗な女の人でしょ。この人警察官なのよ」

「小百合の知り合いに、お巡りがいたのか?」

「そう、私の命の恩人なの。もし、10年前に私が命を絶っていたとしたら、この10年間の命は、成宮刑事さんから頂いた大切な命だったという事になるの…」

「どういうことなんだ? お巡りに送られた命って?」

小百合は、冬枯れの景色を窓から見ながら、懐かしむように続けた。


「当時はまだ法律も変わってなくてね。被害にあっても、親告罪という事で告訴することをためらう人も多かったの。当時私は、小さな商社に勤めていたんだけど、せっかく就職できた会社を首になることを恐れるあまり、誰にも相談できずに望まない上司との関係が半年も続いてしまったの。もう、結婚も出来ないと絶望の淵に追い込まれた私は、死ぬことで上司に復讐をしようと思ってしまって…。


 そんな時、悔しさに泣きながらビルの谷間を歩いていた私の目に入って来たのが、一枚のポスターだった。今から思えば警察官募集のね。そこが、警察署だと分かるまでには、しばらく時間が掛かったわ。

ポスターには、優しく微笑んでいる婦人警官が映っていたの。私は、その微笑みに導かれるように建物の中に入って行くと、忙しそうに多くの人達が働いていたわ。とても声を掛けられるような状況ではなかった……。                       私がその雰囲気に圧倒されて帰ろうとした時に、私の涙に気付いたまだ若いスーツを着た女の人が声を掛けてくれたの。 その人が刑事さんだと分かった時に、私は我慢できずにその人の胸で泣き崩れてしまって…。後で分かった事だけど、色々な事件が重なっていた時でホントに大変だった見たいね。でも、その人は、朝まで私に寄り添ってくれて……。

だから、私が生きて行くことを諦めずに、もう一度やり直そうと決心をさせてくれた命の恩人なの。純也なら、分かるでしょ。その刑事さんが、2年後に離婚したと聞いた時には、ショックでね。少しは、私にも責任があるかも知れないと思ったわ…。だから、絶対にこの命は無駄には出来ないって…」



 小百合は、この話を私に話した後、安心したように一週間後に亡くなったのです。

私は、成宮刑事さんから与えてもらった小百合のこの10年の命のお礼を言うために、非番の成宮さんを訪ねる決心をしたのでした。署の方で会うのは、避けることにしたのです。特に理由はありません。ただ虫が好かないとでもいうのでしょうか。

成宮刑事さんの住所は、公開されていませんので、元のやくざ仲間の伝手を頼ることにしたのです。あまり言いたくはないのですが、刑事さん達の住まいは、ある程度闇の世界では情報化されている現実があるのです。


「加賀町署の成宮? ああ、あの強行犯係の女刑事な。どうして、お前がそんなこと知りたいんだ?」 私は、納得させるために、いきさつを話したのです。

「そうか、そういう人間か・・・。」やくざにも、人の情というものはあるのです。

私に感情を寄せてくれたやくざは、ある情報をくれました。それは、私を驚かせる

信じがたい話だったのです。

「上から、成宮を始末しろと出てるぞ・・・」



私は、あなたに直接会ってお礼を言う代わりに、決心をしたのです。

それは、令を受けた人間からあなたの命を救うことでした。

これが、あの事件の真相だったのです。


朝倉の命は、私にとってはどうでもいい事だと、思って下さい。

あなたの命を救うことが、小百合から託された命のリレーだったのですから・・。


最後に・・・

あなたには、感謝しかありません。

どうか、ご無事で、あなたを必要としている人たちがいるのですから・・・。



勝野純也、そして妻小百合                       』


                                    

 2 新たな捜査方針


「馬鹿な男……」

涙がとめどなく流れていく。言葉では言い尽くせない感情で、胸が締め付けられた。

朧気(おぼろげ)だった小百合の姿が、しだいに鮮明に蘇っていく……、

「小百合さん、あなたは、幸せだったわね…。そうね。長く生きることも大切だけど、最後に生き切ったと思えるほどの濃密な時間を味わえたなら、それも一つの生き方だったのかも知れないわ…」

しかし、綾乃の命を守ったという、言葉の意味が理解できないのである。

朝倉が、綾乃の命を狙っていたとの告白のようにも取れるのだ。

相変わらず、真実は闇の中であった。



 綾乃は、兄の秀一に電話を掛けると、礼を言った。

「お兄さん、確かに純也さんからの『手紙』受け取りました。ありがとうございました。お聞きしたいのですが、小百合さんのお墓は、何処に?」

「実は、おととい純也が来た時に置いて行ったのです。小さな綺麗な小箱に入っていましたよ。あいつに何かあった時には、一緒に、三厩湾に流して欲しいとね。

死んでまで、離れ難いのでしょう、あの二人は・・・。」

「そうでしたか…、小百合さんが、あれから10年間長く生きられたと、言ってくれた言葉に私の方こそ、感謝しかないのです。あの時の若い娘さんが立派に成長して、大切だと思える人と出会い、そして恋をした……。

私もあの時は大変な状況の中にあって、小百合さんの心に寄り添えたのか正直自信はなかったのです。でも、うれしかった。このような貴重なお話を伺うことが出来て…」


 どのような理由があるにしろ、純也の犯した犯罪行為は許されるものではなかった。綾乃は、再び純也を銃刀法違反および殺人未遂容疑で全国に指名手配を依頼した。その中で、再び出生地青森が最重要警戒区域となったのである。

「古畑巡査部長、私はこれから本部に行って今日は戻らないから、あとは宜しく頼むわね」「了解です。成宮警部補!」


綾乃は、受け取った手紙の内容を説明するために、捜査本部のある湘南署にレンジローバーで向かった。一通り藤澤一課長に現状説明をし終えると、今後の捜査方針について話し合った。

「被疑者の逮捕が最重要課題であることには変わりませんが、勝野純也の犯行目的が、被害者朝倉耕平さんの殺害が目的であったと判明した以上、それを裏付けるための被害者の証言が重要であると考えております。しかし、今だ回復途中にあることから、慎重な事情聴取が行われるべきであると思われるのですが…」綾乃は、言葉を選びながら話した。


「分かった。小百合さんに関する記述は、成宮警部補の裏付けのとおり信憑性は感じられるが、成宮警部補を助けるために、朝倉さんを狙ったという理由に無理があるように感じてしまうのだが・・。ここはやはり、改めて勝野純也の早期発見と、ガイシャの身元調査ならびに証言を最重要課題とする。成宮警部補には明日からガイシャの専従として、慎重に捜査を進めてもらいたい。以上、解散!」



  3 順子との大切な時間


 ある程度の捜査の目途が立ったことから、普段の本部設置時より珍しく早めの帰宅となった。しかし、綾乃は朝倉のことが気がかりであり、わざわざ自分ひとりのために食事を作る気にもならなかった。ママの店『順子』は、定休日のはずである。

電話をすると、外でならという条件で、久しぶりに二人での会食となった。

順子が選んだ店は、駅に続く橘通りの中程にある地元のイタリア料理店『Ristrante Ecru』であった。エクリュと読み、意味は生成りであるらしい。店内は優しい色合いでまとめられ、シェフの人柄そのものの温かい雰囲気に包まれている。


「順子さんて、和食以外も食べるのね」

「そんなこと、当たり前でしょ。いろいろなものを食べることによって、新しい料理のヒントにもなるのよ。イタ飯は、フレンチと違って食材の味を生かすでしょ」

「今度、私にも何か教えてくれるかしら?」

「あなたは、そのままでいいのよ。女刑事 成宮綾乃なんだから…。」

「どういう意味で言ってるの?」

「家庭的な女刑事って、柄じゃないでしょ!」

「はい、ごもっともです!」

食事が終わると、女同士らしい遠慮の無い雑談が続いていた。

ワインの酔いが心地よい。朝倉の肌を懐かしく思う綾乃がいる。

朝倉にとって、自分はどういう存在であったのだろうか?答えが出せないまま逡巡は続いていた。


「ところで、捜査の進展はどうなの?」順子が真顔で聞いて来た。

「順子さん、それは捜査上の秘密という事で…」

「綾乃さん、私だって、今回随分協力したつもりだと思っているんですけど…」

「本当に、ありがとうございました。おかげ様で、朝倉さんも徐々に回復しているみたいだし…」

「綾乃さんも気を付けてね。仕事を離れても命を狙われるなんて、因果な商売だと思わない?。何を好んでわざわざこんな危険な仕事を選んでいるなんて、気が知れないわ。朝倉さんも、とんだ災難だったわよ」

順子は、朝倉が犯罪に巻き込まれた真相を知る由もなかったのだ。


「話は変わるけど、順子さん、結婚は?」

「ううん、私は綾乃さんと違ってわざと籍を入れなかったの。25の時から10年間の二人だけの暮らしだった。でも、35の時に病気であっけなく、私の目の前からいなくなってしまったのよ。子供でもいれば、成長を楽しみに少しでも気がまぎれると思ったこともあったわ。でも、あの人は二人だけの生活を大事にしたいって、結局子供を作らなかった。子供に、私の愛情を取られるって…、面白い考え方ね。                             私は、今でもあの人に囚われていると言っていいわ…。気持ちは、あの時のままよ。今でも、いっぱい愛しているのよ…」

順子の言葉が、綾乃の心に深く刺さって来た。


「そういう意味では、私は中途半端に生きて来たと言えるのかも知れない。大好きな男と結婚をして、そして子供にも恵まれて、仕事をしながらも幸せな結婚生活まで

望んでいた。私って、欲張りだったのかな?」

「ううん、あなたは決して欲張りじゃないと思うわ。仕事が、あなたを選んだのよ。

それに気づくのが、少し遅かっただけなの。綾乃の刑事としての能力は、皆が評価してると思うわ。それは、誰にも代えがたい特別な存在なんだから…」

「ありがとう…、でもね、彩香に対しては、ほんとに悪い母親だと思っているのよ。

これは私が一生背負うべき十字架なのかも知れないわ…」


「でもね、私は子育てした経験はないけれど、ある程度自我が目覚めてくれば、親の背中を見ながら育ってくれていると思うのよ。あなたは、決して恥じることはないの。17歳ともなれば、世の中の仕組みだってわかって来るのだし、どんな仕事でもプライドを持ってやっていれば、親のありがたみが分かる時が来るわ。信じるしかないのよ」

「順子さん、いつもお店にいるママとは別人みたいよ。今日はうれしかったわ」

「今の私が、ほんとの順子なんだから…」

「分かりました。人生の先輩!」

ひとしきり、会話が続いた後、順子が綾乃に気になる言葉を残した。


「それはそうと、私小耳に挟んだのだけど、あのマンションの土地って、随分安く払い下げられたみたいよ。確か、市有地だったはずだけど……」

「そうなんだ。でも、このことが事実なら、何かに繋がっていくのかしら?」

「素人の私にわかるわけないじゃない? 刑事でも、探偵でもないんだし…。」




第4章に続く













 










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