第8話 嘘つき


 私こと橘リアラが、少しだけ元カレとのことについて振り返りたいと思う。


 私にとっての元カレとはもちろん人生でただ一人、鬼龍院雅臣だけである。


 物心ついたときには既に隣にいたので、彼の名前が珍しいんだと知ったのは小学校高学年になったあたり。


 覚えにくいし書きにくい名前の彼のことを、昔は雅君なんて呼んでいた。


 雅君は昔っからずっと私のことを大切にしてくれた。

 ドジな私をリードしてくれて、わがままな私を叱りながらも最後は許してくれて、ヘタレな私を守ってくれて。


 私はそんな彼のことを当然のように好きになった。

 明確に恋心と自覚したのは小学五年生の頃だったかな?


 でも、彼が私に優しいのは幼なじみだからかなってずっと思ってた。

 別にネガティブなわけではないけど、一緒にいすぎてわからなくなった。


 だから私の気持ちを知られると彼に嫌われるかなとか、そんな心配ばかりしていたのを覚えている。


 そしてもちろん、告白してくれた日のことも。


「お前が好きだ」


 男らしく気持ちを伝えてくれた彼の顔を、言葉を、多分一生忘れない。

 思わず泣いちゃったことは恥ずかしくて忘れたいけど、これも私にとっては大切な思い出のワンセット。


 雅君も私のことが好きだったということでめでたくお付き合いを始めたところまでは本当に順調だった。


 だったのに。


 雅君が好きすぎて。

 今までは雅君の気持ちがわからなくて我慢してた部分が溢れて。


 私は本来持っていたわがまま属性を全開に。

 

 気に入らないことがあれば泣く。 

 嬉しいことがあっても強がる。

 反論できなくなったら怒って誤魔化す。

 すぐに汚い言葉を吐く。


 こんな女になった。

 否、こんな女だということがバレた。


 だからフラれた。

 中学の卒業式の頃には既に冷え切っていた彼との関係も、高校にいけばまた元通りになるんじゃないかと甘えた考えを持っていた私は、嫌そうな顔をする彼の気持ちを知りながらもわがままを貫き通して。


 見事に散った。


 別れた方がいいと、言われた。


 人間どうしようもなくなると涙なんて出てこない。

 泣く暇もないまま、私は思いつく限りのわがままをぶつけてみたが、それはもちろん火に油。


 そして引っ込みがつかなくなったので「もういい、別れる!」と。


 言っちゃった。


 そして私の大切な幼なじみであり、私の初めてにして唯一でよかったはずの彼氏だった雅君は、元カレになった。


 ……


 ここまで話してしまえばもうお分かりだろう。


 そう、何を隠そう私こと橘リアラは。


 雅君が大好きなのである!

 もちろんナウです。


 物言いが厳しくてサバサバしてる風な彼だけど、あんなに思い出いっぱいの彼を、そう簡単に嫌いになんてなれない。

 いや、多分一生ずっと好きだと思う。

 ちょっと重いけど、それくらい私はずっとずっと雅君一筋なのである。


 じゃあヨリを戻してとお願いすればいいのではないかというのは早計。


 多分このままでは、もし仮に復縁できても同じ結末が待っていることくらいわかってる。


 そもそも私が嫌われた原因は、わがままでピーキーな性格でおまけに口が悪いというところだとわかっている。


 ただ、わかっててもなかなか治せない。

 このきかんぼうで泣き虫というこじれた個性を修正してくれる名医がいるなら是非紹介してほしい。


 どんなに我慢しようとしても、一度ストッパーが外れた私は彼の前ではつい本性を出してしまう。

 

 というか、本当は好きな人の前でこそありのままの自分でいたいという願望もあるわけで。

 

 うまくいかなかった理由だって、猫をかぶっていたところもいけなかったわけで。

 可愛い幼なじみを演じすぎて、その幻影に囚われた雅君が本当の私に幻滅したわけで。


 でも。


 ううん、だから。ありのままの私を。


 雅君に好きになってもらうんだ!


 もうそれしかないと、そう心に決めたところで私は、別れた彼にどうやってアプローチしたらいいのかと迷った。


 迷いに迷って、また彷徨った。

 その末に迷子になった。


 何をしたらいいかさっぱりだった。

 

 そんな時に父親から話があると呼び出された。


「リアラ、お前は付き合っている男子なんかはいないのか?」


 元来父は私に甘い。

 他人の父親がどんな教育をしているかは知らないが、自分の父親の教育が私にゆるゆるなことくらいは多少の良識があればわかる。


 買いたいものを買ってくれて、飼いたい猫を飼ってくれて、懐胎したなんていっても多分「孫が楽しみだ」と手放しで喜ぶだろう、そんな父だ。


 そんな父に私は、雅君とのことを相談した。

 と言っても、好きな人がいるけどどうしようってくらいで、付き合ったことや別れたこと、二人の関係が今ピークで最悪なことなんかは言わない。


 好きな人と一緒にいたいと、お金では解決しないわがままをぶつけてみたのだ。


 すると、


「だったら、一緒に住んで愛を育めばいい。家は用意する」


 だって。


 親の脛齧りなんて言葉があるが、私は親の脛の骨をしゃぶりつくしているなあと、自覚しながらもその脛にかじりつくことには躊躇わない。


 しかし、普通に誘っても絶対に雅君はうんとは言わない。


 むしろ拒絶されるのがオチ。


 そしてまた悩んだ。

 悩んだ末に、今度は思いついた。

 妙案を。


 嘘の見合い話を。


 つまりそういうこと。

 この家に、十六歳になったら見合いするとか同棲するなんて非常識なしきたりは一切ない。

 そんなもの、この現代であるはずがない。


 でも、父にそんな嘘をつかせるのは少々リスクが高いし、いちいちの説明がめんどくさい。


 だから父には、「今度連れてくるから、パパから雅臣君に同棲の話を進めてくれる?」とだけ伝えた。


 そして後は予定調和。

 雅君にはまず、お見合いの話を相談して、うちに嘘の彼氏として来てほしいとお願いした。


 私の涙に雅君が弱いのはもちろん知ってる。

 たとえ別れた今でも見捨てないのが彼の優しさである。

 もちろん引き受けてくれることとなった。


 さらに、うちの父親は厳しくてわからずやだから、変なことは言うなと釘をさして、お見合いの件には触れず、ただ私を好きだと言うことだけを伝えてとお願いした。


 一方の父には、あいわかったという軽い返事では父親の威厳が出ないから、悩んだフリをしながら話を聞いてあげてとだけ。


 ノリノリな父は随分と役者だった。

 私はそんな父の演技に笑いを堪えながら、ただひたすら交際をお願いし続けるフリをした。


 思い出して欲しいけど、雅君と父の会話にお見合いの話なんて一切出ていない。

 もちろん私も、その場でそんなこと一言も言ってない。


 私は雅君が好きと、本当のことを伝えただけ。

 父はそれを許すと、普通に返事しただけ。

 

 ね? 嘘は言ってない。

 あの場で嘘をついていたのはそう、雅君だけだ。


 でも、その嘘を本当にしたい。

 こんな私を、それでも好きだと言わせてみせたい。

 ありのままの私を、それでも一緒にいたいと思わせるために、なんとしてもこの嘘がバレるまでに振り向かせてやる。


 もちろんそれは簡単なことではない。

 今からまた可愛い幼なじみを演じても多分通用しないし、それでもしうまくいっても今度は、一生私が嘘をつき続けながら彼と付き合わなければならない。


 だからありのまま。

 わがままで泣き虫で短慮な私を全開に。

 ただ、その上でどうやって彼に振り向かせるのかなんて、まだ答えは見つかってはいない。


 とりあえず、何もかも父のせいにして一緒にいる口実を作りながらアピールを続けてみてはいるけど。


 ……なかなか手応えがないのである。


「どこいくんだ、着いたぞ」


 これまでのことを振り返りながら歩いていると、すぐ後ろから雅君にそう言われた。


 今日の昼食の場に選んだレストランに到着していた。


「わ、わかってるわよ。ちょっと考えごとしてたの」

「ぼーっとするなよ。入るぞ」

「あ、待ってよ!」


 やっぱり冷たい。

 雅君はそっけない。


 昔なら、「こっちだよ、リアラ」って優しく手を差し伸べてくれたのに。

 今じゃあしらうように、淡々としている。


 当然だけど、でも嫌だ。

 早く雅君に甘やかしてほしい。

 

 昔を思い出しながら、彼に続いて店の中へ。

 そして案内されて席に着くと、雅君と目が合う。


「……なんだよ?」

「雅臣、ちゃんと私と婚約者を演じるつもりある? ちょっと冷たすぎ」

「わかったよ。でも、あくまで嘘なんだから限界があるだろ」

「……じゃあせめて、付き合ってた時くらいの感じで接してよ」


 せめてもの私のお願いである。

 そうしてくれたら、少しは私も嬉しい。


 すると、


「だ、だったら。お前も、そうしろよ」

「私? 私は雅臣に対してずっとちゃんとして」

「その、雅臣ってのやめろ。なんか、他人行儀っぽくて、嫌だ」

「そ、それって……」

「いや、別に嫌ならいい。すまん、なんでもない」


 本当は呼びたかった。

 昔みたいに雅君って、馴れ馴れしくそう言いたかった。


「まさ……くん?」

「お、おう。な、なんか変な感じするな」

「雅君……雅君!」

「聞こえてるって。ああ、やっぱりそれの方が自然だからそれでいいよ」

「うん。じゃあ早く頼も、雅君」

「はいはい」


 ずっと。

 今日までで、何回、いや何千回呼んだかもわからないその呼び方。

 その響きだけでもう、涙腺がヤバい。


「うっ、うう……」

「ど、どうしたんだ?なんか変なこと言ったか俺?」

「し、知らない! 知らないもん、バカ!」


 嬉しいと、いつもこうなるのも私だ。

 だから。


 こんな言い方しかできない、こんな態度しかできない私のこのめんどくさい性格が、雅君を好きすぎるが故のことなんだって、早くわかってほしい。


 わかった上で好きになってほしい。


 だって。


「あー、もう泣くなよ。ほら、ハンカチ。ええと、食べたらデザートも頼もうな。好きなもん食おうよ、な?」

「う、うん」


 こんな嘘つきな私に、優しくしてくれる彼が、死ぬほど好きなんだもん。

 


 

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