第3話 有住愛花と、恋みくじ(修学旅行編②)
「んっ……」
見慣れない部屋の風景と、身体に触れるシーツの肌触りで、そういえば今は修学旅行中なのだと思い出す。
「おはよう有住。起きた?」
のっそりと身を起こせばさっちゃんの声が聞こえ、そちらを向く。
見ると髪をタオルで拭いていて、朝風呂にでも入って来たのだろうか、と寝ぼけた頭で考える。
「おはよ……。ああ、温泉……?」
「そうそう。ちょっと早起きしてひとりで入ってきた。お客さんも少なくてのんびりできたよ。もうさいこー」
「あー」
それを聞いて、明日は自分も早起きしようかと、まだ寝ている頭で考える。
さっちゃんに曖昧な返事をし、瞼を擦る。
いま何時なんだろう。
枕元に置いていたはずのスマホを探していると、ふと、隣の布団で寝ている吉谷が目に入った。
私達が泊まっているのは、大きなホテル旅館の4人部屋だ。
畳間に4人、布団を並べて入口からさっちゃん、洋ちゃん、吉谷、私の順に寝ている。
「……」
気持ち良さげに眠っている吉谷の姿を見て、手を伸ばす。
「まだ起きるには少し時間が早いと思うけど、有住はどうす――って何してんの」
「……よしたに、ゆかた、ぬげてる」
「えっ、あ、あぁ、直してあげようとしてるのね」
起きたばかりの状態では、自分の身体を支えるのも
殆ど浴衣の前が開いた状態の、吉谷の寝姿が見えた。
「……ないとぶら、してる。かわいい」
「有住、ちょっと寝ぼけてんな…。なんか吉谷が
早く直してやりなよ、寒いし、とさっちゃんに促され浴衣に触れる。
私がやろうか、とさっちゃんが申し出てくれて、私もその方がいいとは思ったけれど。
首を左右に振って断った。
吉谷のこんな姿を、間近で誰にも見せたくなかったのかもしれない。
浴衣を整えて布団を被せた頃には、頭はすっかり覚醒していた。改めてスマホで時間を見ると、起きるにはまだ少し早い。
まぁいいや。
散歩にでも行こうかと、室内を見渡し寝ている洋ちゃんと吉谷を見る。
それにしても、と昨日のお風呂での吉谷との会話が、胸の中に鉛のような重たさを思い出させる。
吉谷は、どうして私に好きな人を教えてくれないんだろう。
今日の予定はまず、午前中に清水寺、その後お昼を挟んで京都伝統工芸づくりを体験できる施設に行くらしい。
バスを降りて両側に土産物屋がずらりと並ぶ坂道を上ると、
迫力のある建造物に興奮しながら敷地内を進み、清水寺の本堂まで登ってきた私達は、高台から望むその眺めと迫力のあるお寺の外観に圧倒されていた。
「すご……。本当に崖の上に立ってるんだね」
「木造建築でこんなことできるんだねー」
洋ちゃんはパンフレットを食い入るように見つめていたかと思うと、興奮気味にあたりの建造物を見まわしている。
そういえば洋ちゃん、日本史も好きだったよね。
「有住、今からの自由行動、私は洋ちゃん見張るから、有住は吉谷宜しく」
「おっけー」
いつものように役割分担を確認しておく。
そうしている間にも興奮した洋ちゃんが周囲をきょろきょろしながら歩いて行こうとするから、さっちゃんが「まずは皆で観たいところを確認しよう」と言い聞かせている。
さて、と。
繋いだ左手の先にいる人物に問いかける。
「吉谷、どっか見たいとこ、ある?」
吉谷と洋ちゃんのふたりが希望したのは、清水寺本堂の傍にある
縁結びの神社としても知られているそこで、「恋みくじ」が引きたいんだそうだ。
複雑な気持ちになりながら、皆で地主神社へ歩いて行く。
小規模ながら煌びやかな色合いの建物の周りには、午前中にも関わらず沢山の人が集まっていた。
あまり乗り気はしなかったけれど、4人でそれぞれ恋みくじとやらを引いてみる。
ふむ。
「有住、何でたの」
「半吉」
さっちゃんの目の前に、自分のおみくじをかざす。
あーなるほどね、と文面を読んださっちゃんが頷く。
何がなるほどなんだろう。
「これ、持って帰りなよ」
「えー」
「まあまあ」
改めて手の中のおみくじを見る。
半吉かぁ、半分だけ良いって何なのよ。
おみくじが売られている場所にある「恋占いおみくじランク」と書かれた立て札と照らし合わせ、首を傾げた。
「吉谷、何がでたー?」
さっちゃんがそう聞くと、吉谷は嬉しそうに「……大吉」と呟いた。
「見してみ。…ほんとだ、待ち人、来る。恋愛、近しい人と良い恋愛をして結ばれる、想い人がいる場合は相手の状況を見極め想いを告げると良い、だって。いい感じじゃん」
「ほんとだ。でも吉谷って相手の状況とかシチュエーションとか考えずに、好きって言って本気にされなさそう。ね、有住」
「え、な、なんでそこで私に振るかな」
ふてくされる吉谷の頬を、洋ちゃんが人差し指でつつく。
それでも最後は大切そうにおみくじをお財布にしまっていた。
「ねぇ――」
――そんなに好きなの?その人のこと。
思わず問いかけそうになって、言葉を飲み込む。
どうせ、教えてくれないだろうから。
「なに?」
「あー、私、知り合いからここのお守り買ってきてって言われてたんだった」
行ってくるねと皆に背を向け、逃げる様にその場を離れた。
なのに。
「何色買うの? 」
「んー、赤かなぁ」
「知り合いって女の人?」
「うん」
「どんな知り合いの人?」
何でついて来るかなぁ。
何故だか今は、吉谷が傍にいると落ち着かない。
心の奥にちいさな棘が刺さったようで、それが微かな苛立ちにも似た感情を湧き起こさせる。
「えっと、何年か前に知り合って、からかってくるけど頼りになっていつも相談相手になってくれる人」
感情を悟られないように、なるべく吉谷の方を見ずにそう答え、目の前のお守り選びに集中する。
知り合いにお土産をお願いされているのは本当だ。
クレアさんに「縁結びの!お守りを!」としつこく、それはもうしつこく、依頼されていたから。
その上で「お揃いにしましょ」と言われていたから、ついでに自分の分も手に取る。
クレアさんが赤で、青は私のだ。
縁結びは、恋愛だけではなくて様々なご縁のこともいうらしい。
そう考えると縁結びのお守りでクレアさんとお揃いなのも、良いかもなと思ったのだ。
「ふたつ買うの? 」
「うん、ひとつは私ので、お揃いにしようかと思って」
ふぅん、と相槌を打つ吉谷は、少し面白くなさそうだ。
またヤキモチを妬いているのかと思ったけれど、流石にこれくらいでは妬かないだろう。
だとすれば、ついては来てみたものの退屈しているのかもしれない。
「吉谷、私はこれ買ってすぐ戻るからさ、さっちゃん達の所に戻ってて大丈夫だよ」
「そうじゃなくて」
吉谷の声に、拗ねたような色が見える。
それでようやくお守りに落としていた目線を吉谷に向けると、私の目の前に吉谷の右手が差し出された。
「有住は、私と手を繋がないといけないんだよ。だから、はやくそれ買って "一緒に" みんなのとこに行こう?」
少し不安げに、潤んだ瞳でそう言う吉谷を見て、私は。
思わず吉谷を引き寄せて、抱きしめていた。
「わかった。すぐに買ってくるから、そこで待っててね」
耳元でそう囁くと、少し顔を赤くした吉谷が「えっと、あと、私ともお揃い買って欲しい。何でもいいから」とそう言って、ちいさな鈴のお守りを手に取る。
見た感じ、恋人同士用のものの気がするけれど、そんなことはあまり考えていないんだろう。
ふたりで一緒にそれを買う事にした。
いつかは誰かのものになるかもしれない吉谷と。
そしてそれを望んでいる吉谷と。
吉谷といると、自分の中の色々な感情が掘り起こされる。
その度に、思わずあの子に手を伸ばし、触れてしまう自分がいる。
流石に段々、分かって来た。
この感情の正体が。
どんなことがあっても、この子とだけは一緒にいたいと思うこの気持ちの種類が。
喜ぶ顔も、怒る顔も、悲しむ顔も、全部をとても愛おしいと、思ってしまうその理由が。
この感情を自覚して、名前をつけることは簡単だ。
だけど、この想いは叶わない。不毛な想いだ。
視界がぼやける。鼻の奥がつんと痛くなる。
おつりとお守りを受け取りながら、誰にも気づかれないように鼻を啜った。
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