第62話 【快斗11】と【シノ13】

「えっと、乾 快斗です。さっき恵太が言った通り、恵太とは高校で知り合いました。今日はよろしくお願いします」

 昨日、俺の脳内で何度も繰り返したシミュレーションの成果はあまり出なかったみたいで、自分が思っているよりも丁寧で堅苦しい挨拶を、目の前にいる二人の女の子にぶつけてしまった。

「おお〜。すごい丁寧な挨拶……! こちらこそよろしくお願いします」

 そう言って俺の挨拶を受け止めてくれたのは、百井 綾子さんだ。ダイバや恵太から聞いてはいたけど、綾子さんはめちゃくちゃ美人で、こうして俺と会話をしてくれているのが不思議に思えるくらいだった。

 ——今の俺の変な挨拶をさらっと受け流してくれたのも、美人で、常に心のどこかに余裕があるからなのかな?

 そんな邪推もいいところなくらい失礼な考えが頭の中に浮かんで、すぐにそれを振り払った。

「私は篠原 夏希です。みんなシノって呼んでるので、乾くんも気軽にシノって呼んでください」

 篠原さんは俺の目を見た後、「それと……」と言いながらゆっくりと頭を下げた。

「恵太くん。この前はごめんなさい」

「え? あ、ああ。初めて会った時のこと? それなら全然気にしてないよ」

 突然下げられた頭に、恵太は狼狽えながらもそう答えた。

「でも、さすがに失礼だったかなって」

「いやいや。むしろ俺もダイバも体調が悪くなったのかな、とか色々と心配してたくらいだから。今はなんともないんだよね?」

 恵太の口から『ダイバ』が飛び出てきて、少し不思議な感覚に襲われた。

「うん。今はなんともないよ」

「でも昨日栗原くんと話したけど、万が一何かあったりしたら遠慮せずに言ってよ?」

 百井さんが恵太と目を合わせて頷き合う。昨日話したってことは、俺やダイバが思ってるよりもずっと、恵太たち二人の仲が深まっているってことなんだろう。

「ありがとう。でも、もう大丈夫だから。それと……私が思ってるよりも綾子たちって仲がいいのね?」

 軽く頭を下げた後、篠原さんは百井さんたちをからかうように小さく笑った。

「え……? あ……」

 恵太は何かを言おうと口をパクパクさせたけど、結局何も言えずに黙り込んでしまった。

 恵太のそんな様子を見て、百井さんの口角が上がる。そして、胸を張ってこう言った。

「うん。私たち結構仲いいんだよ?」

 今度は篠原さんがたじろぐ番だった。

 事情をそこまで深く知らない俺も、恵太から綾子さんへの想いの丈を何度か耳にしていたこともあって、突然のその宣言にかなりの衝撃を受けていた。

「ずいぶん堂々と言い切るのね……。いや、仲がいいのならそれはいいことなんだけど……」

 俺以上に驚いている恵太と満面の笑みを浮かべる百井さんの顔を交互に見ながら、篠原さんがそう呟いた。

「あ、綾子さん。嬉しいけど、突然すぎてどう反応していいか……」

 恵太が表情を崩しながらも、残っている理性を振り絞るようにしてそう言った。

「そ、そうね。恵太くんの言う通りよ。ほら、今日初めて会ったばかりの乾くんもいるんだし」

「え? あ、ごめん。別にすごく深い意味があるわけじゃないよっ! ただ、そんな仲のいい恵太くんの友達である乾くんとも私は仲よくなりたいなって意味!」

 少し早口で言い切った後、綾子さんは俺の方を見て笑う。

 俺のその取ってつけたような笑顔に対して、曖昧に頷いて答えるしかなかったんだ。



 *******



(今日、私はここにいる必要なかったんじゃないかな?)

 水族館に向かうための電車の中で、ふとそんなことを思った。

「それでね、仕返しとして深夜の二時に美味しそうなハンバーグの写真をダイバに送ってやったんだ」

「うんうん。そしたら?」

「そしたらダイバのやつ、『甘いな恵太。こんなこともあろうかと俺は三十分前に豚骨ラーメンを食べておいたから、そのハンバーグの写真は意味ないぞ』って返してきてさ」

「あはは! ダイバくんやるなあ〜」

「本当、僕だけがお腹空いたまま悔しい思いをしただけになっちゃってさ」

「え、結局栗原くんはその日はそのまま寝たの?」

「いや、どうにもお腹が減っちゃってしょうがないからさ、お母さんにバレないようにこっそりキッチンに行ってカップラーメン食べたんだ」

「豚骨?」

「そう。豚骨」

 綾子と恵太くんの二人は声を抑えながらも大盛り上がり。私が変なことを思ってしまうのはそのせいだった。

 元々、恵太くんたちと知り合ったきっかけを作ったのは綾子で、この集まりに重きが置かれているのは綾子と恵太くんの関係性について。誰も何も言わないけど、みんなどこかでそう感じているはず。

 だからこそ私はただの付き添いで、言葉を選ばずに言えば“おまけ”みたいなものなんだ。

 わかってる。わかってはいるんだ。だけど、少し寂しい。

「あ、あの。シノ……さん」

 大盛り上がりな私の右側とは逆、左側でおとなしく座っていた乾くんが小さな声で私を呼んだ。

「恵太たちっていつからあんなに仲いいんですか?」

 その質問から、乾くんもこの空間に対して私と同じような感想を抱いていることがなんとなくわかった。

「うーん、正直私もそこまでこの二人の絡みを見てるわけじゃないから……」

「正直に言って、俺たちがいらないくらい……」

 電車の中のひそひそ声は言葉を最後まで伝えてくれなかったけれど、言いたいことは十分伝わった。

「でも急に帰るわけにもいかないのよね。特に私には、さっき駅で話した通り前科があるから……」

 前回のことを思い出す。今はなぜか、あの青ざめるような恐怖が襲ってくることはなかった。

「その時って、体調悪かったんですか?」

「え? ああ、そう。急に気分が悪くなっちゃって」

「あの、なんかあったら遠慮なく言ってくださいね?」

 乾くんはそう言うと、爽やかに笑った。

「あ、ありがとうございます。それと、その、敬語は使わなくても大丈夫……だよ?」

「あ、そうですよね。……うん」

 私の言葉に、乾くんの笑顔が少し崩れた。そして恥ずかしそうに「よ、よろしく」と小さな声で言って、窓の外に目を向けてしまった。

「緊張してます?」

 乾くんの様子につられて敬語を使ってしまった。

「あ、いや、その……してます」

 乾くんは絞り出すようにそう言って、ちらりとこちらを見る。

 私は乾くんの緊張と、この変な空気を晴らせるように精一杯の愛想で笑顔を作る。

「今日はたくさん楽しみましょう」

「えっと、そうですね。楽しみましょう」

「ダメ。敬語使ってる」

「いや、今のはシノさんだって使ってたよ」

「私のはいいの。緊張をほぐすためだから」

「な……! それはズルいな」

「ふふ」

 私も乾くんも、自然と笑顔がこぼれるようになった。

「お、シノたちも盛り上がってるねっ!」

「何話してたの?」

「何って……敬語について、かな?」

「え? 敬語?」

 私の何気ない発言に、恵太くんの動きが止まる。

「し、シノ……この前のぶつかり合いみたいな発言やめて……」

 綾子が笑いを堪えきれないと言わんばかりに肩を震わせる。

「もしかして、シノさんって天然?」

「乾くん何言ってるの? 違うから」

 乾くんの声に、私は少しだけ頬を膨らませるような仕草を混ぜて、怒ったふりをして答えてみる。

「あ、いや。ごめん」

 すると乾くんは案の定、慌てたように謝るんだ。

 乾くんとのこれは、ずっと前に繰り返していたやりとりのような気がして。でもすぐに「そんなわけない」と心の中で首を振りながら、私は電車に揺られていたんだ。

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