第61話 【恵太と綾子2】と【ダイバ27】

『やっほー栗原くん!』


『やっほー! どうしたの?』


『ん。元気かな? って思ってさ!』


『元気元気! 仮病してる時くらい元気!』


『なにそれ?』


『ダイバのマネしてみた』


『ダイバくんってそんな感じなんだ?』


『そう。ダイバはいっつもとぼけててさ。面白いんだよ』


『なーんだ。ならなおさら、明日会えたらよかったのにね』


『どうしても外せない予定があるって言ってたからね。そればっかりは仕方ないよ』


『シノもがっかりしてたよ』


『へえ。今度ダイバに教えてやろ』


『ダイバくん、それ聞いたらどんな反応するかな?』


『さあ、ダイバのことだからわからないや』


『ねえ、栗原くん』


『ん? なに?』


『今日は日曜日だよね?』


『そうだけど……』


『で、明日は』


『月曜日』


『ですが……』


『なにそのクイズみたいなやりとりは』


『あはは。……いや、水族館に行くのって、とうとう明日なんだよね。なんか緊張してきちゃってさ』


『正直言って僕も緊張してるよ』


『そうなんだ』


『えっと、その、明日はよろしくお願いします』


『なに急に改まっちゃってるの?』


『綾子さんと連絡取ってたら手汗がすごくて……』


『あはは。それは私のせいだね。

 ……えっと、こちらこそよろしくお願いします』


『お手柔らかに』


『もう。試合じゃないんだからね? あ、十時に久留島駅だったよね?』


『そうだよ』


『ごめんね。わざわざ久留島まで来てもらっちゃって』


『いいよいいよ。どうせ瀬田駅から水族館まで行く途中に久留島駅があるんだしさ。それに、綾子さんたちはまだ快斗と会ってないでしょ?』


『乾 快斗くんだよね? すごく頭のいい人って情報だけは知ってるよっ!』


『あ、そうそう。そんな細かい情報よく覚えてたね』


『もちろん覚えてるよっ! 楽しみにしてるんだもん』


『ほ、本当に?』


『このタイミングで嘘なんてつかないよ』


『……僕』


『ん?』


『明日は全力で綾子さんのこと、楽しませるから』


『……ダメ』


『え? だ、ダメって?』


『私を楽しませるんじゃなくて、栗原くんも一緒に楽しんでほしいよ』


『ああ、そういうことか……』


『それと、どうせ楽しませてくれるのなら、私だけじゃなくてシノのことも楽しませないとね?』


『……あ。いや、別にそこに深い意味は……』


『あはは。ごめんごめん。ちょっと意地悪しちゃったね』


『と、とにかく、久留島で会ったらまず快斗のことを紹介するから』


『うん。ねえ、栗原くん』


『なに?』


『私、本当に楽しみにしてるから』


『うん。僕も楽しみにしてる。……おやすみ』


『え? もう電話切っちゃうの?』


『え? ……あ、いや』


『ふーん? 切っちゃうんだ?』


『ほ、本当はまだ綾子さんの声を聞いていたいけど……』


『けど?』


『今日夜更かしして、明日眠たい気持ちのまま綾子さんに会いたくないから……』


『そっか。……そうだよね。普段と違って、明日は駅に行けば会えるんだもんね』


『うん。ということなのです』


『なんで急に敬語なの』


『なんとなく』


『それもダイバくんのマネ?』


『いや、今のはオリジナル』


『あはは。そっか』


『それじゃあ、おやすみなさい』


『おやすみ栗原くん。明日はよろしくね』


『うん。よろしく』



 *******



 俺は瀬田駅に向かっていた。理由はもちろん、茉莉と遊ぶため。ただそれだけなのに、今日の自分の動きはなんだかぎこちない。

「あ、おはようダイバ」

 俺が見つけるよりもずっと早く、俺が駅に到着したことに気づいた茉莉がゆっくりと手を振った。

 いつものように元気ではあるけど、茉莉も俺と同じで動きがどこかぎこちない。

 ——そうか。俺も茉莉も、緊張しているんだ。

 ぎこちない動きの理由が突然頭に浮かんで、それからなぜか恥ずかしくなった。

「おはよう。茉莉」

「ん、どうしたの? なんか今日のダイバ変だよ」

「そ、そうか?」

「うん」

「そうか。……待ったか?」

「ううん。今来たとこ」

「ならよかった」

 左腕に巻いた腕時計に視線を落とす。時刻は、約束の時間の三十分前を示していた。

「よく考えたら三十分前なんだよな」

「……待ちきれなかったんだ」

 視線が勢いよく茉莉の方へ向いた。

「ダイバはどうしてこんなに早く来たの?」

「待たせたらまずいかなって」

 頬を赤らめながらも真っ直ぐに俺を見つめる茉莉に対して、ふざけた返答を用意するいつもの気持ちを抑えて、俺は正直に答えた。

「そうなんだ。本当、ダイバって変なところで真面目だよね」

 俺の言葉に、少し間を置いて茉莉が笑いながら答えた。

「俺はいつもちゃんとしてるんだよ。茉莉が知らないだけでな」

「へえ、ちゃんとしてるんだ? いっつも国語のノートをちゃんと取らないわたしの隣の席の誰かさんも見習ってほしいなあ」

「待て。それは逆に俺の真面目さを表すいい例なんだぞ。不真面目なやつはノート取り忘れたらそのままにしておくだろ?」

「そもそもちゃんとしてる人はノート貸してなんて言わないから」

 俺をからかうように茉莉は背中を向けてしまった。

「あー、俺が悪かったよ。これからはもっと真面目になるからこっち向いてくれ」

 茉莉が本気で怒ってるとは思っていない。だから俺も冗談のつもりで、わざと真剣な口調で謝った。

「別に謝らなくてもいいし、ノートもいくらでも貸してあげる」

 茉莉が真面目な表情でこちらを向く。

「え?」

「だって、夏休みが終わって、席替えをして、もしもわたしたちの席が隣同士じゃなくなったら、ダイバが困るでしょ?」

 茉莉の真面目な表情が少しずつ崩れていく。意地の悪そうな笑みを浮かべながらそう言うと、リアクションを伺うように俺の顔を覗き込んだ。

「お前な。さすがにこれからはちゃんと授業受けるよ。崎山先生からも釘刺されてるし」

「そうなんだ」

 茉莉は少し寂しそうな顔でそう言うと、黙り込んでしまった。

「……でも、また先生からこの前みたいなプリントを貰ったら、多分俺一人じゃ解けないだろうし、その、助けてくれると嬉しいんだけどな……」

「……そう? それなら、しょうがないからまた手伝ってあげる」

 暗い空気を纏った茉莉の様子に慌てた俺の発言に、茉莉は小さく息を吐いて、もう一度笑った。

「ていうかよく考えたら今日二人で遊びに行くのって、あのプリントのおかげなんだよな」

「……たしかにそうだね。って、ここで立ち話してたら早く会えた意味が無くなっちゃうよ! ほら、行こ?」

 肩にかけていたトートバッグを持ち直して、茉莉が俺の手を引いた。

「別にそんな急がなくても」

「いいじゃん。いつまでもここで喋ってるだけじゃ普段と変わらないもん」

「それもそうか」

 俺の手を握る茉莉の手のひらの力が抜けて、手と手が触れ合う。

「……茉莉」

「なに?」

「今日はたくさん楽しもうな」

「……なにその笑顔。ズルいんだけど」

 俺と茉莉の指はしばらくの間、どうしていいのかわからなくなって、触れ合ってみたり、離れてみたりを何度か繰り返していた。

「ズルいってなんだよ」

「だってズルじゃん」

「変なやつ」

「ダイバに言われたくないよーだ!」

 改札を抜けて、駅のホームに立つ。今日は特に暑い一日になりそうだ。

「はいはい。どうせ俺は変なやつですよ」

 指と指が再び触れ合う。

「……でも、わたしは嫌いじゃないよ」

 電車の走る音が遠くから聞こえて、それをかき消すようにアナウンスがホーム中に鳴り響く。

 俺の手に茉莉の指が絡んだ。どうやらあれだけ迷っていた俺たちの指先は、とうとう行き場を見つけたみたいだった。

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