第26話 【シノ6】と【12年前】
私は本当にミキヤが嫌いだ。
やめて、という私の声に耳を貸してくれない。いや、やめてという声自体は届いてる。ただ、それが私の心の底からの声だということをミキヤはわかっていないんだ。
「なあなあシノ。勉強教えてよ」
「嫌。ミキヤくん、全然授業も真面目に聞いてないじゃない」
「いやいや、俺が授業を真面目に聞いたら雪降っちゃうからさ」
「意味わからない……」
本当に頭が痛くなる。
綾子に助けを求めたいところだけど、綾子は綾子でヤスに捕まっている。
クラスメイトはみんな、ミキヤと私がお似合いだと思っている。私のミキヤに対する態度を照れ隠しだと言う人もいるらしい。みんなどこに目をつけているの? と聞きたくなる。
他の、私の気持ちを知っている仲のいい友達は、「ごめんね……」という表情を浮かべて私とミキヤを遠巻きに眺めているだけ。でも仕方がない。多分ミキヤに関わりたくないんだろう。
「なあ、いいっしょ? 今日の放課後教えてよ! ね?」
「ダメ。今日は部活があるんだから」
「それが終わった後! お前の部活が終わるまで待ってるからさ! お願い!」
ミキヤの声がどんどん大きくなる。
「ごめんなさい。無理」
「ちょっと、おい、どこ行くんだよ?」
「お手洗いよ。そんなの、女の子に言わせないで」
もちろん嘘。
そこまで仲良くない人のことを“お前”だなんて呼ぶ人と同じ空間にはいたくなかった。
お前って呼ばれること自体は嫌じゃないのだけど、ミキヤにだけは呼ばれたくない。シノ、と呼ばれることすら嫌だった。
「照れてんのか? 可愛いな」
ごめん。やっぱりトイレに用ができた。今のミキヤの言葉に吐き気を催す。
私はドアをピッタリと閉じて、ミキヤのいる空間と私のいる空間を切り離した。
私はそのまま廊下を歩いて、止まることなく女子トイレに向かう。
床材がタイルに変わって、個室の中に入り、扉の鍵をしっかり閉める。ここで大きく息を吐いた。
「どうしてこんなことになっちゃったの……」
私は便座に座ってうなだれる。
何もしていないのに、プールの授業のあとのダルさと似た感覚が私を襲う。
本当に、どうしてこうなったのか。私は考える。
ミキヤとは二年生になってから同じクラスになった。
綾子と二年連続で同じクラスになれたことを喜んでいると、「学年でも五本の指に入るくらい顔がイケてる」と噂されていたヤスとミキヤが話しかけてきた。これが始まり。
たしかにヤスもミキヤも顔は整っていると思う。でも、嫌な言い方をするなら、整ってるだけ。ただそれだけ。
『よお、ももちゃんだっけ? 可愛いね〜。あと、君はシノちゃんだったよね! よろしくね! 俺は
当時はフランクな人だと思っていたけど、今は風が吹けば飛んでいってしまうくらい軽い人にしか思えない。そんな態度でミキヤは私たちに近づいてきた。
ちなみに、私はミキヤのことをミッキーとは一度も呼んでない。呼ばなくてよかったと思う。
綾子は最初はヤスとよく会話をしていたようだけど、どうやらヤスは綾子のお眼鏡に敵う相手ではなかったらしく、次第に綾子はヤスを避けるようになった。
ミキヤはというと、最初から綾子には相手にされていなかった。私もそうすればよかったと深く後悔している。きっと綾子はそういう経験が豊富だから、なんとなくミキヤの正体を察していたんだろう。
私はミキヤの顔自体はそこまで嫌いじゃなかったし、ミキヤはどうやら最初から私のことを好意的な目で見ていたようだったから、少しだけ、ミキヤに気を許してしまった。
さすがに二人きりで遊ぶなんてことはしなかったけど、綾子とヤスも入れて、四人で遊んだことは何回かある。まあ、どれも退屈だったけれど。
そんなこんなでミキヤに付き纏われるようになった四月から、もう夏休み手前の七月。
最近は綾子や仲のいい友達と結託してなんとかヤスとミキヤをうまく撒いているけど、そもそもそんなことをいちいち考えるのが面倒。しかも今日みたいに授業と授業の間のちょっとした時間に絡まれたらどうしようもない。
「あ、そろそろ戻らなきゃ……」
携帯を開いて時計を確認する。あと二分で授業が始まるところだった。
「ああ! もうほんっとにサイアク!」
トイレに誰もいないことを確認してから、少し大きな声で心の中のミキヤを叱った。
——おれさ、多分ずっと前から……。
心の中からミキヤが出て行って、代わりに浮かんだのは、健気に笑う小さい男の子。
「違う……違うの……あなたじゃない」
私は胸が苦しくなって、その場にうずくまる。
心のどこかで、久留島駅で会った彼に文句を垂れる。
「どうして二十七日に予定入れてるのよ……」
遠くでチャイムの音が聞こえる。いや、これは高校のチャイムじゃない……? これって……。
*******
『あ、おはよ! 今日もいっぱい遊ぼう!』
誰かの声で目が覚める。いや、意識が戻る、と言った方がいいのかもしれない。
『……クゥちゃん。どうしたの? 元気ないよ?』
私の目の前には、スモックを着た幼稚園児が二人。クゥちゃんと呼ばれた女の子と、その女の子を心配そうに見つめる男の子。
クゥちゃんは、自分でも驚くほどに、小さい頃の私に似ている。
『え? ううん。全然へいき』
女の子は舌足らずな声だった。
『ほんと? なんか変だな』
『何もないよ。ほんと』
『なら、いいんだけど』
男の子はずっと心配そうな顔をしている。
『ごめんねかいと。でもへいきだから』
どうやら男の子の名前は『かいと』らしい。……かいと? その名前、つい最近どこかで聞いたことあるような……。
『そっか。ならいいんだ。それじゃあ今日も一緒に遊ぼうよ!』
『うん!』
かいと君もクゥちゃんも、元気いっぱいだ。私はなんだか、ほっこりとした気分になる。
「それにしても、これはどういうこと? 夢?」
次第にはっきりとしてきた意識の中で、私は周りを見る。
キリンを模した大きな滑り台。ゾウやパンダの形をしたビヨンビヨンと跳ねる乗り物。海外のお城を
——懐かしい。これが私の、一番最初に抱いた感想。
これは夢だ。私は懐かしさを咀嚼し切ったあと、すぐにそう思った。
だって私が、幼稚園にいるはずない。
変な夢なら早く覚めてほしいと願いつつも、ミキヤが待っている日常が頭によぎり、咀嚼したはずなのに絶えず感じる懐かしさにもたれかかるように、もう少しだけ、もう少しだけ、かいと君たちの日常を見てみようと思った。
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