第17話 【快斗3】
クラスメイトへの挨拶もそこそこに、俺はダイバや恵太、そして茉莉ちゃんから逃げるように帰宅した。
荷物を整理して、制服を掴んで家を出る。
今は風に吹かれながら、バイト先のコンビニに向かうために自転車に乗っていた。
自転車を漕いでいる間、俺は昨日の放課後のことを思い出してしまう。ダイバと茉莉ちゃん、二人の顔が浮かんで消える。
本当なら、思い出さない方がいいことはわかっている。それでも、それができないのが俺だった。
「お、乾くん! お疲れ様!」
ゴミ出しをしていたバイト先の店長が、俺の姿を見て勢いよく手を振り出した。
「店長お疲れ様です。今日もよろしくお願いします」
「うん、よろしくね。……どした乾くん? なんか元気ないよ?」
店先に設置されているゴミ箱をバタンと閉めて、店長は俺の元へやってくる。
「え? そうですか?」
「うん。そう見えるよ。あ、さてはまた夜遅くまで勉強してたな?」
こんな風に、店長はいつでも変わらずフランクに接してくれる。大変なことが多いだろうに、大人はすごいなと思う。
「たしかに夜遅くまで起きてましたけど、バイトに支障が出るほどではないですよ」
「うん。ならいいんだ。でも無理はするなよ?」
「はい」
店長がドアを開けて、店の中へ促してくれる。
「ありがとうございます」
「ま、今日は火曜日だからお客様も少ないだろうし、ゆっくりやっていこうよ」
「そうですね。頑張ります」
頭を下げて、バックヤードに向かった。
「いらっしゃいませー!」
店長が来店したお客さんに声をかけた。俺もそれにならって声を出す。
「ごめん乾くん。ちょっと確認しなきゃいけないことがあるから、一人でレジ任せちゃっていい?」
「わかりました」
「なんかトラブったら、事務所にいるから呼んでね」
そう言うと、店長はそそくさとレジを離れて事務所の中に入っていった。
俺は改めて店内を見渡す。
今、お店の中にいるお客さんは三人。ジャージ姿の不遜な印象を受けるお兄さん、スーツ姿でくたびれた感じのお姉さん、そして、たった今来店したばかりの、すごくオシャレなハットが目立つ身なりのいいおじいさん。
仮にこの三人が弁当を手に取り、同じタイミングでレジに並んで温め待ちになったとしてもなんとかなりそうだ。
お姉さんは週刊誌を立ち読みしていて、おじいさんはコーラを二本手に取って何かに悩んでいるようだった。
残りの一人、ガラの悪いお兄さんがゆっくりとした足取りでレジにやってくる。手には何も持っていなかった。
「一番端にあるやつの
俺の後ろにあるタバコの棚を一通り見た後、お兄さんは財布の中身を確認しながら言った。
「六番のロングですね。こちらでよろしいでしょうか?」
「おう」
「お会計四百八十円になります」
「いや、カートン」
「かしこまりました。そうしましたら、お会計が四千八百円になります」
「あれ? このタバコって一個四百七十円じゃなかった?」
お兄さんは少し考えた後、俺に向かってそう言った。
「六月から十円値上がりしたんですよ」
無理やり笑顔を作って答える。
「あれ? そうだっけ? んだよ、もっとカートンで買っときゃよかったなあ」
舌打ちをしながら、お兄さんは財布から五千円札を取り出した。
「五千円お預かりします」
「あ、ここのコンビニってライターくれたりしないの?」
俺がレジの操作を始めたとき、お兄さんが言った。
「申し訳ございません。そのサービスは当店ではやってないんですよ」
手を止めて頭を下げる。
「はあ、んだよケチだなあ。じゃあちょっと待って」
そう言うとお兄さんはレジを離れて、商品棚に向かって歩き出した。
「あの、お客様?」
俺が声をかけようか迷っていると、お兄さんはライターを片手にレジに戻ってきた。
「もうレジ打っちゃった?」
「あ、いえ、まだですけど……」
「ならこれも一緒に会計して」
ライターがレジの上に、少し乱暴に置かれた。
「かしこまりました。お会計変わりまして、四千九百三十円になります。五千円お預かりしていますので、七十円のおつりになります。袋はどうなさいますか?」
「いや、そのままで。レシートはいらない」
お兄さんはおつりを財布に入れると、レジの上のライターとタバコを雑に掴んで店の外に出て行った。
「ありがとうございましたー」
お兄さんの耳には届いていないだろうけど、俺は店の出入り口向かって軽くお辞儀をした。
頭を上げて、大きく息を吐く。未だにタバコ関連の注文は緊張する。特に今のお兄さんみたいな、いつ怒るかわからないガラの悪い人ならなおさらだ。
「お疲れの様子だねえ」
いつの間にか俺の横に立っていた店長が言う。
「あ、すみません」
ため息をついていたところを見られて、俺は焦って店長に頭を下げる。
「いやいや、怒ってなんかないよ。それよりさ、さっきのガラの悪い
店長は店の様子を伺いながら言う。
「いや、ずっとタメ口でしたよ」
「あー、やっぱりね。いやさ、これは偏見みたいになっちゃうんだけどね、ああいうタイプの人って絶対タメ口なんだよね。特に自分より年下に見える店員には。まあ、タメ口使われても仕事だから我慢するけどさ。
だからね、僕がお客になったときは絶対に店員さんには敬語使うよ。乾くんもさ、言葉遣いには気をつけた方がいいよ」
「そうですね。気をつけようと思います」
「おお、乾くんは本当に真面目だねえ。
あ、そうだ。あそこにいるお客様、乾くんはどう思う?」
店長が耳打ちをしつつ、店内にいるハットを被ったおじいさんを指差した。
俺は店長の指差す方を見る。店内にいるのはおじいさんだけで、スーツ姿のお姉さんは立ち読みだけして帰ってしまったようだった。
「どうって、どういうことですか?」
店長の質問の意図がわからなくて、俺は聞き返す。
「めっちゃオシャレじゃない? 年相応で、気品があるって言えばいいのかな」
その言葉を受けて、俺は改めておじいさんのことをよく見る。
店長の言う通り、おじいさんはとても気品があるように見える。
「そうですね。それに、背が高いから余計にカッコよく見えますね」
「うんうん。ああいう人は絶対に店員さんにタメ口は使ったりしないね。賭けてもいい。
はあ、僕もああいう、年相応にカッコいいおじいさんになって優雅な老後を過ごしたいもんだよ……」
店長は小さくため息をつくと、カウンターの上にある日報を広げた。
「コーラを買うかどうかで悩んでるのかな?」
店長が日報を書きながら言う。
「二本買うか一本にするかで悩んでるみたいですね」
「コーラ好きなのかな?」
「思い出の味なんですよ」
「え?」
店長が日報を書く手を止める。
「どういうこと? 乾くん、あのお客様と知り合いなの?」
「あ……。いや、なんとなくの想像ですよ」
俺は笑ってごまかす。
「わはは。なんだよそれ」
俺がボケたと思っている店長は、笑いながらペンを走らせ始めた。
想像じゃない。
俺の記憶が確かなら、今コーラを両手に持っているおじいさんは、あの日俺たちに大切なことを教えてくれた人。
そして今、俺が一番恐れていること。それは、おじいさんが俺を覚えていることだった。
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