第15話 【シノ3】と【ダイバ10】
私が駅でぶつかったその人は、なんだか不思議な人だった。
変わってる人って意味じゃない。
言葉ではうまく表せないけど、なんとなく懐かしい気持ちになれる人。
——久しぶり。
ポカンと口を開けていたら、その隙間からそんな言葉が漏れていたと思う。
視線が彼から離れてくれない。きっと今、どこか別な場所に目をやったら、そのままもう二度と彼に会えないような焦燥感。
「あ、あの……」
彼が口を開く。私も彼とお喋りしたいけど、何を話せばいいのかわからない。
「……はい」
「久留島高校の人ですよね?」
私の服装を見て、絞り出すかのように彼は言った。
「そうですけど……あなたは瀬田西高校の人?」
「はい」
「それじゃあ、もしかしてバスケットシューズの?」
「あ、そうです。まあ、正確には俺の友達が忘れ物をしたんですけど……ははは」
「ああ、そういうこと。実は私も友達の付き添いなんです。……ふふ。奇遇ですね」
彼も私も、乾いた笑いでその場を繋ごうとしている。
「そうなんですか。えっと、友達は今どこに……?」
私の友達を探すような言葉とは裏腹に、彼は私から目を離さなかった。
「あ、そういえば……どこに行ったんだろう?」
私のそばに綾子はいなかった。けれど綾子のことだから、今も忘れ物をした人のことを探しているのだろう。
「まあ、多分あなたの友達を探してるんだと思います」
私はただの付き添い。だからこそ無責任に、綾子のことは深く考えずに言う。
「そうですか。ならよかった」
彼の言葉にも、私と同じような無責任さを感じる。
——彼の心の中を知りたい。今、私の目の前にいる彼は、一体何を思っているのだろう? 私と同じで、懐かしさだとか、あなたが風のように消えてしまいそうな不安な気持ちとか、そういうのを感じているのかな?
私は何を言えばいいのかわからなくなって、じっと彼の目を見つめる。きっと、彼も同じだった。
普通なら今頃、余計なお喋りをやめて一緒に綾子たちを探している。だって今ここで私たちが出会った理由はそれだから。
それなら、どうして私たちはお喋りもせずに見つめあっているんだろう?
——わからない。
どうして彼に、言いようのない懐かしさを感じるんだろう?
——わからない。
どうして彼の顔を見ていると、何かを思い出しそうになるんだろう? その何かを思い出そうとすると、どうして不安な気持ちになるんだろう?
——知りたくない。
頭の回路がショートしたような気がする。
——それでも私は……、
*******
ある言葉が、俺の喉の奥にこびりついていた。
何を話せばいいのかわからなくなった俺が彼女を見つめていたその瞬間から、それほど時間は経っていなかったと思う。
「おーい! ダイバー!」
駅の改札口には相応しくないくらい大きな声で、恵太が俺を呼んだ。
「……おう」
俺は憂鬱な朝が来たような気持ちで恵太の声に答える。
「……あの背の高い人が、あなたのお友達?」
彼女も彼女で、長い眠りから覚めたようなトーンで俺に話しかける。
「そうです」
「あ、シノー!」
恵太の横には、久留島高校の制服を着た、とても綺麗な人が立っていた。
「綾子……」
綺麗な人は俺たちに向かって手を振る。俺の横にいた彼女がそれに反応する。
「それじゃあ、あの綺麗な人が君の友達?」
「はい。無事に出会えたみたいですね」
恵太は綾子と呼ばれた女の子と何かしらのアイコンタクトをしたあと、一緒に俺たちの元にやってきた。
「ダイバ! この人があのバッシュの人で、百井 綾子さんって言うんだ! ちゃんと会えてよかった〜! ……僕の言った通り、可愛いでしょ?」
「シノ! この人があの忘れ物をした、栗原 恵太くんだよっ! 今日はちゃんと渡せてよかった〜。……ね? 悪い人じゃないでしょ?」
「そうか。よかったな恵太」
「そう。よかったじゃない綾子」
ここで恵太と百井さんは一呼吸置いて、お互いに向き合った。
「綾子さん。こいつは僕の友達で——」
「栗原くん、紹介するね。この人は私の友達の——」
恵太が手のひらを向けて俺を百井さんに紹介する。
「「どうも」」
言いながら、俺は百井さんに頭を下げる。百井さんの言葉を受けた彼女も同じように恵太に頭を下げていた。
「……なんか二人の声、いいカンジにハモってたね」
「……そうだね」
恵太と百井さんの声が震える。一拍置いて二人が同時に吹き出した。
「ちょ、ちょっと綾子……」
彼女が恥ずかしそうに百井さんの腕を掴む。
「だって……あはははは! おかしいんだもん」
「あはは! もう一回やってみてって言ってもできないくらい綺麗なハモりだったよね」
「ね! そうだよね!」
恵太と百井さんが二人で盛り上がる。この様子だと、今日の付き添いはいらなかったんじゃないかと思うくらい、二人の相性は抜群な気がする。
「あはは……ふう。
あの、えっと……ダイバ、さん? ダイバってあだ名ですよね? 私もそう呼んでもいいですか?」
波が徐々に引くように笑い声が消えていく。
少し息を吐いたあと、百井さんが俺を見て言う。
「もちろんです。あと、“さん”はつけなくていいですよ」
「やったー! じゃあ、ダイバくんって呼びますね! あ、それと、私のことは綾子かアヤって呼んでください!」
「なら、アヤちゃんって呼んでもいいですか?」
「お、アヤちゃんってなんかいいかも。よろしくね! ダイバくん!」
百井さん……もとい、アヤちゃんはとても社交的で、恵太の前情報よりも美人だった。それこそ恵太が一目惚れするのも頷けるくらい。
恵太の好きな人でなければ、そして、アヤちゃんに会う前に彼女と出会っていなければ、俺がアヤちゃんに惚れていたかもしれない。
そんなことを思いながら、俺は彼女を見る。
「そういえば二人とも、僕と綾子さんが来る前に一緒にいたよね? もしかして……知り合いとか?」
恵太が俺と彼女の顔を交互に見る。
「うーん。知り合いではない、かな」
「……そうね。強いて言うなら……ぶつかり合い?」
彼女の発言に、アヤちゃんは下を向いて肩を震わせる。
「シノ……面白いこと言わないで」
「もしかしてシノさんって、天然?」
笑いを堪える恵太とアヤちゃんに、彼女の顔が真っ赤に染まった。
「……やっちゃった」
「でも、面白かったですよ?」
「面白いなら尚更マズイの」
俺の言葉に彼女は恥ずかしいような、怒ったような表情を浮かべた。
「あ、そうだ。彼女のことは、シノって呼んであげてねっ!」
真っ赤な彼女の横で、アヤちゃんが手のひらを彼女に向けて言う。
「あ、そうだね。シノさんかあ。よろしくお願いします!」
恵太が頭を下げる。
「綾子……今この状況で改めて私の紹介しなくていいから」
アヤちゃんに文句を言いながらも彼女は律儀に頭を下げる。
「えー、今が絶好のチャンスだと思うんだけどなー?」
アヤちゃんがニヤニヤしながら答える。どうやらアヤちゃんなりにこの場を盛り上げようとしてくれているらしい。
「このままだと私は天然な人ってイメージがついちゃうじゃない」
「大丈夫だよっ! シノの天然なところは私も初めて見たから」
「うう……なんで今日に限って……」
もう一度彼女が顔を手で覆う。指と指の隙間から赤く火照った顔が見える。
そんな様子の彼女を見て、俺はなんだか嬉しくなる。なぜかはわからない。
「あのさ」
「な、何よ?」
「俺、君のこと……」
「……はい」
多分ずっと前から——。
「……いや、俺も君のこと、シノさんって呼んでいいかなって。……ただ、それだけ」
喉から剥がれ落ちそうになった言葉を必死に抑えて、俺は適当な話題でごまかした。
それに対して彼女は何かを答えるわけでもなく、じっと俺を見つめる。
少しだけ、彼女の眉間にシワが寄る。「あなたが本当に言いたいことはそれなの?」と言われているような気がした。
「あ……そうね。好きに呼べば?」
冷たい言葉。夏だというのに背中に嫌な汗が流れる。
「わかった。……よろしく」
俺の言葉に、彼女はもう何も答えてくれない。シノさんは風のように、どこかへ飛んでいってしまったかのようだった。
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