第92話



***




 王太子カーライルが妃ヘンリエッタと供の者を伴って現れたので、見張りの兵士は背筋を正した。


「これは王太子殿下」

「ご苦労。兄上の御様子は」

「はっ。お変わりなくお静かに過ごされておいでです」

「そうか」


 カーライルが扉に手をかけようとしたため、兵士は慌ててそれを制した。


「殿下。危険ですのでお入りになるのは……」

「馬鹿馬鹿しい。王太子である私が兄である公爵に会うのになんの危険があるというのだ」


 カーライルは冷たい目で兵士を睨んだ。


「心配はいらない。護衛を連れているし、ヘンリエッタと侍女達は中には入らない」

「はあ……」


 カーライルは若い騎士を一人連れて入室した。妃ヘンリエッタはその場で王太子を待つようだ。彼女の連れている三人の侍女のうち二人が、にこやかに兵士達に話しかけてきた。


「お疲れ様でございます」

「大変ですね!疲れていませんか?」


 若い令嬢に微笑みを向けられて、兵士達は戸惑った。


「え?は、はあ……」

「普段はどんなお仕事をされていますの?」

「カーリントン公爵閣下のお部屋の護衛を任されるだなんて、とても信頼されておられるのですね」

「誰にでも任されるものではありませんわ」

「本当ね!素敵だわ!」


 兵士達も若い男だ。美しい微笑みを向けられ心地よい褒め言葉を囁かれれば悪い気はしない。どころか、気分はふわふわと上昇する。


「悪い人と戦ったりもするんですか〜?強い男性って憧れちゃいます!」

「やはり剣を持つ殿方はたくましいですわ……あらいやだ、私ったらはしたないわ。ごめんなさい」


 無邪気に目をキラキラさせるリネットの愛らしさと、品よく扇の陰で恥ずかしそうに微笑むマリッカの色香に、兵士達は顔を赤くして直立不動で立ち尽くしていた。





 扉が開いた音に顔を上げると、カーライルが騎士を一人連れて部屋に入ってきた。


「兄上、急いでください」

「なに?」


 カーライルと共に入ってきた騎士がいきなり上着を脱ぎだして、ヴェンディグは目を瞬かせた。


「これを着てください」


 脱いだ服を手渡されたヴェンディグが戸惑っていると、騎士はシャツを着崩して髪をばさばさと乱した。


「あまり触ると染め粉が落ちるから気をつけろ。兄上、この者が身代わりになります。兄上は騎士のふりをして出てください」

「なんだって?」

「初めまして公爵閣下。こんな形でご挨拶して申し訳ありません」


 どうやら髪を染め粉で黒くしただけの青年が、苦笑いのような表情を浮かべた。


「私はサイロン伯爵家のパーシバルと申します」

「サイロン……?」

「レイチェルの、元婚約者です」


 ヴェンディグは言葉を失った。


「レイチェルは兵士に捕まりました。今、城の地下にナドガ様がおられます」

「兄上、ナドガの元に案内します。お早く準備を」


 促されて、ヴェンディグは戸惑いながらも騎士服を羽織った。先ほどまでヴェンディグが座っていた椅子にパーシバルが座って、膝を抱えて顔を隠すように俯いた。


「公爵閣下、レイチェルを頼みます。彼女を助けてください」


 捕らえられているヴェンディグの身代わりになったパーシバルがそう懇願した。

 ヴェンディグは何か言おうとしたが言葉がみつからず、ただ頷くだけにとどめた。


「行きましょう、兄上」

「……ああ。パーシバル殿、感謝する」


 騎士服を着たヴェンディグは、カーライルの後に続いて扉の外に出た。


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