第37話

***


「今度は何の用だ」


 朝っぱらからニヤニヤしながらやってきたカーライルを目にした瞬間、ヴェンディグは即座に追っ払おうと決意した。


「いやだなぁ、先日は話が途中になってしまったので、改めて婚約式のお話をですね」

「帰れ」

「それとも婚約式はすっ飛ばして結婚式にしましょうか? そうと決まれば忙しくなるなぁ!」

「勝手に決めるな!」


 ヴェンディグは拳で机を叩いた。


「帰れ!」

「健気な弟が少ない時間をやりくりして会いに来たというのに、まったく……美しい婚約者が出来た途端に私を捨てるのですね……」

「うるさい!」


 芝居掛かった仕草で額を押さえるカーライルに、ヴェンディグは顔を赤らめて怒鳴った。


「ふっ。私を追い払ったところで、婚約式か結婚式を挙げるまでは第二第三の刺客が現れることをお忘れなく!」


 その第二第三の刺客とはおそらく、王妃王太子妃あたりだろう。カーライルよりさらに追い返せる気がしない。想像しただけでヴェンディグはげんなりした。

 両陛下とカーライル、カーライルの妃となったヘンリエッタは数少ないヴェンディグの「蛇の呪い」を恐れない者達だ。だが、彼らが恐れなくとも、周りはそうはいかない。宮廷貴族達の中には両陛下と王太子であるカーライルがヴェンディグの元を訪れるのを良く思っていない者も多い。


「早く首を縦に振ってくださいよぉ。言質を取らずに帰ったらヘンリエッタに怒られるのは私なんですからね」

「……はあ」


 ヴェンディグは肩を落として溜め息を吐いた。


「そうだ、兄上。せっかくですからレイチェル嬢にも挨拶させていただきたいのですが」


 カーライルの申し出に、ヴェンディグはそっぽを向いた。


「レイチェルは……あー、今日は体調が悪くて、だな……」


 もごもごと煮え切らない返答にカーライルが眉をひそめた時だった。

 廊下を早足で歩く靴音が響き、勢いづいたノックの後に涙目のレイチェルが飛び込んできた。


「閣下! 昨夜は申し訳ありません! 私、まさか気絶してしまうだなんて……あんな経験初めてでっ、あまりに衝撃的で……だからと言って気を失って閣下に迷惑をかけてしまうだなんてっ……て、お、王太子殿下!」


 カーライルの存在に気付いたレイチェルがびしっと背筋を正した。

 カーライルはレイチェルを見た後でヴェンディグの顔を見て、ニヤーッと人の悪そうな笑みを浮かべた。


「いい朝ですね、レイチェル嬢! 残念ながら執務があるため私はこれで!」

「おいっ……」


 ヴェンディグは立ち上がってカーライルを呼び止めようとしたが、弟は実に素早い動きで軽やかにヴェンディグの前から去っていった。


「誤解だっ! そうじゃないっ!」


 カーライルが走り去った廊下に顔を出して叫ぶヴェンディグに、レイチェルは目をぱちぱち瞬いて首を傾げた。



***


 レイチェルは落ち込んでいた。

 あれだけ無理言って連れていってもらっておきながら、何の役にも立たなかったばかりか、気絶してヴェンディグに迷惑をかけてしまった。ヴェンディグの服を着たまま寝台に寝ていた自分に気づいた時、レイチェルは情けなさに泣きたくなった。


 そんなレイチェルを目にした侍女とメイドが「公爵様の趣味……?」と囁き交わしていたが、あれはどういう意味だろう。


「ああ〜……もう、閣下には呆れられてばかりだわ……」


 レイチェルはソファに腰掛けて、抱きしめたクッションに顔を埋めた。昨夜の失態を思い返しては羞恥でばたばたするのを繰り返していたところ、午後になる前にメイドが手紙を持ってきた。


「マリッカだわ」


 手紙は親友からで「いろいろ聞きたいことがあるし話したいことがあるから我が家へ遊びにきなさい」という内容が、ぎりぎり無礼じゃない表現で記されていた。親友らしい手紙に、レイチェルは微笑んだ。


(聞きたいことは、もちろんことの詳しい経緯と私が今どうしているかよね。話したいことというのは、おそらく我が家のことだわ……)


 自分の両親と妹がどうなっているのか、少しは気になるが、あまり心配はしていない。健やかに過ごしていると確信して安心している訳ではなく、どうでもいいという気持ちがあるのだ。そんな自分を薄情だとは思うが、今のレイチェルは彼らよりもヴェンディグのことで頭がいっぱいだった。


(リネットにはパーシバルが付いているからきっと大丈夫だわ)


 両親よりは気になるし心配ではあるリネットのことは、パーシバルに任せておけば大丈夫だろうと思う。

 だから、彼らに対してレイチェルがすべきことは何もない。


「……マリッカに返事を書かなくちゃ」


 その後のお茶の時間に、ヴェンディグに友人のところへ遊びに行っていいか尋ねるとあっさりと許可が出た。


「私が閣下の秘密を友人に話さないか心配ではないのですか?」


 思わずそう尋ねると、ヴェンディグはふっと笑った。


「俺の役に立ちたいと熱心に言い募って蛇の背にまで股がる令嬢が、俺を裏切るはずがないからな」


 レイチェルは赤面した。


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