第54話 素直な言葉

 

 まだ幼い少年、ルヴァイスは目を覚ました。

 そこはいつものお気に入りの場所。

 王族の血筋しか入れない王宮の地下にある図書室。

 剣の練習が終わるとこっそり部屋を抜け出して、ここにこもって本を読むのが少年の日課だった。


 人間が隠した歴史。

 降魔戦争以前の世界。

 エルフと魔族の戦い。



 そういった歴史を勉強するたびにこの世界のいまの不条理な生い立ちと、それを変えなければいけないという思いが募る。


【聖気】なんていらない世界になれば、竜神官やリザイア家に世界は縛られる事がなくなるのに。

 そうすればもっと飢え苦しむ人々だっていなくなるはずだ。


 けれどこれを口にすることは竜神官達に逆らうに等しい。


 王族は昔から竜神官達に逆らえない。


「……聖気のいらない世界なんて夢だよね……」


 ルヴァイスがぽつりとつぶやいた途端。


 カタンと物音がした。


「誰っ!!」


 ルヴァイスが本をとじそちらに視線をむけると、そこにいたのはルヴァイスの父親だった。


「……父上」


「ルヴァイス。今言った言葉は外では言うな」


(今の言葉を……聞かれていた?)


 近づいてくる父に、ルヴァイスは身を固まらせた。

 竜神官に逆らうことは許されない。それがたとえ王族であってもだ。

 竜王国は実質竜神官達が支配していて、国王なんて所詮飾りでしかないのだ。その竜神官に逆らうような思想をもつなんて父に叱咤されるだろうか。


 ルヴァイスが恐怖で身を固まらせていると父の手がルヴァイスの肩に置かれる。


 ――だが、夢をもつのは悪いことではない。自分の信じるものを貫きなさい――


 30年前の父のセリフ。ルヴァイスはその言葉で、夢を目指した。

 いままで自分のことを卑下してばかりで自信のなかった少年が変われたのは父のこの言葉のおかげだった。

 父もまた自分と同じ夢を持っていた。

 けれど竜神官に逆らうような思想を跡継ぎであるルヴァイスに話すことはできず、ずっと隠してきたのである。


 もし、ルヴァイスを自分と同じ道を歩ませてしまえば、ルヴァイスもまた竜神官達に敵視されてしまうため、ルヴァイスの父はずっとルヴァイスと距離をとってきたのだ。


(父上も僕と同じ思いだった! 父上は僕が大事だから僕と距離をおいてたんだ!)


 ルヴァイスがうれしくて顔をあげる。


 --だが。


 顔をあげてそこにいたのは父ではない。


「……大司教様……」


 父の恰好をした大司教だった。

 なぜか先ほどまで父のいた場所に大司教が笑いながら立っていた。

「悪い子ですね」と笑うと、地面から黒い蔦のようなものが現れる。


「や、やめっ!!!」


 蔦から逃げようとしても、黒いそのなにかはルヴァイスに絡みついて徐々に体を飲み込んでいった。


「悪い子にはお仕置きですよ。大丈夫すぐ意識を手放せば苦しみませんから」


 嫌だ。

 助けて!!


 夢を持つことはそんなにいけない事?

 このままでは世界から聖気がなくなって生き物が生きていける世界じゃなくなってしまうかもしれないのに、竜神官達のために見て見ぬふりをしなくちゃいの?


「そうですよ、ルヴァイス様、あなたはいい子に私の言うことを聞いていればいい」


 そうしたら怒らない?

 いい子になればいい?

 父上に愛してもらえる?


「ええ、あなたは夢など見なくていいのです。ただ私の言うことをいい子に聞いていれば、御父上にも死んだ母上にもみなに愛してもらえますよ」


 大司教の言葉が頭の中に響くたび、何も考えられなくなる。


「さぁ、その黒い蔦に飲まれなさい。そうすれば私が愛してあげましょう」


 ああ、そっか。いい子にしていればいいんだ。

 そうしたら誰も愛してくれなかった僕は愛してもらえる。

 逆らう悪い子は嫌われちゃう。


 夢なんてもたなくていい――。


 そう思って逃げようとした手を下そうとした瞬間。


 何かに手をつかまれた。


 黒い何かに侵食されていくなか、わずかな隙間から見えたのは泣きながら自分の手をつかむ少女の顔。


 ……誰?


 どうして泣いてるの?


『あきらめないでっ!! ルヴァイス様は約束してくれた!!

 一緒に夢を目指そうって!!

 夢を目指すのは悪いことじゃないよ!!とっても素敵な事だから!!

 そしてそれが大事だって教えてくれたのはルヴァイス様!!」


 そういって一生懸命にルヴァイスの手を引くけれど、少女の力は弱く、今にも手が離れてしまいそうになる。


 ――ルヴァイスーー


 今度は頭の中に父の声が響く。

 威厳があっていつも厳しかった父。

 それが故、幼き頃は愛してもらえていないのだと、ずっと思っていた。

 けれど夢を語った事で、父が厳しかった理由も誤解も解けた。


 父がルヴァイスを避けていたのは愛故だったことも。」


 ――手を伸ばしなさい。そして求めることは恥ずかしい事ではない――


 求める?何を?


 ――目の前の少女を信じなさい。今の気持ちを正直に言う、それも勇気だ。

    私たちはそうやって誤解をといたのだったろう?――


 優しく父が微笑んだ。


 ああ、そうか。

 自分は結局、守るなどと口だけで何も守れていなかった。

 自分が死に力を失えば、ソフィアを危険にさらす可能性が高いのに、自分なら耐えられると意地をはったために結局はすべてを失いかけている。


 もっと頼るべきだったのだ。ソフィアやテオ達を。

 痛みを我慢すればいいとじっと我慢していたせいで結局は彼らに迷惑をかけている。


 我慢は美徳じゃない。傲慢なだけだ。


 もし自我を失い身体を乗っ取られてしまえば、後ろ盾のなくなったソフィアや研究所員は殺されてしまう。


 一番守りたかったものが何も守れなかった。


 父の夢も。

 ソフィアの夢も。


 そして自分自身の夢も。


 うぬぼれていた。

 自分なら一人でなんでもできると思っていた。


 ソフィアの力で呪いを和らげる方法を先に見つけておくべきだったのだ。


 なぜ素直に苦しい、助けてくれの一言が言えなかったのだろう。

 優先順位を見誤った自分のミスだ。


 犯してはいけなかったミス。


 今からでも間に合うのだろうか?


 このような小さな少女に自分が求めて許されるのだろうか?


『ルヴァイス様っ!』


 本来なら聞こえるはずのないソフィアの声が聞こえる。


 懸命に伸ばす手に必死に手に力をこめる。

 けれど幼いルヴァイスの体はどんどん黒い蔦に飲み込まれていく。 


「……たすけて、助けてっ!!お願いっ!!」


 少年が叫びながらソフィアをつかんだ瞬間。


 ソフィアから放たれた光が、すべてを薙ぎ払った。


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