ティアレッタ

「本当にありがとうございました……」


 そう言って彼女が歩きだそうとしたときだった。

 不意に彼女の彼女の足がもつれたかと思うと、ふらふらっとよろめく。


「大丈夫ですか!?」


 近くにいたリンが慌てて彼女の体を支える。


「すみません、ちょっとふらついて……でも大丈夫です」

「でも、顔色悪いですし、すごく軽いです!」


 リンが驚いたように言う。

 少女の表情は先ほどとは打って変わって蒼白になっていた。また転んだ拍子にローブの裾がめくれたが、そこから見えた足はかなり細くなっているように見える。

 そして止めを刺すように、彼女のお腹がぐぅ~、と鳴った。


 「王女」を手放して追われているという緊張が解け、これまで我慢していた空腹が堪えきれなくなったのだろうか。


「……もしかして、しばらく食べてないのか?」

「は、はい……」


 そう言って彼女はリンの腕の中でうなだれる。

 リンは俺の表情をうかがうようにこちらを見る。

 俺は先ほどもらった金貨の袋をちらっとリンに見せた。


「『王女』の職業とこれだけのお金をもらったんだ、さすがに見て見ぬ振りはできない」

「分かりました。でしたら私が介抱します」


 そう言って、リンはなぜか俺から少女を守るように抱き上げる。

 確かに、男の俺が彼女を連れているとまるで誘拐しているように見えてしまう。




 その後近くの店で三人分の夕飯を買い、宿を三部屋とり、俺たちはそのうちの一室に集まる。


「食べられますか?」


 そう言ってリンがパンをスープに浸して少女の口元に持っていく。

 すると彼女はゆっくりとそれを食べた。


「良かった……」


 リンが次々と食事を食べさせていくと、次第に少女の血色はよくなっていく。

 そして途中からは自分でフォークをとって食べるようになり、あっという間に彼女の分を完食した。やはり疲労と空腹が安堵であふれ出して思わず倒れそうになったのだろう。


「すみません、職業のことのみならず助けていただいてありがとうございます……」


 食べ終えると彼女は我に返ったように俺たちに頭を下げる。

 やはり育ちがいいのか、礼の仕方も丁寧だ。


「とりあえず平気そうで良かった」

「でもなぜあんなに空腹だったんです?」


 リンが首をかしげる。確かに彼女はあれだけの金貨を持っていたのに。


「実は、持ち出したのが全て金貨で……。途中で食べ物を買おうと思ったとき、これで買ったら怪しまれるんじゃないかって」


 確かに、ただの夕食を買うのに金貨を出すのは明らかに不自然だ。黒ローブで身なりを隠していることもあって怪しいこと極まりない。そしてもし正体がばれればすぐに連れ戻されてしまうだろう。


「なるほど」


 改めてローブを脱いだ彼女を見ると、長くてきれいな金髪に透き通るような碧眼、人形のように整った顔立ちをしている。

 そしてローブの内に着ていた服もぼろぼろになってはいるが、おそらく王族が着るような高級な生地の部屋着だろう。

 また、ローブの上からでは分からなかったが、スタイルもよくてぼろぼろになった服から意外と大きい胸が見えかけている。


「あの、さすがに事情を話していただけませんか?」


 リンは丁寧ながら有無を言わせぬ口調で尋ねる。

 ここまでしてしまった以上ご飯だけ食べさせて放りだす訳にもいかないし、それにはある程度の事情を聴いておきたい。


 少女は話すことに少し戸惑いがあるようで、しばらく俺とリンの顔を見比べていたが、やがて決意したように口を開く。


「はい、私の名前はティアレッタ・エートランド。隣国エートランド王国の”元”王女です」


 予想していたとはいえ、改めて名乗られると驚いてしまう。


「私は王女とはいえ、我が国では王家の力はあまり高いものではありませんでした。というのも、今の王、父上は『国王』ではなく『貴族』の職業しか授かることが出来なかったからです。他にも国王にふさわしい職業を持つ者はいなかったのですが、それを見た貴族たちは国王も所詮自分たちと同格だと思い、次々と王家の権力を奪っていきました」

「……」


 職業による弊害は隣国でも起こっていたらしい。


「そして、貴族たちは私と自分たちの息子を結婚させることで、息子を次期国王にしようとしたのです」

「国王がいないのであれば、王女の夫がふさわしいという訳か」


 理屈はよく分からないが、ティアレッタの父親は「国王」ではなかったのにティアレッタは「王女」だったということらしい。つくづくグローリア神のやることはよく分からない。


「はい。しかし一人がそれを始めると、当然他の貴族も同じことを考えます。国王になれる人物は一人しかいません。このままでは私の奪い合いで内乱が起こると思い、私は国を抜け出そうと決意したのです」

「そうか。政治的なことはよく分からないが、よく決意したな」


 この年の少女が、王女として何不自由ない環境で育ったというのに、全てを捨てて逃げ出すというのは並大抵の決意ではないだろう。

 しかも王宮を脱出しても追手は出るだろうし、正体がばれないように脅えながら暮らさなければならない。


「ありがとう……ございます」


 その時のことを思い出したのか、ティアレッタの目に涙がにじむ。


「これからどうするか、当てはあるんですか?」

「いえ……。とりあえず隣国に行こうとは決めていて、逃亡中にアレンさんの噂を聞いて、『王女』さえ捨てれば自由になれるのではないかと思っていました。なのでその後のことは……」


 再びティアレッタは申し訳なさそうな表情になり、口をつぐむ。

 この状況でそれ以上のことを考えておくべきだ、というのはさすがに酷だ。

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