【13】




 蒼澄は目覚めた、けど、部屋から出てこなかった。


「もう三日はこうしてるんだ……」


 小五郎の力なき声が朱音の耳に届く。表情は分かりやすく意気消沈していた。となりに控えるノザーテが優しく肩を抱いている。


 蒼澄が目覚めて以降、朱音は足繁く藤田家に通い彼の様子を見ようとした。


 だが、彼は家に帰ってからずっと、部屋にこもりきりだった。誰に会うことも、話すことも拒否している。小五郎にも、ノザーテにも、リコにも、栗子にも、ルカにも、そして、朱音にも。


「それだけなら、まだ良い……根気よく付き合えば良い、その覚悟は出来ている……けど」


「ご飯をね、食べてくれないの」


 小五郎の言葉に、ノザーテが続いた。


「この三日、何度部屋の前に食事を持っていってもほとんど手を付けてくれないの……水でさえも。どんなに説得しても、かたくなに」


 ノザーテの瞳にも涙が浮かび始める。小五郎は、悔しげに頭を掻きむしっていた。


「リコ、あなたでも駄目だった?」


 朱音の問いかけにリコが寂しげに首を振る。


 蒼澄とリコは非常に仲が良い。お互いにブラコン、シスコンといっても良いほどだ。蒼澄がリコを悲しませるところを朱音は見たことがなく、それゆえに、色々と嫉妬したものだった。


 だが、そんなリコに対してすら、蒼澄は聞く耳を持っていなかったのだ。


「あなたでも、駄目だったのね……」


「ごめんなさい……」 


「ううん、謝ることじゃないわ」


 今にもしぼんで消えてしまいそうな声で悲嘆にくれるリコに、朱音は優しく彼女に言った。


「三日も飲まず食わずは、流石にもう危険なところにまで来ている。何とかしないといけない」


「ルカも、栗子さんも本気で心配していました……このままではせっかく救われた命がまただめになってしまうと……」


 人は三日水を摂らなければ、命の危険にさらされるという。その理屈で言えば、蒼澄はいつ死んでもおかしくない。


「流石に、もう強引にでも部屋に入るしかない」


 小五郎が、一枚のカードを手に取り見つめる。この家のマスターキーだ。これなら、閉ざされている蒼澄の部屋を開けることが出来る。


「あの」


 決意を固めた小五郎に、控えめながら朱音が声をかける。


「私に……任せていただけませんか?」


 朱音の提案に、小五郎を始めとした全員が目を向ける。


「私は……蒼澄と一度距離が空いて、ここまでずっとそのままです。それに、蒼澄がこんな風になってしまったのも、私に大きな原因があります。信頼しきれないと思うかもしれません。けど、蒼澄を助けたい気持ちは誰にも負けません」


 瞳を凛として、純なる想いを言葉に乗せる。


「私は、恐れ多くもティアエレメンタルを受け継ぎました。ここで蒼澄と向き合うことから目を背けて、その名をこれからも名乗るなんて許されるべきではありません。一番救いたい、守りたい人から逃げつづけて、ヒーローなんかなれるはずがない」


 どこまでも気丈な朱音の言葉を、皆神妙な顔で受け止めていた。


「朱音ちゃん、責任感だけで蒼澄と向き合うつもりなら、やめてくれ。そこまで君が背負うものじゃない」


 小五郎の射抜くような問いに、朱音は即座に首を振った。


「責任感という想いが大きいのは否定しません。けど、蒼澄は私にとって大事な人なんです。何があっても、それだけは変わらない、変えたくない。この想いを、責任感の一言で片付けさせるのは、私自身が許さない」


 言い終わったところで、朱音と小五郎がじっ、と見つめ合う。そのまま、数秒、数分と静謐な時間が流れる。リコもノザーテも、その様子を黙って見守っていた。


「確かに、君が適任だな」


 先に口を開いたのは小五郎だった。


「思えば、蒼澄と誰よりも一緒にいたのは、他ならぬ朱音ちゃん、君だ」


「そんなことは……」


「いや、そうさ。思い返してみれば、俺は、ヒーローという立場を言い訳にして蒼澄と向き合って来なかったんだろう」


 小五郎が遠い目をしている。その目が映すのは、一体どのような光景なのだろうか。


みのるが亡くなった時からずっと、君は蒼澄の側にいてくれた。俺はヒーローだ、それに対して誇りがある。この道を後悔したことはない。だが、その裏で蒼澄に寂しい想いをさせていたのは間違いないんだ」


 藤田小五郎こと、サムライマスクは本邦最高峰のヒーローだ。その分、負うべき責任も大きい。たとえ、家族との時間を犠牲にしてでも戦わなければならないことも多かった。


「その寂しさを埋めてくれたのは、君なんだ。蒼澄は自慢の息子だ。あれだけ優しく思いやりのある子に育ってくれたのは、君のおかげだ。改めて礼を言う、ありがとう」


 小五郎の熱い想いを受けて、朱音も胸の高鳴りを抑えきれなかった。ノザーテとリコが、鼻をすする音が聞こえる。朱音もまた、泣き出してしまいそうだった。


「俺の息子を頼む」


 そうして、マスターキーが朱音に手渡される。文字通り、今の蒼澄と向き合うための鍵だ。


「ありがとうございます!」


「私達は下で待機している、何かあったらすぐに呼んでくれ」


「はい!」


 鍵を受け取り、朱音が力強く言葉を返す。


「朱音さん、これを」


 リコがお盆に乗せたお粥を両手で差し出す。


「普通のご飯だと……胃がビックリしちゃうから……」


「ふふ、リコが愛情こめて作ったんですよ」


「お母さん……」


 ノザーテの言葉に、リコが顔を赤くして口を尖らせる。思わず朱音がくすりと微笑む。


「朱音さん……おにいちゃんをお願いね」


「うん、任された」


 お盆にマスターキーを乗せ、朱音がお粥を受け取る。藤田家の想い自体を受け取った気がした。


「では、何かあったらすぐ知らせます」


 そう言って、朱音は蒼澄の部屋に向かう。


 蒼澄の部屋は二階にある。一段一段を、お粥をこぼさぬよう慎重に歩く。足取りが重いのは、慎重に歩いているからなのか。


(……やっぱり怖い)


 どうしても、朱音の脳裏に恐怖がよぎる。本当は、蒼澄との間に絆なんてものはなくなっていて、醜くも自分はその幻影を追い求めているだけではないのか。


(それでも、逃げない)


 だが、彼女は向かっていく。大事な人のために、今度こそ、向き合うのだ。


 やがて、朱音は蒼澄の部屋の前に着く。


「蒼澄、ごはん持ってきたよ。食べてくれるよね?」


 返事はない。だが、構わずドアの前で問いかける。


「蒼澄、ちゃんと食べて……じゃないと」


「要らない」


 ドアの向こうから聞こえた返事は、あまりにもそっけなかった。


「要らない、何も必要ない、構わないで」


「でも……」


「もう一度言う、構わないで」


 とりつく島もないとはこのことだった。覚悟を決める。お盆を床に置き、マスターキーをドアにかざす、ガチャリという音ともに、鍵が開く。


「ごめんね、蒼澄、開けるよ」


 朱音がそう言って、ゆっくりとドアを開けた。


「構うなって言ったよ」


 明かりもつけず、カーテンも閉めていて部屋は真っ暗だった。そんな部屋の中、蒼澄はベッドの上に布団にくるまり、うずくまっていた。


「出ていって、お願いだから」


「ごめんね……でも出来ないよ」


「関係ない、出て」


「蒼澄、何かあったの? 今度はちゃんと聞くから、話して?」


「話すことはない、出てけ」


「お願い……お願いだから、少しだけで良いから」


 まるで何かにすがるように、朱音が蒼澄に近づいていく。


「やめろ……近づくな!!」


 そう叫んだ途端、蒼澄が凄まじい力で朱音を床に押し倒した。


「あっ……」


「何度も! 何度も! 関わるなと言った! それなのに!!」


 凄まじい怒声が朱音の耳に響いた。一度として見たことがない蒼澄の悲憤に、朱音は、抵抗する気力がなくなってしまった。


 眉間は青筋を何本も立て、歯を限界まで食いしばっている。朱音を抑えつけている腕は、肉を握り潰すのではないかという勢いで力が込められていた。今の蒼澄は、朱音の知る蒼澄とは似ても似つかなかった。まるで一匹の獣だ。


(ああ……これは罰なんだ)


 朱音がきゅっと目を閉じる。


(蒼澄をこんな風にしたのは私なんだ……だからこれは、私が受ける罰なんだ)


 大事な幼馴染の豹変は、朱音の心を恐怖で蝕んだ。だが、恐怖以上の覚悟をもって、朱音は蒼澄を受け入れるつもりだった。


 知らずに知らずに、朱音の閉じた瞳から涙があふれる。最近は本当に、泣いてばかりだ、そんなとりとめもない考えが浮かんでしまった。


「う、あ……ちが、違う」


 蒼澄が、朱音から手を離す。掴まれていた部分が、あざになっていた。


「ちが……これは、ちがくて」


「蒼澄……?」


「あ、ああああああああ!!!」


 蒼澄が、叫ぶと同時に駆け出した。


「蒼澄!? 待って!!」


 朱音は、すぐに追いすがろうとするも、急に立ち上がろうとしたためか足がもつれてしまった。


「誰か! 誰か蒼澄を止めて!!」


 朱音が、必死に叫ぶ。どうか、彼を止めてくれと、彼をどこにも行かせないでくれと。


 だが、その叫びも虚しく、蒼澄は小五郎達の静止を振り切って、一人、孤独に、外へ飛び出して行ってしまった。

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