【12】



 

 四月一日、おおよその学校が始業式となるこの日、国立東雄高等学校もまた入学式の日を迎えていた。


『それではこれより、新入生を代表して、大和朱音さんより挨拶がございます。大和さん、どうぞ前へ』


 司会の先生に促され、朱音が前に出る。たくさんの生徒からの拍手と好奇の視線にさらされながら、悠然と彼女は歩いた。


『春の息吹が感じられる今日この頃、私達は国立東雄高等学校に入学します。まずは、私達のためにこのような盛大な式をあげて下さいましたことに、心より感謝申し上げます』


 粛々と朱音が挨拶を述べていく。元々優等生なことに加え、ティアエレメンタルとしての名声があるので、新入生代表挨拶を任されるのもある意味当然だった。



「かっこ良いよねぇ、大和さん」

「ティアエレメンタルに選ばれたんだって、凄いよね」

「たしか、ルカ=ホリィさんもいるんだよね」

「私達の代凄くない?」



 新入生達の中でもやはり朱音とルカは注目の的だ。新入生達が口々に朱音達への関心の台詞を述べていく。すでに学園のアイドルといっても過言ではなかった。


 だが、これほどの焦点を当てられてもなお、朱音は動じることはなかった。いや、正確には、それらに興味がなかった。


(ああ……ここに、蒼澄がいない)


 新入生挨拶が終わり、うやうやしく礼をした朱音。だが、その心中は穏やかなものといえるはずもなかった。


 結局、藤田蒼澄はこの日まで目を覚まさなかった。学校側の厚意で入学自体は取り消されなかったものの、当然ながら入学式に出れるはずもない。誰よりもこの場にいて欲しかった、一緒にこの時間を過ごしたかった、虚しさが朱音の心を覆い尽くしてしまう。


(蒼澄……私、頑張ったよ。見てて欲しかった。凄いね、って褒めてほしかった)


 朱音は、蒼澄の鷹揚おうような微笑みを思い出して、思わず涙を流しそうになってしまった。彼は、いつだって朱音のことを見てくれていた。朱音の欲しい言葉をくれた。


(ごめんね……蒼澄はいつだって私に優しかったのに……私は蒼澄に非道いこと言って……ごめんね……ごめんね)


 未だ眠りにつく蒼澄に対して、朱音はずっとずっと謝り続けていた。彼女のせいという訳ではない、それは誰しもが分かっている。彼女自身、こんなことを考え続けても仕方ないことは分かっている。


 だが、どうしても考えてしまう。


 あの時、蒼澄の気持ちを聞いていれば、自分の考えだけを押し付けたりしなければ、蒼澄に心にもないことを言いさえしなければ、こんなとこにはならなかったのではないか。そんな想いはどうしても消えなかった。


 とはいえ、そんな心境を表に出す訳でもなく、表面上は伝説のヒーローを継いだに相応しい優等生として、その振る舞いを完璧にしていた。


 だが、暗い感情を心の中に押し込めるということは、心そのものを擦り減らす行為である。そして、心が受けた影響は、身体にも影響を与えていくものだ。


 正直、大和朱音の心身は、かなりくたびれ果てていた。


「大丈夫かヨ?」


「大丈夫」


「そんな風に見えねェぞ?」


「あんたもね」


 入学式も無事に終わり、次の予定に移ろうというところで、朱音とルカの二人は人気ひとけの少ない体育館裏にこっそりと移動した。可能な限り人目は避けたかったからだ。


「しっかし、まぁ、化粧で誤魔化しるがやつれてんゼ?」


「あんたも大概でしょうが」


 軽口を叩き合いながらも、二人の表情は暗い。


「結局、意識戻らなかったわね……」


「そうだナ……」


「このまま、戻らないままなのかな……」


「覚悟は、してるサ……」


「私は無理。凄いね、ルカ」


「バカ、ウソに決まってンだろ」


 そこまで言ったところで、ルカが笑った。朱音も笑う。普段はライバル意識が強く出て、憎まれ口を叩き合うことが多い間柄だが、なんだかんだ一緒にいて居心地が良い。今の朱音には、それが本当に救いだった。


「ルカ」


「あン?」


「ありがと、正直、あんたいなかったら多分色々無理だった」


「お互い様ダ……アタシも、一人じゃ耐えきれなかッたヨ」


「ほんと似たもん同士ね、私達」


「だナ」


 本音を言えば、ずっとこのまま、こうしてルカと他愛もない話をしていたかった。傷の舐め合いなのかもしれないが、今の朱音にとって心の平穏を得ることが出来る数少ない一時なのだ。だが、いつまでもここで立ち止まってもいられない。そろそろ教師達が心配しはじめる頃合いだ。


「……戻らないとだね」


「戻れそうカ?」


「戻らなきゃいけないでしょうよ。入学式の日に途中でバックレなんて、色々と面倒よ」


「面倒じゃなければバックレてンのかよ」


「当たり前じゃない。正直、こんなところにいるより蒼澄の側にいたいもの」


「おいおい、優等生様がそンなこと言って良いのか?」


「優等生様ねぇ、別にそんなのどうでも良いんだけどね」


 そんな風にお互いに軽口を言い合って、歩き始めた、その時だった。


(連絡? リコから)


 朱音のスマートフォンにリコから連絡が入る。ちなみに、主要な携帯端末であるスマートフォンも、この世界ではバッチリとホログラム技術が使われている。ルカにもそれが入ったようであり、二人は、ほぼ同時に端末を操作してリコからの連絡をホログラムにて映し出した。


「――え?」


 そこには、簡潔にこう書かれたメッセージが送られていた。



『おにいちゃんが目を覚ました』


 

 目に映った瞬間、弾かれたように二人が駆け出す。


 この後の予定など、全て知ったことかと言わんばかりに、教師や他生徒の視線や静止を振り切って、力の限りに走り出している。


(蒼澄が!)


 走る。


(蒼澄が!)


 走る。


(蒼澄が……目を覚ました!)


 全力で、朱音は走る。目からどばどばと涙が落ちている。だが、そこに悲しみの心情はない。どうしようもなく溢れ出る嬉しさが、涙とともに表出していた。


 朱音がちらと横を向く。ルカと目が合った。


 同じように涙を流していた。無意識に笑ってしまった。ルカもまた笑った。


 蒼澄に会える。


 蒼澄と話が出来る。


 朱音は、それがただただ嬉しかった。きっと、ルカもそうなのだ。胸が熱くなった。


(話したいことがいっぱいあるの! 謝りたいことも! 蒼澄に! 蒼澄に!)


 一分一秒でも惜しかった。息が上がろうが足が疲れようが、とにかく朱音はルカとともに走り抜いた。


 そうこうする内に、朱音は、慣れ親しんだ我が家を視界におさめる。隣はもちろん藤田家だ。門の前には、リコがいる。


「リコ!」


「朱音さんっ! ルカさんっ!」


「蒼澄は!?」


「まだ! でも……もうすぐ帰ってくるって!」


 口下手でたいていテンションがダウナー気味なリコが、ここまで興奮を全面に押し出しているのを、少なくとも朱音は初めて見た。彼女も朱音達と同様に、蒼澄が目覚めるのを心待ちにしていたのだろう。


「今、お義父さんとお母さんと、栗子さんで迎えに行ってる! もうすぐ、おにいちゃんが帰ってくる!」


 感極まって滂沱ぼうだの涙をリコが流し始める。朱音も、ルカも、涙を止められなかった。止める気も起きなかった。


「くゥゥ〜〜待ちどおしいゼ!」


「おにいちゃん……良かった……良かったよぉ」


 ルカもリコも、全身で喜びを表している。朱音もそうだ、人生でこんなに嬉しいと思える時が来るなんて思いもしていなかった。


(蒼澄、会いたい、会いたいよ)


 手を胸の前に握り、朱音が目を閉じる。心臓がバクバクと鳴ってはち切れそうだった。


「――来た!」


 リコが叫ぶ。藤田家所有の自家用である銀のスポーツカーが近づいてくる。蒼澄が、それに乗っているはずだ。


 ややあって、車が三人の前まで近づく。そして、ゆっくりと藤田家の車庫にバックで車が入り、バタンという音ともにドアが開いていく。


「あおっ――」


 喜色に溢れた声をかけようとした朱音。だが、それはすぐに詰まってしまうことになった。


「……え?」


 栗子を隣にして蒼澄が車から降りる。その姿を見つめた朱音が、無意識に混乱の言葉を呟いた。ルカも、リコも目を見開いて戸惑っている。


 目の前に現れた蒼澄の姿は、彼女達の知るその姿とは似ても似つかなかった。


 いや、背丈や、顔の輪郭といった、藤田蒼澄という青年を彼たらしめている身体的特徴が変わった訳ではない。


 だが、明らかに雰囲気がおかしかった。


 彼女達がよく知る、愛らしい小動物のように丸みのある穏やかな雰囲気が完全に鳴りを潜めていた。代わりに絡みついているのは、鬼気きき。特に視線はまるで刃物のようである。小動物は小動物でも、まるで溝鼠どぶねずみ飢餓きがの中で獲物を追い求める獰猛な動物のそれであった。


「何?」


 低い声で、蒼澄が朱音に言った。


「あっ……えっと、私……あの、謝りたくて」


「何を?」


「その……前に、非道いこと言っちゃって……蒼澄の話もろくに聞かずに……」


「ああ、そのこと」


 蒼澄が不気味にせせら笑う。初めて見る幼馴染の表情に、朱音は背筋が寒くなった。


「別に気にしてないよ。まぁ、謝罪は素直に受け取るね……話はそれだけ?」


「えっ、あっ、その」


「それだけだね、じゃ」


 蒼澄が、強引に会話を打ち切る。そうして、誰に目をくれる訳でもなく足早に家へ入っていった。


 朱音は、信じられないものを見た心地だった。いや、朱音だけじゃない。ルカも、リコも、蒼澄の様相を見て完全に言葉を失っていた。


「ごめんね……蒼ちゃん、まだ目が覚めたばっかりで色々と整理がついてないだけだと思うから」


 栗子が朱音達に声をかける。基本的にペースを崩さない彼女が、明らかに浮足立っている様子が見える。彼女の後ろでは、小五郎とノザーテがばつが悪そうに控えている。


「とにかく、しばらく蒼澄はゆっくり静養させるつもりだ。ちゃんと目を覚ましてくれたんだ。その内、いつものあの子に戻るよ」


 小五郎が微笑みかける。明らかに無理をして作った笑顔だというのは、朱音もすぐに分かった。


「朱音ちゃん、ルカちゃん……今日のところはこれくらいにしてもらえるかい?」


 小五郎が、本当に申しなさそうな声で朱音とルカに問いかける。二人とも、その声に対して、力なくうなずく他に選択肢がなかった。

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