【6】



 蒼澄は、あの一件から朱音と会うことがなかった。


 いや、正確には全く会わないこともなかったが、明らかに二人の間での会話はなくなっていた。昔からなんだかんだ仲が良かった二人の間柄ではかなり異例のことである。たとえ喧嘩をしたとしても、たいがいはどちからかが早々に折れて仲直りすることがほとんどだったのだ。


「どうした? あんなに仲良かったじゃないか?」


 小五郎は分かりやすく心配な顔を浮かべていた。


「すまないね……私の娘が意固地いこじになっていて」


 美しい微笑をたずさえながら、滝音はすまなさそうにしていた。


「蒼ちゃん、蒼ちゃん、大丈夫?」


 オロオロして栗子は蒼澄に抱きついた。


「はは、今なら蒼澄をアタシのものに出来る絶好のチャンスだナ」


 ルカはそんな風に茶化していたが、どこか落ち着かない様子が見えた。


 といったように、少々異様な雰囲気の二人に対して憂慮ゆうりょの声をあげるものは少なくなかった。蒼澄と朱音、二人の関係が良好であることに、皆、心のどこかで安心感を得ていたのだろう。


 ……ではあるのだが、現実として、蒼澄と朱音のことに対して深く気を回せる人物はいなかった。


 何故かというと、朱音が伝説のヒーローたるティアエレメンタルを継いだことが原因であった。ティアエレメンタルとなった朱音は多忙を極めていた。普通なら進路が決まった学生は、卒業までの間は時間にゆとりが出来る。だが、朱音はそうもいかなかったのだ。


 ヴィランとの戦いを想定した訓練。

 ヒーローのことを学ぶための座学講習。

 体力をつけるためのフィジカルトレーニング。

 自らの存在を周知してもらうためのメディア出演。


 寝る時間すら惜しいといわんばかりに朱音達は色んなことに忙殺ぼうさつされていった。特にメディアへの露出は猛烈な勢いで進められており、正義の世紀ジャスティスセンチュリーの世界が彼女達をどう扱おうとしているのかが露骨に見え隠れしていたものである。


 朱音達が忙しければ、周りの人間もまた忙しかった。小五郎や滝音等、藤田家も大和家もなまじヒーローに深く関わる立場の人物が多い。そんな彼らが中心となり、先達せんだつとしてティアエレメンタルの面々を積極的に支援する運びとなるのはある意味当然だった。立場的にはそれほどヒーローと関係のないノザーテですら、娘であるリコのサポートに回ることが多くなっていた。


 そんな訳で、忙しいティアエレメンタルを強烈にバックアップする彼らもまた滅茶苦茶に忙しかった。それがゆえに、比較的ティアエレメンタルとは遠い立ち位置にいる蒼澄に構う余裕がなく、朱音と蒼澄の関係に手を回せる者はいなかったのだ。


(まぁ、それなら余計な心配かけることもないよね)


 蒼澄がそんな風に思うのも、自然なことだ。


 蒼澄は聡い青年であるため、皆の事情をキチンと理解していた。自分は極力周囲の面倒にならないように立ち回り、ごたごたしたことはなるべく自身の中で解決してしまおうとした。人に悩みを打ち明けるのが苦手な性分であることも大きく、蒼澄は朱音とのあれこれについてみだりに言いふらすことはしなかったのである。


(なら、もう……これで良いんだ)


 蒼澄の中で、朱音との関係はもうこれで終わったものだとして決着をつけた。そうすれば、万事が丸く収まる。そう思い込んで、彼は朱音とのことを胸にしまうことにした。こうすれば周囲に迷惑がかからないと考えたのだ。


「いやしかし、本格的に暇だな」


 さて、そんなこんなで色々あった蒼澄だが、その時の彼は暇を持て余していた。朱音は進路を決めていたが、蒼澄も蒼澄でとっくに進路は決まっていた。受験にも合格しているので、あとは中学卒業からの高校入学を待つのみという身分であったのだ。


 やることが多すぎる朱音と違い、蒼澄は特に何かをやる必要はない。せいぜいが入学を迎えるにあたって体調を整えるか、勉強の予習でもするくらいだ。ヒーローを目指すこともなくなったので、それにむけてのトレーニングをする必要もない。


「うーむ、なんかに没頭したいところなんだけど」


 自室にある勉強机の上で、蒼澄が腕を組んでうなる。高校入学にむけて勉強の予習自体はしているものの、それだけでは時間を潰すには限界があった。いっそ詰め込みすぎるほどに詰め込んで勉強をするのも手なのだが、それはそれで効率は良くない。藤田蒼澄という男は、普段から着実に努力を積み重ねていくタイプの人間あった。


 頭を上げて、視線を天井に移す。暖かなシーリングライトの光が蒼澄の目を包み込んだ。窓の外は、すでに星と月を浮かべ、空が紺色に染まるほど暗くなっている。


 蒼澄は、何か他にやれることはないか考えてみた。だが、どんなに頭をしぼってもこれといったものが思い浮かばない。何せ、今までずっとヒーローになりたいと願い、そのために時間を費やしてきた。それがいきなりなくなっては時間の使い道に空白が出来るのは明らかであった。


 これを機に友人と遊びにいくという選択肢がないわけでもないし、実際何度かそれをやった時もあった。ただ、蒼澄の交友関係において大きなウェイトを占めていたのは朱音だ。朱音を介しての友人というのも少なくない蒼澄にとって、朱音と距離が離れた状況においては、その選択肢がどうしても有力なものにならなかった。他に親密な人物といえばルカやリコになるが、朱音と同じく忙しいので最初から除外されている。


(ああ、こんなにも、僕は何もない人間だったのか)


 体重を椅子に預け、手を所在なさ気にプラプラとさせる。顔には覇気とよべるものはなく、口をだらしなく開けて、ただただ蒼澄はボーっとしているだけだった。


 今までの蒼澄の生き方は、正しく一直線であった。【立派なヒーローになりたい】という夢に向かって愚直ぐちょくに進むだけで良かったのだ。ゴールは決まっていた、その道中がどんな険しくても不安を感じることはなかった。


 しかし、今の蒼澄にゴールはない。一直線だと思った道はいきなり分かれ始め、見えていたはずの前途は途端に見えなくなっている。生き方が分からくなってしまった。


 暗くて、前が見えない、複雑な迷路の中にいる気分だった。出口の場所は、皆目見当もついていない。


 今までずっと隣にいた朱音もいなくなった。蒼澄は、一人ぼっちでゴールを目指さなくてはいけない。考えれば考えるほど、気が滅入ってくる話だった。


「あの……おにいちゃん、入っても……良い?」


 そんな風に蒼澄が袋小路に入っていると、ドアの外からおずおずとした声が聞こえてきた。義妹のリコであることは、すぐに分かった。


「良いよ良いよ、どうぞ」


「おじゃま……します」


 パジャマを着たリコがゆっくりと蒼澄の部屋に入ってくる。スラっとしたモデル体型のリコであるが、着ているパジャマは大変にファンシーでキュートなピンクのものであった。この義妹は色々と見た目とのギャップが激しく、そこのところは蒼澄も微笑ましく思っている。


「どうしたの? 明日も忙しいだろうから、早く寝た方が良いんじゃない?」


「そう……なんだけどね。あのね……」


 モジモジしながらリコが呟く。藤田リコという少女はとにかくコミュニケーションが苦手だ。自分の想いを言葉に乗せて伝えるという作業が不得手ふえてで、それにより本人も大分苦労している節がある。リコと出会った当初の蒼澄も、彼女との付き合い方に四苦八苦したのは記憶に新しい。


 とはいえ、色々あってリコとの付き合い方を熟知した(と自負している)蒼澄にとってはもう慣れっこのことだ。こんな時にかけた方が良い言葉も当然把握している。


「大丈夫だよ。ゆっくり、落ち着いて、少しづつ吐き出していって」


「……うん」


「僕にどうしても伝えたいことがあるんだろう? 大丈夫、どんな言葉でもちゃんと受け止めるから」


 丁寧に蒼澄がリコに伝える。蒼澄の言葉を聞いたリコは小さく微笑み、密やかな嬉しさと安心を表に出す。義妹のこういういじらしいところは、蒼澄も大変好ましく思っていた。


 ややあって、リコが蒼澄の瞳を見つめ、控えめに口を開いた。


「私ね、朱音さんのこと……うらやましかったの……」


 リコの口から出てきた意外な人物に、蒼澄は少し面食らった。いや、思えばティアエレメンタルとしてともに戦うことになった仲だ、思うところがあっても不思議ではない。蒼澄は、リコの話をそのまま聞き続ける。


「私、おにいちゃんのこと本当に大好きで、尊敬してて……でも、朱音さんはそんなおにいちゃんの隣にいつもいるの……うらやましかった」


 リコの自分に対する思いを聞いて心が温かくなりつつも、朱音のことが出ては虚しさを感じてしまう。すでに蒼澄は、朱音と道をたがえている。今更彼女のことで何が出来るのか……そう言ってしまいたかったが、リコの想いを尊重してぐっとこらえた。


「でもね、それでもね……朱音さんのことも……大好きで、尊敬してるの……」


 そこまで言ったところで、リコの瞳から涙が一粒流れた。


「今の、今のねっ……朱音さんも、おにいちゃんも……すごく辛そうでっ……でもでも、私、口下手だから……それでも、何か言いたくて……何て言って良いかっ、分かんなくって……ルカさんも、栗子さんも辛そうにしててっ……元気になって欲しいのにっ……どうして良いか分かんなくってっ……」


 さめざめとリコが泣きはらす。自分の想いを伝えることが不得手なリコが、不器用ながらも必死に伝えている。しかし、その想いは、涙を流してしまうほどの悲しみだ。


 蒼澄は、自分の行いを後悔した。


 自分の中で解決した気になっていた。朱音との関係は、もうこうなってしまったのだと、これで良いのだと、蒼澄は心の中でそう思い込んで触れないようにしたのだ。


 だけど、周りの人間は、自分とは違う。自分がそれで良いと思っても周りがそれで良いと思う訳でない。分かってはいた、分かってはいたのだが、その周囲の人間が忙しさで蒼澄へ目を向けられないことを奇貨きかとして、蒼澄自身、誰にも言わずに自分の中へしまっていた。


 それではいけなかったのだ、その結果がリコの涙なのだ。


「ごめんな、リコ」


 蒼澄はリコの頭に手をのせ、優しくなでた。


「そこまで悩ませてたのに、気づかなくて、いや、気づかないふりしてごめん」


「おにいちゃん……」


「朱音ちゃんと、改めて話をしてみるよ」


 蒼澄の優しい声に、感極まったのか、リコがさらに激しく泣き出す。


「ごめんね……ごめんね、おにいちゃん……」


 抱きついてきたリコを、蒼澄が受け入れる。


「大丈夫、大丈夫だよ、リコ。ちゃんと何とかするから」


 泣き続けるリコを、蒼澄はひたすらなでつづけた。大丈夫だよ、心配しないで、そんな風に言い続けるかのように。リコが泣き止んだ時、彼女は全てのエネルギーを使い果たして、蒼澄の腕の中で安らかに寝息を立てた。


 血のつながりがないとはいえ、お互いを思いあった兄弟の、美しい光景だった。


 だが。


 たがしかし。


 後のことを考えれば、この話を美しかったの一言で終わらせてしまうのは、ある意味残酷な話であった。


 リコは、たとえどんなにコミュニケーションが不得意だっとしても、蒼澄自身のことを聞くべきだっだ。蒼澄が何故朱音と関係が悪化したのか、蒼澄に何があってそうなってしまったのか、たとえ時間がかかったとしても、聞き出せば良かった。


 蒼澄は、リコに自分のことを打ち明けるべきであった。自分だけで解決しようとせず、誰かの手を借りるべきだった。それこそ、目の前には自分を信頼してくれるリコがいたというのに。


 それらを責めるのは、酷であることに間違いはない。


 お互いがお互いのことを想いあっての行動に、正解や不正解をつけるものでない。人が全ての行動に間違いを犯さないなんてありえない。


 だが、ここが、このタイミングこそが、最後の瞬間であったのだ。


 これから起こる蒼澄の未来を変えられるとしたら、ここしか無かったのだ。


 ――運命の歯車が、噛み合ってしまった。


 悲劇の道は善意で舗装ほそうされている。蒼澄とリコ、両者とも善意の末に行った行動が、蒼澄という男の生き方を大きく捻じ曲げていく。もう、戻ることは出来ない。

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