16 伽耶

 市来を下がらせ、衛士に伽耶を呼ぶよう声をかける。伽耶にもまた市来と同じように話をしたいと願い、待機してもらっていたのだ。

 伽耶が来るのを待つ間、杏化天元は市来に言われた言葉を反芻する。大氏たちの言葉にただ頷くだけだったこと、その行動に失望を抱いていたこと、けれどトキを見送りたいと願う杏化天元の気持ちを汲んでくれたこと。そして杏化天元の思いを支持してくれた。

 その事実がようやく杏化天元の心に温かさをもたらせた。

 ───なんとしてでも壮途の儀を執り行おう。それが市来に対して今まで自身がしてきた行動への謝罪にもなる。

 そのためにもまず、これから話し合う伽耶を説得しなければならない。その事実に杏化天元は一抹の不安を抱くが、怯んでなどいられない。

 伽耶家は元々地方の小さな豪族だった。それが大陸からの技術を利用して急速に発展し、宮中まで上りつめた。そのためなのか、伽耶家はトキの存在を意味不明な者として嫌っていると言われている。

『あれは人の形をした化け物だ。あれに国の行く末を任せるとは何事か』

 それを伽耶家の者が口にした、という噂が真しやかに宮中内に出回ったことがある。それは杏化天元の耳にも聞こえていた。

 そこから尾鰭がついて、杏化天元は伽耶の傀儡になったのだと言われたり、本当は宣呼がそれだというのに杏化天元の世話役は伽耶家だとも勘違いもされた。その噂が原因で杏化天元の支持をしようとしてやめた役人が何人かいる。

 ───実際のところ、伽耶がトキをどのように考えているのかまるでわからない。

 トキが巣立ちをすると宣言した廟議の席で伽耶は何と言ったのかを杏化天元は思い出す。

『私は杏化天元様のお考えに賛同いたします』

 ───あれはどちらの意味だったのだろうか。何も意見を言わない天元に賛同すると言ったのか、それとも何か別の意味があるのか。

 廟議の間の入り口に誰かが立ったのを察し杏化天元はそちらに視線を向ける。そこに、伽耶がいた。

「失礼致します」

 伽耶はその場で叩頭し、そして自身の席についた。市来とは違い怯えることのないその様子に杏化天元は緊張を覚える。

 歳は杏化天元と大差ない。それなのに顔つきはまるで違う。杏化天元の柔和なのと対照的に伽耶は精悍。数々の荒波に揉まれそれでも挫けず突き進み、そして今の地位を手に入れた男の貫禄がある。

「それで、話というのは何でしょうか?」

 杏化天元が声をかけるよりも早く伽耶は問うた。その質問に杏化天元は一度ゆっくりと深呼吸する。

「………伽耶はトキのことをどのように考えているのか、それを教えて欲しい」

 伽耶は杏化天元の問いに怯まない。淡々と質問し返した。

「どう考えているか、ですか。それを聞いてどうするおつもりで?」

「私は壮途の儀を執り行いたい。しかし先日の廟議では否決された。否決するにはそれなりの理由があるのだろう。だから私は理由を各々から聞いているのだ」

 柚比は杏化天元が不甲斐ない行動ばかり取ることに立腹していた。雀居は刻殿で働く役人たちを不安視していた。須玖は慣習に拘ることしか考えていなかった。嘉穂はトキが杏化天元を侮辱したと感じていた。そして宇木は資金の無駄だと考えていた。そして市来は杏化天元が決意さえすれば支持すると言った。

 ───なら伽耶は?

 伽耶家が宮中に出入りするようになって幾年か経つ。しかし他の者たちに比べれば日は浅い。だからトキの存在意義をうまく把握できず、あのような噂が流れるに至ったのだ───杏化天元はそう考えていた。

 ───トキは国にとって必要な存在である、と理解さえしてくれれば、市来のように壮途の儀を行うことを賛成してくれるかもしれない。

 伽耶がどのように返答するのかをじっと待つ。伽耶は杏化天元のその様子を目を細めて観察し、別に、と言った。

「天元様にとっては大切なお人のようですが、私は興味がありません。好きにすれば良いと思っております」

「興味がない?」

 予想外の言葉に杏化天元は戸惑う。予想では、嫌いだとか必要ないだとか言うに違いないと思っていたのだ。なのに、興味がないと言う。

 重ねて尋ねた杏化天元の言葉に伽耶は頷いた。

「国の中心は杏化天元様、あなたでございます。そしてトキ様はそれを支えるのでしょう? 私ら庶民とはなんら縁がない。だから刻殿に引き籠りたいというのなら引き籠もればいい。巣立ちをするというのならすれば良い。好きに生きれば良い」

「………それは、伽耶にとってトキは必要な存在ではないということなのか?」

「要不要を話すのでしたら、必要ありません。先代天元様が伏せられた時はそのお言葉を伝えるのに奔走していただき助かりましたが、それだけです。トキというのはいざという時の天元様の代わりを務める者なのだと思ったのですが、違いますか?」

 伽耶の問いを杏化天元は一瞬言葉を詰まらせ、そして不思議に思う。

「伽耶は、国のはじまりの御伽噺を知らないのか?」

 国に住む者なら誰でも知っている、天元とトキの口伝だ。



 国の始まりの話である。

 初代天元はまだ国のない時代、点々と存在していた村々を平定し大きな国にする旅に出た。そうすることで隣村同士の激しい争いが無くなり、より多くの農作物や有意義な人との交流を得ることができると考えたからだ。

 しかし、それは苦難の道のりだった。

 長い旅路の果てに、初代天元は南の方にある山───天に一番近いと言われていた山───の山頂に立ち、天に祈りの言葉を唱えた。それは、国の安寧のための力を貸してほしい、というものだった。

 国を作りそこに住む民に安寧を与える。そのためにならどんな犠牲も払う。

 初代天元は天に祈り、その声を天は聞き入れた。そしてその証として、人の身に神の御使を降ろしたのだ。

 それがトキである。

 トキは人に宿り一体となる。トキの言葉は民の言葉であり、神の導く先の言葉である。トキの想いは民の願いであり、トキの行動は神の思し召しである。故にトキは国の安定を導く神の御使である。

 そして、初代天元は初めの願いを叶え、国を作り民に安寧を与えるに至ったのだ。



 杏化天元は伽耶の発言に、まさかそれさえも知らないのではないかと疑問に思い尋ねたのだが、その質問に伽耶は少し呆れた表情をした。

「存じております。それが何か? 御伽噺は御伽噺でしょう。それが必ずしも真実ではない」

「なら、伽耶にとってトキは何なのだ?」

「だから先ほどから言うように、私にとってトキ様は天元様に何かがあった時の代役だと思っております。そして今、杏化天元様はお元気でいらっしゃる。だから必要ではない。そして興味もない。好きにすれば良いと思っております」

 伽耶の考えに杏化天元は目を見張り、そして思った。

 ───もしかしたらこの態度が、あの噂を生み出したのかもしれない。

 それを確かめるため、杏化天元は質問を変えた。

「伽耶。………以前、宮中内で噂されたことを確認したい。一族の者の誰かが、あれは人の形をした化け物であり、あれに国の行く末を任せることに反対だ、といった趣旨の言葉を発したと聞く。それは真か?」

 杏化天元の問いに動じるかと思ったが、違った。伽耶はその問いにうっすらと笑みを浮かべた。

「………随分と、初めの言葉と変わりましたな。人の噂というのは恐ろしい」

「それはつまり」

「ええ。元は私の言葉ですよ。ただそこまで過激なものではありませんでしたが」

 杏化天元は思わず伽耶を睨みつける。その視線を受けて応えるように伽耶は人の悪い笑みを見せて、言った。

「ようやく、あなたのお顔を見ることができました」

「何故、トキを排除しようとする」

 もし伽耶が本当にトキをどうでも良い存在と考えるのなら、伽耶家の名を汚し敵対者を増やすような噂を放置せず火消しをしようとしただろう。いまでこそ宮中内にトキ不要論を訴える役人が多いが、皆がそれではない。下手にトキ不要と意見を標榜しようものなら刻殿の役人が許さないだろう。

 だが実際は噂を放置したことで少しずつ中身が変容し、そして伽耶家はトキを毛嫌いしていると誤った形になってしまった。その噂に対して未だに何も言わず是としているということは、伽耶はトキをなんとしてでも宮中から追い出そうと考えている、ということの証明ではないのか。

 杏化天元の追求に伽耶は口元を歪ませたまま首を横に振る。

「杏化天元様。別に私はトキ様を排除しようなどとはしておりません。確かに噂の始まりの言葉は私の言葉。ですがそれはもっと害の無いものでした。誰かが悪意でもって歪めたのでしょう」

「だが、伽耶はトキが必要ないのだろう?」

「ええ、必要とは感じませんし、興味もありません。だから宮中内を勝手に彷徨いても何も困らない。だから排除しようとも思いません」

 ここで伽耶は一度言葉を区切り、杏化天元を観察する。その瞳には悪戯を仕掛けているような意地悪さがあった。

 それが、杏化天元には少々気に食わなかった。

「なら、伽耶が初めに発した言葉はどのようなものなのか、今ここで言ってみよ」

 ───ここで堂々と口に出来るのならしてみよ。もし出来ないというのなら、ここまでの会話はすべて嘘だったと思うことにする。

 そう覚悟を決めて杏化天元は伽耶に問う。伽耶はそれを真正面から受け止めた。

「………………天元のご機嫌取りしか出来ぬ役立たずだが、国の行く末を邪魔しなければ気にすることもない。無視せよ」

 伽耶の言葉を聞きその態度を見、杏化天元はそれが嘘ではないと感じた。

「それは誰に向けて発した言葉なのだ?」

「一族同士の他愛ない会話ですよ。私は、自分の商売の邪魔さえされなければあとはどうでも良いのです」

 この言葉で杏化天元は、伽耶が何を考え大名の役目をこなし廟議の席に着いているのかがわかり始めた。

「つまり、商売さえうまくいけば後のことはどうでも良い。そう考えるのだな?」

 杏化天元の確認に、伽耶は迷いなく頷いた。

 ───伽耶は他の者たちとは違い、国のことを思い考えているわけではない。だから国のはじまりの話は所詮御伽噺として切り捨て、トキにたいして興味もないし必要だとも思っていない。興味があるのは商売に関わること。ただそれだけなのだ。

 杏化天元の表情の強張りに、伽耶が小さく溜め息をついた。

「杏化天元様。あなたは廟議の席に着いている者が国のことではなく自身の商売のことを考えていると知ってお怒りのご様子ですが、それは悪いことだとお思いですか?」

「………あれは国の安定を話し合う場だ。その場に自分の利益しか考えない者がいるというのは良くないことだろう」

「そうでしょうか? 伽耶家が大名の役職に選ばれた時、先代天元はそれこそが必要だとおっしゃいました」

 その言葉に杏化天元は驚く。

 ───父が必要だと判断した? 国の行く末を考える者ではない伽耶家を?

 杏化天元の驚きを面白いものでも見るように伽耶は言葉を紡ぐ。

「廟議の席に着く者たちは、いつしか国の安寧ではなく自分自身の利益ばかりを考えるようになった。自分達が見える範囲の安定を構築することに夢中になり、そこに日々を生きる民への配慮はない。だから民の生活の基盤である商い、それをして一族を繁栄させた伽耶家の言葉が今の廟議には必要だ。宮中という閉じられた視野しか持たぬ大氏たちに新たな視野を与えて欲しい。………先代天元は当時の伽耶家の当主にそうおっしゃったそうです」

「閉じられた、視野」

 その言葉を杏化天元は噛み締める。

 杏化天元は各々の大氏たちの言葉を思い出す。彼らは何と言ってトキを排除しようとしたのか。トキはとにかく金がかかり過ぎると言ったのだ。だから巣立ちするのは賛成だし、送り出す壮途の儀も執り行わない。

 それ以外の意見は、あの場では何も出なかった。

 ───なるほど。大氏たちは宮中のことしか見ていないのかもしれない。

「ですから私は自分の商売に関わることであれば廟議できちんと発言しようと考えております。ですがそれがトキ様のことであれば、どうでも良い。トキ様は私の商売に直接関わりはありませんからね。それこそが、先代天元から大名の役職を戴いた伽耶家の役目でございます」

 杏化天元は伽耶を見る。自分とたいして歳の変わらない精悍な顔つきの男性。その人物が抱いている考えは、杏化天元がいままで知らなかった発想だった。杏化天元は幼い頃から国を安定させることだけを念頭に、教育を受け作法を学び天元の地位を戴いた。それが、伽耶にはまるでない。

 ───伽耶を必要としたお父様の気持ちが、少しわかる。

 自身もまた閉じられた視野を持っていた。そのことに気付かされた。世にはトキを天元の代役と考える者がいること。国の安寧ばかりを考えて生きている人ばかりではないこと。商いを通じてわかる考えもあること。

「伽耶。私は壮途の儀を執り行いたいと考える。先ほどの伽耶の言葉から察するに、否定はしないな?」

 杏化天元の問いに、それまで意地の悪い笑みを口元に浮かべていた伽耶はそれを引っ込め穏やかに笑った。

「杏化天元様が壮途の儀を執り行いたいとおっしゃるのなら、私はどちらでも構いません。それは私の商いに関係のないこと。ああでも、儀で扱う小道具があればそれをいくつか私の方でご用意させていただければ幸いでございます」

 伽耶の言葉に杏化天元は頷いた。

 ───伽耶はトキを毛嫌いなどしていなかった。ただ周りが勝手にそう判断しただけのこと。やはり、こうして話してみなければわからぬことが多い。

 それと同時に不安に思うことがあった。伽耶の初めの言葉である。一族間で話された言葉が意味を変え、トキを毛嫌いしているかのような噂に変化してしまった。尾鰭がついたとはいえ、そこまで変わるものなのだろうか? もしこれが誰かの悪意によって変えられたというのなら、噂を捻じ曲げた何者かは一体誰なのだろうか?

 伽耶をそっと見る。伽耶は噂の内容が変わったことに、この話し合いの場で初めて知ったようだった。誰かが故意に伽耶家を貶めようとしたのか、それとも噂を利用してトキを排除しようと画策した誰かがいたのか。

 杏化天元の視線に応えず、伽耶は無頓着な様子で質問した。

「杏化天元様には一点、確認しておきたいことがございます」

「何だ」

「トキ様は壮途の儀を執り行うこと、了承されておりますでしょうか?」

 伽耶の言葉に杏化天元は驚き、目を瞬かせた。

「………………どうだろう」

 指摘されて初めて疑問に思った。

 ───とにかく儀を執り行うことに必死で足早に大氏たちを訪ね歩いたが、肝心のトキの気持ちを確かめていなかった。もし儀を執り行うとなれば、トキはどのように感じるだろうか。

 ぼんやりと考える杏化天元に伽耶は訝しげに尋ねる。

「確認されていないのですか?」

 伽耶の言葉に頷くと、少し呆れた表情をされた。それを見て急いで釈明する。

「まずは周囲を説得してからトキに伝えようと思ったのだ。おそらくだが、トキは準備が出来次第、旅立ってしまう。その前になんとしてでも確約が出来なければと思ったのだが」

「杏化天元様。トキ様は廟議に参席されることなく引き籠もり続けたお方ですよ? その方の気持ちも聞かないで周りを整えたところで、肝心のトキ様が嫌がったらどうしようもないではありませんか」

 伽耶の指摘に杏化天元は恥ずかしくなる。頬が少し火照った。

 ───伽耶の指摘は最もだ。あのトキはある日突然刻殿に引き籠もり廟議に参席しなくなり、宮中内の儀式も無視し続けた。それなのにどうして壮途の儀には出てくるだろう、などと甘く考えていたのか。

 杏化天元は自分の視野の狭さを反省した。

「そうだな………伽耶の言う通りだ。この後すぐに刻殿に行ってくる」

「ええそうですね。それがよろしいかと。話がまとまったのなら、廟議の席で儀についての採決をお取りください。その時は、あなた様のお考えに賛同させていただきます」

 伽耶はそう言って、その場で深く叩頭した。

 杏化天元はその姿を見て、ありがとう、と返答した。

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