13 宇木家

 嘉穂家を出て杏化天元は斜面を降り、真っ直ぐの道を馬に乗って移動した。

 移動しつつ、周囲の様子を見渡す。あちこちに植え付けられた田んぼの稲は黄金に色付き、見事な稲穂を実らせている。緩やかに吹く風がそれを撫で、水面を揺らすように稲が波打って揺れた。遠くの田んぼでは雇われの農民たちがせっせと米を収穫している。どこまでも穏やかで安心する光景が続いていた。

 杏化天元はそれらの景色を見ながら、自分が今まで取ってきた行動を思い出し恥じていた。

 ───自分はいままで何を成していたのだろうか。大氏や大名が剣呑にならないよう祈りながら廟議に参席し、挙げられる提案をただ頷くばかり。相手が何を考え発言しているのかそれを知ろうともせず、そこにいるだけの存在だった。だからトキは私に失望し、離れていったのだ。

 心の痛みを抱えながらも目の前に広がる穏やかな風景を見ていると、束の間ではあるが心が癒された。

 ───トキは私を見限った。それは覆らない。だからせめて、これからは失望させないように頑張ろう。天元であるということに誇りを持てるように努力しよう。そのせいで他の者たちから嫌われることになったとしても、それは仕方がない。唯一の支えであったトキを見捨てるような真似をし続けた私の責任だ。

 杏化天元は、大氏の中で最後に宇木に会う順にしていてよかった、とこの時思った。初めは大氏たちの中で一番話しにくい相手だから後回しにしていたのだが、今のこの心境でなら実りのある会話ができると予感したのだ。

 宇木家は田んぼ道を歩いた先の山の麓に建てられていた。その建物は周囲からとても目立っていた。風景にまるで馴染んでいないのだ。過度な装飾を建物の至る所に施しており、屋根は紅に色付け、門構えは仰々しい。宮中から離れているからなのか、敷地内には大きな牛が数頭飼われているようだった。それらが大きな声で鳴いているのが通りまでよく聞こえた。

 杏化天元は家に入る前で馬から降り、衛士一人に見張りを任せる。そしてゆっくりと深呼吸をした。大氏たちの中で最もトキを嫌っているのが宇木だと感じていた。そのため、これから話すことに緊張感を拭えずにいる。

 ───だが、話をしなければ何もわからない。

 柚比、雀居、須玖、嘉穂とそれぞれ話をし、ようやく大氏たちが何を考えているのかがわかり始めた。本来なら天元になってすぐにそうすべきだったのだ。それをわかろうと努力せず放置していたから、今がある。それが身に染みてわかった。だからこれからは逃げずにちゃんと向き合おうと思った。

 トキは巣立つ。巣立つのならきちんと送り出してあげたい。そのために宇木と話をする。それを覚悟に杏化天元は声をかけた。

「すまない。宇木氏はいるか」

 門のところに立っていた従者は杏化天元の言葉に反応し、深くお辞儀をした。そして家の中へと丁重に案内する。

 宇木家の中は物で溢れかえっていた。遠方から取り寄せたであろう壺や衝立、見事な細工の籠、彩豊かな織物などがあちらこちらに置かれている。物珍しいものが多く、歩きながら思わずそれらに目を見張ってしまう。しかしそれらはどれも無造作に放置されており、ただ珍しいから取り寄せた、といった風であった。

 あちこちに目を奪われつつも杏化天元は衛士二名を連れて客間へと案内され、従者にそこで待つように言われた。客間もまた所狭しと物が置かれている。しかもそれらすべてに統一感がない。そのため客間は落ち着かない雰囲気を醸し出していた。

 客間の出入り口に衛士たちが警護するように座ると、いつも廟議の時に聞く騒がしい足音が廊下の向こうから聞こえてきた。

「まったく。私も忙しいのですよ、杏化天元」

 客間に入ってきた宇木は廟議で見た時とは違う艶やかな衣装に身を包んでいた。衣装だけ見れば杏化天元よりも天元らしく見える。それを靡かせ杏化天元の前にやって来る。

 杏化天元は苛立たしげな宇木に思わず苦笑してしまった。

「時間を作ってくれてありがとう、宇木。突然の申し出、本当に申し訳ない」

「ええまったくです。二人きりで話そうなどとは。しかも私の家でと言う………いったいどのようなご用件で?」

 宇木は座り、着物の裾を弄る。彼なりの美学があるのだろう、何度も裾を伸ばしては形が綺麗になるよう手を動かす。宇木にとっては天元との会話はたいして重要なのではないのだな、と杏化天元は感じた。

「宇木。トキのことを聞かせて欲しい。宇木はトキのことをどのように考えている?」

 杏化天元の問いに宇木は顔を顰め、なんだそんなこと、といった風に鼻を鳴らした。

「嫌いです。それが何か?」

 想像していた通りの返答に、杏化天元は逆に少し緊張が解けた。

 ───ここまではっきりと嫌いというには、それなりの理由があるに違いない。

 そう考え重ねて質問してみる。

「だろうな。どうして嫌いなのか、その細かな理由を教えてほしい」

「そのようなことを聞いてどうしようと言うのです? なんですか? 今からでも遅くない、仲良くしろとでも言うのですか? 巣立ちで旅立つトキ様と? お断りですね」

 そう言うと宇木はそっぽを向いた。予想以上に強情な様子に、さすがの杏化天元も内心呆れる。宇木がトキを嫌っているのは側から見てもわかるくらいだったが、まさかそこまで嫌っているとは思わなかったのである。

「………別に無理して仲良くしろなどとは言わない。ただ、どうしてそんなにも毛嫌いするのか、その理由を教えてほしいのだ」

「知ってどうするのです? そこまでして壮途の儀を行いたいのですか?」

 宇木の問いに杏化天元は一瞬固まり、しかし頷いた。

 ───ここで引いてはならない。

 その直感があった。ここで曖昧にはぐらかせば宇木はますます本音を言わなくなるだろう。そうなればここに来た意味がなくなってしまう。

「ああ。私は壮途の儀を行いたい。トキには今まで世話になった。その感謝を示したいのだ」

「反対です。あんな金食い虫、追い出すくらいが丁度良い」

 吐き捨てるかのように言ったその言葉に、杏化天元は眉を寄せた。

 ───まるで話にならない。

 杏化天元は黙り思考を巡らす。

 ───このままではおそらく何故トキを毛嫌いするのか、その理由を聞き出すことは不可能だ。嫌う理由は私には話し難い事柄なのだろう。だからこうやって怒りを見せてはぐらかす。

「………宇木はトキを金食い虫と言ったな。確かに、刻殿の維持には多額の資金が投入されている。なら、何故今までそれを放置するような事態になったのか、宇木の意見を聞かせてもらいたい」

 ───はぐらかすというのなら、話の切り口を変えてみればよい。

 杏化天元の機転に宇木は一瞬、驚いた表情をする。杏化天元がこのように話す姿を初めて見て、この天元は単なるお飾りではなかったことに気づいたのだ。

 宇木は数度、目を瞬かせてから答える。

「そう、ですね。………やはり先代天元がトキ様を寵愛しておりましたからね。自分の妃よりもトキ様の存在を大切にしておられた。だから先代天元がトキ様のためにと思って資金を過剰に投入するのは仕方のないことだと考えていました。それに、その時は資金が潤沢に増え続けておりましたし」

「つまり、資金繰りさえ改善すれば問題ないと宇木は言いたいのだな?」

 杏化天元の言葉に宇木は不機嫌そうに息を吐く。

「何故そのようにお考えになられるのです? トキ様が天元家の支えだからでございますか? 廟議でも言いましたが、あれはもう無用の長物。今では必要のない存在でしょう。それなのに何故あれに拘るのです?」

 宇木が睨め付けるようにして尋ねる。

 杏化天元はその解答を少し考え、そして答えた

「………トキは神の御使だ。この国の民の言葉、願いそのもの。私はトキを天元家のための存在ではなく、そのように捉えている。民の声を聞きそれを政策に反映させる。それが天元としての役目だ。だからトキは無用ではない。必要な存在だ」


 国のはじまりの御伽噺である。

 トキは人に宿り一体となる。トキの言葉は民の言葉であり、神の導く先の言葉である。トキの想いは民の願いであり、トキの行動は神の思し召しである。故にトキは国の安定を導く神の御使である。


 杏化天元の返答に宇木は言葉を詰まらせ、すぐに機嫌を悪くした。

「………トキ様が民の言葉や願いだというのなら、それをそのまま聞いてしまうのは間違っています。民に国はわからない。彼らにわかるのは自分達の日々の生活のことだけ。国の行く末などに何の興味も抱いていないのです。そんな彼らの声を、あなたは聞くというのですか?」

 杏化天元はその問いに迷いなく頷く。

「ああ、聞く。聞きはするが、それをそのまま受け入れはしない。宇木の言う通り、彼らの言葉が必ずしも国のためになるとは限らないから。だが、聞きもしないで国を動かしていくのは間違っている。国は民がいなければ意味をなさない。国という箱があるだけでは国は存在できない。民があってこそ国は意味を持ちその形を保てるのだよ、宇木」

 杏化天元の言葉を黙って聞き、そして宇木は眉を寄せたまま目を閉じた。宇木が言葉を発するのを静かに待つ。しかし、一向に何も発言しそうにない。

 何も話さないか、と諦めかけたところで宇木が重々しく口を開いた。

「杏化天元。………あなたのお気持ちはわかりました。確かに、トキ様を無用と断じて相対するのは間違っているのかもしれません。あれが民の声そのものだとするのなら、耳を傾ける意味は多少なりともあるでしょう。………ですが、もしそうだというのなら、あなたは民から見捨てられたということになりませんか」

 宇木の言葉に杏化天元は息を止め、そして緩やかに吐いた。

 宮中を離れ次のトキを迎えに行く───宇木はトキの巣立ちのことを指摘したのだ。

 ───それは、ずっと考え、思い、感じていたことだ。

 トキに見放された。それはトキが廟議に参席しなくなってから幾度も思い悩んだことだった。だからトキが巣立つと言った時、どうしたらよいのか戸惑った。しかし、いつまでもこのままではいけないと感じた。だからこうして話を聞きに来た。

 その事実を踏まえた今なら、宇木の言葉に怯える杏化天元ではなかった。

「………そうかもしれない。トキが民の声そのものであるというのなら、刻殿に引き籠ったあの時から私は民に見捨てられたと考えてもおかしくないだろう。だが」

 ───見捨てられたから何もしない、無用だから追い出すというのは、間違っている。

「だが、何です?」

 宇木が杏化天元を試すような視線で見た。その視線に真正面から答える。

「私が天元として相応しくないというのなら、近いうちに神から見放され相応の罰を受けるだろう。もしその時が来たら私はそれを甘んじて受け入れるつもりだ。けれど、それは今ではない。今はまだ私が天元だ。だからその時が来るまではトキを丁重に扱いたい」

 いつか見捨てられる結果になったとしても、だからといってトキをこれ以上無碍に扱うのは嫌だった。

 杏化天元の言葉に宇木は何度か瞼を上下させ、そして溜め息をついた。

「杏化天元のお気持ちはよくわかりました。ですが、私はやはり壮途の儀には反対です」

「宇木」

 杏化天元は宇木を睨む。しかし、それに怯む宇木ではない。

「冬支度のための財源を確保をすべきという意見に変わりはありません。その財源にトキ様をお支えするのに使っていた資金を投入する。私は民の言葉ではなく、実際の民を助けるための行動をしたい。私の考えを、あなたは間違っていると仰るのですか?」

 ───説得は、出来なかった。

 杏化天元は首を横に振り席を立った。それにつられて宇木も立つ。その動きに合わせて色鮮やかな着物が揺れた。その色が目に焼き付いて、少し鬱陶しく感じた。

「………話をしてくれてありがとう、宇木」

「いいえ。私も………あなたという人が少しわかることができました」

 宇木は杏化天元が門を出、その姿が見えなくなるまで見送った。

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