12 嘉穂家

 翌朝。杏化天元はいつものように廟議を終えた後、すぐに馬に乗り宮中を出発した。昨日に引き続き大氏たちが何を考え壮途の儀を行うことを反対するのか確かめるためである。

 嘉穂の家は宮中を出て左手側の道を歩いた先にある。そこは日当たりの良い土地で、周囲は少し斜面になって平地よりも高い場所となっている。その斜面をさらに登り行くと宣呼の住む建物があった。

 馬に乗って移動する道すがら、杏化天元は昨夜のことを考えずにはいられなかった。

 昨夜、宣呼は杏化天元の許しなく樽俎の間で酒宴を開いた。そこで飲まれた酒は国の備蓄であり、民の資金によるものである。個人が勝手に消費しても良いものではなかった。それを指摘したところ、宣呼は激昂し杏化天元を激しく責め立てた。

 今朝の廟議が始まる前に嘉穂が昨夜の宣呼の行動を杏化天元に謝罪した。宣呼の母は嘉穂家の者である。そのため宣呼の後ろ盾は嘉穂になる。本来なら宣呼本人が杏化天元に詫びに来るのが筋ではあるが、宣呼は何一つ反省していない。そのため嘉穂が代わりに頭を下げた。

 申し訳ないことをしたと言う嘉穂に、杏化天元は気にするなとしか言いようがなかった。悪いのは宣呼であって嘉穂ではない。そして謝るのべきなのは嘉穂ではなく、宣呼本人だ。そして宣呼の教育係を買って出ている伽耶家の者が筋であろう。それを思うと杏化天元は嘉穂を責める気持ちにはなれなかった。

 しかし、国の備蓄が減ってしまった。それは由々しき事態である。そのため杏化天元は嘉穂には申し訳なかったが失われた酒の補充を頼んだ。嘉穂はその申し出に頷き、廟議が終わったら即時対処すると返事してくれた。

 天元らしい行動ができた、と杏化天元は思った。しかし、それでも気持ちは少しも晴れることがない。宣呼が杏化天元に浴びせた言葉が不安を刺激して止まないのだ。

 ───トキに見放された天元、か。確かにその通りだ。

 宣呼の言葉を思い出し、思わず溜め息が溢れる。

 トキの巣立ちは時代の移り変わりを表すと言われる。神をその身に下ろしたトキは人よりも長く生きる。そのため知識は増え人脈は太くなりあらゆる政策を実行に移すことが容易になる。理想を叶えるために迷う天元を支えることができるのだ。

 しかしそれは同時に視野が徐々に固定されることにもなる。長い間培われたものの見方は簡単には変化しない。時代の流れと共にトキの考え方は古い臭くなっていくのだ。時代の変化に対応できないトキということになれば、トキは天元を支えるという重要な役割を果たせなくなる。

 それを解決する方法が、トキが次のトキを迎えに行く旅立ち、つまり巣立ちなのである。だから本来宣呼の批判は筋違いだ。

 しかし、トキの巣立ちは目に見えて兆候が現れるものではない。ただトキの発言によってのみ開始が宣言される。目に見えなければ邪推する人間が出てくる───今世の天元はトキに見捨てられたのではないか、と。

 杏化天元にとってトキの巣立ちはどちらなのか。時代が移り変わりを感じ取ったトキの判断にも思えるし、天元として愛想を尽かされ嫌がらせのための巣立ちにも思える。どちらの理由によってトキが巣立ちを決意したのか、判別がつかない。

 だから宣呼の発言に怒ることができない。戸惑うしかないのだ。

 道中ずっと俯き悩みつつあった杏化天元だが、案内役の衛士の指示のもと立ち止まることなく馬を歩かせ嘉穂家へと辿り着いた。

 嘉穂の家はとても均整のとれた見た目だった。建物全体がどこまでいっても左右が均等になるよう設計されており、樹木もそれに倣って植えられ手入れされていた。正確さを重視する嘉穂の性格をそのまま建物で表現したかのような風貌に、杏化天元は思わず目を見張った。

 ───随分と手の込んだ家だ。

 杏化天元は馬を降り衛士に預け、声をかける。

「失礼する。嘉穂氏はいるか」

 杏化天元が声をかけたのは、嘉穂家の玄関前で立っていた男性だった。身なりからして嘉穂家に仕える従者だろう。その男は杏化天元の来訪を待っており、杏化天元の声かけに頷きすぐに家へと招き入れた。

 今朝の廟議の時、杏化天元は嘉穂氏と宇木氏にそれぞれ話をしに伺うことは伝えていた。それで嘉穂氏は来訪に備えて門に従者を配置していたのである。

 嘉穂氏の家の中は外観と同様、細かいところまできちんと整理されていた。すべての物の位置が決まっているのではないかと思うほどに無駄がなく、塵や埃も存在しない。彼の几帳面さが家人たち全員に反映されている。

 客間に行くと、すでに嘉穂氏はそこにいて杏化天元の到着を待っていた。嘉穂の手には誰かからの手紙が握られており、それを静かに読んでいた。しかし来客に気付き視線を手紙から上げる。

「お待ちしていました。さあ、こちらにどうぞ」

 嘉穂はそう言いつつ手紙を畳み机の端に置く。そして手で杏化天元に座るよう促した。杏化天元はそれに従い嘉穂の目の前に座る。

「それは誰からの手紙だ?」

 杏化天元は目で手紙を見ながら尋ねる。紙は貴重品である。そしてこの時代の識字率は一般庶民にはまだ行き渡っていなかった。だからそれを扱える人間は役人や身分の高い者、そして一部の商売人に限られる。

 杏化天元の問いに嘉穂はああ、と呟くように言った。

「紀茅様からの手紙です。………読むに堪えない内容でした」

 嘉穂は眉を寄せて悩ましげに目元を抑える。疲れが溜まっているかのような仕草に杏化天元は手紙の内容に興味を抱いた。

 ───宣呼の母親が嘉穂に手紙。どのような内容なのだろうか。

「紀茅様は嘉穂の家のものだったな。よく手紙を出し合うのか?」

 杏化天元の問いに嘉穂は淡々と答える。

「いいえ。滅多にありません。紀茅様はこの家を昔からあまりお好きでない様ですし、敷居を跨ぐのも極力避けられる。ただ、昨夜のことは流石に放置できないと考えたのでしょう」

 嘉穂は視線を手紙へと向けた。その眼に軽蔑の色が混じっていることに杏化天元は気付いた。

 ───宣呼の母親が一族からあまり好かれていないという噂は本当だったのか。

 嘉穂は杏化天元が観察していることに気付かず言葉を続ける。

「手紙には昨夜の宣呼の非礼をお詫びする、と書いてありました。突然の宮中への訪問、国の備蓄を無断で使用し召使を酔わせ、酔った勢いで杏化天元に暴言を吐いた。それらすべて宣呼に非がある、申し訳なかったと書かれています」

 それを聞いて杏化天元はそうか、と呟いた。

「紀茅殿から見ても昨日の出来事は看過できないものだったのだな。宣呼がこれで反省してくれれば良いのだが」

 杏化天元の呟きにも似た言葉に、嘉穂の視線が険しくなる。淡々としていた嘉穂の表情が一瞬で苛立ちを帯びた。

「何をおっしゃっているのですか、あなたは」

「何、というと?」

 突然の嘉穂の怒りに杏化天元は戸惑う。何が間違ったことを言っただろうか、と内省する。それがまた許せないのか、嘉穂は苛立たしそうに空咳をした。

「お聞きしますが、紀茅様はあなたに対して謝罪を申し出てきましたか?」

 そう問われて杏化天元は今朝からの記憶を辿る。昨夜のことで謝罪を受けたのは、目の前にいる嘉穂から。それと、酒の管理をしていた役人から。そして現場にいた衛士たちからだった。宣呼や紀茅からは謝罪を受けてはいないし、手紙も来ていない。

 杏化天元は紀茅が自分に対してどのような考えを抱いているのかに、ここでようやく気付いた。その無自覚さに嘉穂の眉が上がった。

「紀茅様が昨夜のことを本当に申し訳ないと考えるのなら、まず謝罪すべきは杏化天元、あなたに対してするべきなのです。それなのに彼女はこちらに手紙を寄越しただけ。彼女が心配しているのは国のことでもあなたのことでも、そして宣呼様のことでもない。彼女自身の身の振り方だけなのですよ」

 苛立たしそうに嘉穂はそう言うと小さく咳をした。思わず声を荒げてしまった自身を恥じたのだろう。

 嘉穂の言葉を受けて、杏化天元は俯くしかできなかった。

 ───確かに、紀茅殿は私よりもまず嘉穂のご機嫌を取ろうとした。彼女にとって恐怖すべきは天元よりも嘉穂なのだ。これがもし先代天元の時代なら、また違ったであろう。

 そこまで考えて杏化天元は小さく溜め息をついた。そのことを考えたところでどうしようもない、と思ったからである。

「それで、ご用というのはどのようなものでしょうか?」

 嘉穂氏の問いに杏化天元は気持ちを切り替え尋ねた。

「今朝の廟議で話したことなのだが」

 今朝の廟議では財政の状況を話し合った。冬に向けての準備をするに当たってどこにどれだけの資金が投入されているのか、その資金は適切なのか、今後どこを削りどこを補強するのか、といったことを大まかに話し合った。明日からはこれらを一つずつ細かく突き詰めていくことになっている。………そしてその席にはもちろんトキはいなかった。

 その廟議で一番最初に話し合われたのはやはり、刻殿への資金流出だった。

 国全体の資金を一とするならば、刻殿にはおよそ六分の一当てられている。これは寝殿に当てられている資金よりも遥かに大きい。しかもその資金の使途は当麻家がすべて管理しており、内容は不明瞭だ。この資金を全部使い切ろうとすれば、いったい何人の役人を抱え込まなくてはならないのか。それほどに信じられないくらい大きな金額だった。

 ───これだけ資金が投入されているのなら、大氏が無駄だと言いたくなる気持ちもわかる。

「刻殿へ当てられている資金を減らすことは私も賛成だ。しかし、あれをすべて無くすというのはやりすぎではないだろうか?」

 刻殿へ流れている資金額を知った嘉穂はこれをすべて無くすことを訴えた。トキの巣立ちが確定し当分の間刻殿に役人は置かないことになる。そうなれば必要となる資金額が減るのは当然のことだ。だからすべて無くしても問題ないと嘉穂は考え訴えたのだ。

 しかし、トキがいなくなるからといって刻殿を取り壊すわけではない。トキが次のトキを迎え宮中に戻って来る時はいつか来るのだ。その時、刻殿が人が住めない程に傷んだ建物になっていては失礼にあたる。

「刻殿で働く役人たちの給金、衣食は無いものとして扱えるだろう。しかし、建物の修繕費は残しておかなくてはならない。嘉穂の意見ではそれさえも無くせということだった。それには賛成できない」

 杏化天元の言葉に嘉穂は腕を組み目を細めた。

「………それをわざわざ言うためにこちらまで来られたのですか?」

 落ち着いた、それでいて凄みのある声でそう尋ねる。

「何故それを廟議の場で仰らなかった? 何故今ここでそれを仰るのです?」

「それは………」

 嘉穂が刻殿への資金を全部止めると言った時、誰もそれに反対しなかった。宇木はそれが喜ばしいことのように同調し、それに続いて雀居、須玖と賛成した。柚比はどちらでも良いと言い、市来と伽耶は何も言わなかった。

 杏化天元は大氏、大名の言動を見て恐怖を覚えたのだ。どの者もトキが憎いかのように冷たい対応をする。その中でただ一人トキを庇うことは、自身の天元としての地位を失う行為に直結する気がしたのだ。

 ───その様な行為を繰り返していたから、トキは私から離れていったのだ。

 そのことを頭では理解しているものの、実際に行動に移すにはかなりの勇気がいった。だからそれを埋め合わせるかのように、せめて一対一の時に話してみようと考えての行動だった。

 それが嘉穂には気に食わなかったらしい。

「それは?」

 催促されるように尋ねられて、杏化天元は自分の弱さを自覚し恥じた。

「それは………私の知恵が足りなかったからだ。私は気付くのがいつも遅い。だからあの時あの場ですぐに言えなかった。………明日の廟議でもう一度皆に尋ねてみる。それでいいか?」

 ───いつまでも、怯えるばかりで何も言えない情けない天元であってはならない。

 前日の柚比、雀居、須玖、そして宣呼との会話を思い出す。いつまでもこのままではよくないと、寝る前に思ったのだ。トキは巣立つ。自分を支える者は誰もいない。だから、これからは強くあらねばならない。でなければ国は傾き民は飢え迷うだろう。それは防がなくてはならない。

 ───せめて、次の天元にその役目を移譲する時までは、自分がしっかりと国を守らなければならない。

 杏化天元の言葉に嘉穂は少しだけ躊躇い、しかし頷いた。

「そうですね。それが良いでしょう。………私は刻殿の修繕費はトキ様が戻ってきてから考えれば良いと思ったのですが、それだと建物そのものの痛みが酷くなるのも一理あります。その辺りをもう一度話し合ってみましょう」

 嘉穂の言葉に杏化天元はほっと息を吐いた。まさかそのように言ってもらえると思っていなかったのだ。

 ───もっと貶されるかと思ったが、そうではなかった。もしかしたら、嘉穂はトキを毛嫌いしているわけではないのかもしれない。彼はトキへ支払われる金額のほとんどを無駄と考えているだけで、それ以上は何も思っていないのだ。なら、壮途の儀が無駄ではないと説得できれば、あるいは。

「嘉穂、お前はトキのことをどのように考える?」

 嘉穂の目を見据えて尋ねる。杏化天元の本心からの問いに嘉穂は視線を合わせる───それは嘉穂にとって今まで見たことのない杏化天元の表情だった。

「どのように、ですか?」

「ああ。トキは神を人の身に降ろした御使だ。その役目は天元を支え導く。これは天元にとってはトキは大切な存在であることにはなるが、大氏や大名はどう考える? それを教えて欲しい」

 杏化天元の問いを聞いて、嘉穂はゆっくりと自身の顎を撫でる。その目は杏化天元の問いの本質はどこにあるのか、それを探るかのようだった。それが杏化天元には少し怖いものに見えたが、じっと耐えた。

「………そうですね。私から言わせればトキ様は無駄そのものですね」

「無駄、か」

「はい。無駄です」

 真剣に問う杏化天元に対し無礼であってはなるまい。そう考えて嘉穂は本音を語ることにした。そのため一度、居住いを正す。

「私から見ればトキ様は天元のご機嫌取りばかりしているように思えます。天元が何かを願えばそれを叶えるために奔走し、天元が思い悩めばそれを聞くばかりで甘やかし、天元が嫌がり断ることはすべて避けようと努力する。国を動かそうと思えば非難を浴びることもあるでしょうが、そこは神の御使であると言ってそれを避ける。そして天元がトキ様の代わりに顰蹙を買う。このような存在に、いったいどのような価値を置けば良いのか。私にはわかりません」

 嘉穂はそこまで言うと机に指を当てて音を鳴らした。

「もしトキ様が本当に天元を支え導くものだというのなら、その行動は清く正しくあるべきでしょう。そうであれば、天元が誤った時トキ様の苦言に意味が出るし、天元が迷ったら正しさを表すことができる。トキ様が天元を支え導くことに意味が生じる。しかし現状はまるで違う。刻殿には多額の費用が生じ、廟議には参席しない。挙げ句の果てに巣立ちをすると言う。勝手が過ぎる」

 ───そのように、感じていたのか。

 嘉穂の言葉に杏化天元は驚いた。トキに対してそのように考えたことが一度もなかったのだ。

 天元家からしたらトキはいつどんな時でも見方をしてくれる頼もしい存在だ。その身には神が降りており、神が天元家の後ろ盾になっていると考えられる。トキが側にいて共に国を運営していく間は、たとえどのような困難があったとしても大きく誤ることはない。それが天元家のトキに対する考え方だ。それが大氏から見れば印象がまるで変わってしまう。そのことが衝撃だった。

 嘉穂は首を振り杏化天元に尋ねる。

「杏化天元、此度のトキ様の巣立ちは侮辱されたのも同然だと私は感じています。あなたが在位してからは殆ど廟議に参席せず、いきなり次のトキを迎えに行くと言ってきたのですから。何故それをお怒りにならないのです?」

 トキに対して怒れ、などという意見を初めて聞いた杏化天元は驚くよりも先に思考が停止してしまった。それでもなんとか回答を口にする。

「怒るなど………トキは神の御使だ。私とは見ている景色が違うのだと思う」

「なら彼と我らは共に歩むことなど出来ないと私は考えます」

 そう言って嘉穂は一度目を閉じ息を吐いた。

 その様子を見て、杏化天元は考える。

 ───嘉穂にとってトキは天元のご機嫌取りにしか見えない。そして都合が悪くなればいなくなってしまう。だから無駄だと考えるのか。

 杏化天元の様子を見て、嘉穂はこれで話は終わったとでも言うように席を立った。

「嘉穂、もう一つ聞かせてくれないか」

 立ち去ろうとする嘉穂に呼びかける。立ち止まらないかと一瞬不安になったが、嘉穂は杏化天元の声に足を止めた。

「嘉穂はトキがいらないものだと言った。ならもしトキがいなかったとして、国はここまで栄えることが出来たのだろうか?」

 トキの導きなくては国は安寧を得ることはできない。それがこの国のはじまりの御伽噺だ。それを嘉穂は否定するのか、杏化天元はそれを確認したかった。

 杏化天元の問いに嘉穂はしばし考え、そして答えた。

「………それはわかりません。私は神ではなく人なのですから。ですが」

 嘉穂はそこで言葉を止め視線を泳がせ、床へと落とした。

「今この国にトキはいらない。そう考えます」

 杏化天元はその言葉に何も答えず、嘉穂は静かに客間を出て行った。

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