9 須玖家
雀居の家を出た後、杏化天元は須玖の家を訪ねることにした。日は徐々に傾いてきてはいるが、沈み切るにはまだ早い。急ぎ足で須玖の家まで移動する。
須玖の家は宮中を中心に雀居の家を見ると、その反対側に建てられている。その区画には竹林が生い茂り、その中に須玖の家は建っていた。竹林のお陰か、そこでは町の喧騒が少し遠くに感じられる。
杏化天元は須玖の家に行くのは初めてのことだった。なので、道案内役の衛士に連れられて移動する。
須玖の家を見てまず最初に思ったのは頑丈な家だということだった。家の周りには立派な壁がぐるりと囲むように作られており、侵入者を警戒した造りとなっていた。そのため家全体が物々しいものに見える。これは須玖の家が元々武人であった名残である。
杏化天元が須玖の家の前で馬を止めると、そのことにいち早く気付いた須玖の家の者が急いで表に出て来た。見張り役である。
───さすがは元武人の家。警護がしっかりとしている。
須玖家は今は大氏という役職を担っているため、戦になっても武器を手に戦いに出ていくことはない。しかし、武人であったことが須玖家の者たちの誇り。そのため須玖家の何人かは衛士の訓練を仕事としている。また、衛士を取り纏める役目を担っている者もいる。
「すまない。須玖氏はいらっしゃるだろうか」
近づいて来た者に杏化天元が問いかけると、相手は頷きすぐさま家へと引き返した。来客が杏化天元であると一目で見抜いたのである。
少しして慌てた様子で須玖が表に出てきた。
「やあ、杏化天元! こんな時刻にどうなされた!」
「須玖、突然の訪問、申し訳ない。少し話をしたいのだが」
そう言いつつ竹林の向こうに見える太陽の位置を確かめた。のんびりしているとあっという間に日が暮れてしまいそうなくらいに空色が橙へと変化しつつある。夜になれば竹林の影響で一帯は暗闇に包まれるだろう。その前に話を終え宮中に戻るべきだと考えた。
───流石に、いきなり訪問して泊まるようなことはできまい。
それに翌日の朝にはまた廟議が開かれる。その準備もしなくてはならなかった。
「なんと。わざわざここまで来られたということは、それは廟議では話しにくいこと、ということですな。わかりました。しばしお待ちくだされ」
須玖は急ぎ足で家へと引き返し、家人たちに何やら指示を飛ばし始めた。そのことで俄に騒がしくなるが、それもしばらくすると静かになった。
少しして、須玖が再び杏化天元を迎えに出てきた。
「お待たせ致しました。さあ、どうぞこちらへ」
須玖に案内されて中に入る。衛士二人もそれに習った。杏化天元は須玖の家は武人なのだからさぞかし男らしい建物なのだろうと考えていたのだが、実際は違っていた。家のあちこちに大小様々な壺が置いてあり、それらすべてに花が生けてある。その花も野畑に咲いているような、可憐なものばかりだった。
「まるで庭を歩いているかのように華やかだな」
思わず口からそんな感想が漏れた。それを聞いた須玖が申し訳なさそうに頭を掻く。
「すみません。少しでもむさ苦しさを無くそうと思いやってみたのですが………やはりおかしかったでしょうか?」
須玖のその言葉に、先ほどの騒ぎはこの準備だったのか、と杏化天元は思い至った。その心遣いに沈んでいた気持ちが少し浮上する。
「………いいや、とても良いと私は思う」
───須玖は慣習を思い遣る人間だ。これが彼なりのおもてなしなのだろう。
そう考えると自然と笑みが溢れた。
「そうですか? そう言っていただけると嬉しいものです!」
須玖に案内された客間には、部屋の隅にこれでもかとぎっしりに壺が置かれていた。そのため部屋全体がとても狭く感じられる。そしてここの壺には楓や紅葉などの木々が無造作に入れられていた。あまりの豪快な様子に、杏化天元も驚き言葉を失った。
須玖はその部屋の奥の一番立派な壺の側に杏化天元を案内した。
「杏化天元、どうぞこちらでお待ちください。今、お茶を用意します」
「いや、茶は大丈夫だ。それよりも話をしよう」
柚比家と雀居家で立て続けに茶を馳走になっている。これ以上は十分だと思い杏化天元は急かすようにして須玖を座らせた。
須玖が座り落ち着いた頃を見計らって杏化天元は尋ねる。
「須玖、今朝の廟議で壮途の儀のことを話し合った。その時、須玖は行うべきだと言ってくれたな。その本心を聞かせてもらいたい」
廟議の時、唯一行うべきと発言したのが須玖だった。その理由は慣習なのだからというものだったが、その本心は何なのか。杏化天元はそれを知りたかった。それがわかれば、もしかしたら他の大氏たちを説得できるかもしれない。そう考えてのことだった。
杏化天元の問いに須玖は首を傾げる。
「本心? 本心でございますか? そう言われましても………私は慣習に従うまで、と思ったまでです」
「慣習に従う、それだけか? それ以外にも何かあるのではないか?」
「それだけでございます」
須玖はそう言い切ると、すみません、と小声で言った。
「武人にとって大切なのは、決まりを守ることです。決まりがあるからこそ、いざという時に怯えることなく戦うことができるのです。もし決まりを守らず動いたのなら、そのことで誰かが犠牲になるかもしれない。そうならないために決まりはあるのでございます。だから私は慣習も大事と考えます。なので、できれば壮途の儀は、行った方が良いと思います。ですが、もし決まりを守ることでより犠牲が増えるのなら、それは難しいとも思います」
須玖の言葉に、杏化天元は小さく頷いた。
───須玖にとって大事なのは慣習に従うこと。それは武人にとって大切な考え方で、それ以外には何もないのだ。
それがわかり、杏化天元は自分の考えが甘かったことを思い知った。
───宇木が須玖のことを慣習に拘り過ぎだと評したのは嘘ではなかった。須玖は本当にそれで物事を押し測っていたのだ。それ以外の意見は何もない。
杏化天元は自身の落ち込みを須玖に悟られないようにと思いながら、目元を摘んだ。疲労で少し目が眩んだのだ。
「………須玖にとってトキはどのように見える?」
───慣習に従うことのみを是とするのなら、須玖にとってトキとはどのような存在なのか。それを確かめておかなくてはならない。
杏化天元の問いに須玖は顎に手をやり考える。
「そうですなぁ………お偉い方なのだろうなとは思います。人の形をしているとはいえ、その有り様は我々とはまるで違う。髪の色は不思議ですし、長生きされている。神の御使というに相応しい方です。だからこそ、天元家はトキ様を重宝してきたのでしょうし、国の繁栄には欠かせない方なのでしょう。でなければ宮中に住むことは許されまい。しかし」
そこで言葉を止め、探るような目つきで杏化天元を見た。その視線に杏化天元は疲れからか、少し苛立った。
「しかし、なんだ」
言葉に少し棘が含まれた。須玖はそのことに気付いたが、何も言わず言葉を続ける。
「………先代天元の晩年のトキ様はいただけなかったと私は思います。病床に伏す先代天元の側から一時も離れようとせず、天元からの伝言と称してまるで代弁者のように言葉を操り、廟議を混乱させた。それが正しいのか正しくないのか、我々には判断しようがなかった。………あのやり方はあまりにも我々を軽視しすぎだったのではないかと」
「それはトキは天元を支えるのが役目だからだろう。そのことを非難に思うのは間違っている」
杏化天元は思わず強い口調で言い放った。杏化天元は病で弱っていく先代天元の側にいた人間の一人だった。だからトキの献身は身近で見ていた。
───大氏たちは自分達が寝殿に入れないことを妬んで、そのようなことを考えていたのか。
それが杏化天元には許せなかった。単なる八つ当たりに思えたからである。
須玖は杏化天元が腹立たしそうにする姿を初めて見たため、多少驚いた。驚きはしたものの、それをなだめるように話す。
「わかっております。天元は国の安寧を祈り、トキ様はそれを支え導くのが役目です。トキ様はその役目をまっとうしようとした。ただそれだけのこと。しかしですな、国は天元とトキ様で成り立っているのではない。大氏、大名、宮中内で働く役人、国の指示を伝えそれを実行する地方の者たち、そしてその言葉を受け入れ生活している民。多くの者たちの助けによって国はできているのです。だからこそ、それまでのやり方を下手に変えたトキ様は間違っていたと思います」
───ならどうすれば良かったのだ? 病床の先代天元を無理にでも引っ張って廟議の席に座らせるべきだったと言いたいのか?
あまりに身勝手な言い分に腹が立って仕方がない。しかし、彼らの気持ちをトキが無碍にしていたのは本当だったのだろう。だから今、トキを擁護しようとする大氏、大名は存在しないのだ。
「………天元の言葉をトキの口から伝えた。そのことが間違っていたと須玖は考えるのだな?」
杏化天元の問いに須玖は頷いた。
「天元の言葉はたとえその身がどのような状態であれ、天元ご自身で発せられるべきです。それが慣習であり、それが信頼です。トキ様はその慣習を破り廟議を混乱させ、そして今窮地に立たされている」
須玖はそこまで言って深呼吸した。
「………壮途の儀には賛成です。それは巣立ちするトキ様を送り出す儀式なのですから。慣習に従う、それが揉め事をなくす最良の方法です。ですが、今年の米の収穫量が減るのは確実でしょうし、寒さに備えることもしなくてはならない。やるとしてもその規模は縮小させるべきだと考えます」
「………………そうか。わかった」
杏化天元は席を立った。
───これ以上、須玖と話すことは何もない。
絶望にも似た諦めが杏化天元の心を占めた。
「突然の訪問、申し訳なかった」
頭を下げて謝ると、須玖は驚いたように手を横に振る。
「なんと! 謝るようなことはありません! あなたは天元、国の中心。その人から私の意見を所望されたことは有り難がるべきことであり迷惑なんてことはこれっぽっちもありません」
そう言う須玖の表情を、杏化天元はじっと見た。
───須玖のこの言葉もまた、慣習によるものなのだろう。
そう考えると何かがすっと冷えていく感覚を覚えた。自身の中で抱いていた須玖への愛着が思ったようなものではなかったことに、杏化天元は失望した。
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