4 廟議後

 トキが立ち去った後は滞りなく廟議は進行した。今年の米の収穫に応じて備蓄量を調整すること、冬に備えて炭の生産を増やすこと、そのための方策を明日の廟議で話し合うことまで決まり解散となった。

 誰もトキのことを話すことなく、広間を立ち去っていった。

 杏化天元は皆が立ち去った後も一人、広間に残り庭を眺めた。庭といってもこの広間に貴賓を案内することはないので、きちんとは整備されていない。程よい位置に梅の木が数本植っているだけの質素な庭だ。その梅の木もこれからの冬に向けて寂しい姿になっている。今、その枝には雀が数羽留まっており、じっと杏化天元の様子を伺っているかのようにさえずっていた。

 ───自分はトキに見捨てられたのだろう。

 杏化天元は溜め息をついた。

 初めてそれを感じたのは、トキが廟議に初めて参席しなかった日だった。その日は朝から雲の多い日で冷え込みが酷く、山の向こうの方では雪が降り積もり始めていた。そのため広間は氷の中にいるのではないかと錯覚するほどに寒さが酷く、大氏たちはその寒さに対してそれぞれ愚痴を言い始めた。徐々に剣呑な雰囲気に変わり、杏化天元は内心とても狼狽したのを覚えている。衛士たちが気を利かせて炭を広間に運び込んでくれたおかげでなんとか廟議を開始することができる段階となったが、今度はトキがいつまで経っても姿を見せなかった。

 時刻を過ぎても姿を見せないトキに一番最初に苛立ちをあらわにしたのは宇木だった。衛士たちに呼んでこいと叫ぶように命令したが、相手はトキである。宮中に務める衛士にトキと接見できる権限はない。彼らにできるのは刻殿の前でトキが出てくるのをひたすら待つことしかない。

 騒ぐ宇木を他の大氏たちがなんとかなだめ、トキが不在のまま廟議を開始した。

 杏化天元は当初、たまにはそんなこともあるのだろう、と事態を甘く考えていた。明日になればまたいつものように参席するに違いない、と思っていたのだ。しかし、その期待は裏切られた。トキはその後一度も廟議に参席することなく、初めは出てこないトキに文句を言っていた大氏たちも徐々に何も言わなくなっていった。

 廟議に参席しないだけだったのなら、まだトキと話をすることも出来ただろう。年間を通して宮中では様々な儀式や貴賓のもてなしがある。それにさえ参加してくれたのなら、杏化天元は直接トキと話し何故廟議に参席しないのかを問い対策を打つことができたに違いない。しかし、トキは宮中行事にも参加しなかったし貴賓にも会おうとしなかった。刻殿から出て来ようとしなかったのだ。何度か使者を送り様子を探ろうとしたが、刻殿に仕える者たちもトキの行動に混乱しており、どうしようも出来ないでいた。

 誰も、トキが何故刻殿に引き籠もってしまったのかその理由がわからなかった。

 トキが廟議に参席しなくなった事実はすぐさま宮中に広まった。ある者は大氏たちがトキを追い出したのだと噂し、ある者はトキの嫌がらせだと言った。そしてある者はトキが杏化天元を天元に相応しくないと判断したのではないか、と噂した。

 確実なことが何もわからない中で囁かれる噂は止めようがなかった。誰もが自分の思う形でトキの不在に納得し、徐々にトキは宮中に不要だと考える役人が増えていった。

 そして今日の廟議でのトキの発言である。

「新しいトキを迎えに行く、か」

 これを吉と読むか凶と読むか、杏化天元にはまるでわからない。

 トキは時代の移り変わりと共に次のトキを見つけ、その地位を移譲する。神の御使としての役目を他の人間に譲り渡すのだ。そして過去のトキはこの世を去り、新しいトキが天元を支え導く。

 トキの代替わりが行われる時は世の中が大きく変わる時だと言われている。国の在り方が変わる時、今まで問題にならなかった出来事が災厄となる時、仕組みそのものを変えなくてはならなくなる時、理由は様々だ。

 その変化はどのようなものになるのか、それがわかるのは遥か先のことになる。

 ───私では、役不足なのだろう。

 トキが廟議に参席しなくなる前、廟議で話し合われたことは先代天元の負債についてだった。大氏たちが言うには、先代天元は自身の命が尽きる前に浪費を激しくした、トキは弱った先代天元をいいように扱い政治を混乱させた、大規模な資金の投入によって一部の役人の中に不平不満が溜まっている、というようなことだった。トキはそれらの批判をただ静かに聞いているばかりだった。

 杏化天元は大氏たちの批判を聞いて不満を感じた。彼らが批判していることがすべて間違っているとは言わない。ある部分は正しいし、ある部分は考慮すべきだろう。しかしそれは後になってからの評価であり、当時では先代天元の行いに対して必ずしも間違っているとは言えなかった。トキは決して好き好んで負債を積み上げたわけではない。そう感じていた。

 それに何よりも、負債を積み上げていく方針を打ち出した先代天元を制止しなかったのは廟議に参席していた大氏、大名たちである。彼らが真正面から先代天元と向き合い話し合いをすれば、違った結果が出ていたはず。それを棚に上げてただトキばかりを批判するのは間違っている、と杏化天元は考える。

 もしトキに責任を負わせるというのなら、大氏、大名たちも等しくその責を負うべきである───そうは思うものの、杏化天元にそれを言う勇気はない。

 杏化天元の在位はまだ三年にも満たない。彼の発言は大氏、大名たちよりも重きを置かれるが、今はまだ形式だけのものだ。そこに信頼はない。そして杏化天元は自身の発言によって全体の均衡が崩れることを恐れていた。

 現在の大氏と大名は、トキに対して当たりは酷いが、それ以外は比較的良好な関係を築いている。だから安定して国を運営することが出来ているのだ。そして杏化天元は先代天元が作り上げた国の形をそのまま継承することに恐怖を抱いていない。むしろ形を変えず引き継ぐことを望んでいた。このまま何事もなく天元の役目を全うすることを目標をし、そのことになんの苦も抱いてなかった。

 もし杏化天元がトキの味方をし、大氏や大名から批判される立場になったとしたらどうなるだろうか。大氏と大名が天元を見放し、新しく国を作ろうと思い立つのではないのだろうか。杏化天元はそれを想像するだけで恐ろしい気持ちになった。もしそうなれば国はすぐさま立ち行かなくなるだろう。再び混乱期に突入する。それが怖かった。

 ───トキを責め立てる大氏や大名を抑えつけ、建設的な話をする場を作れなかった。それが出来なかった私がトキに見捨てられるのは仕方ないことだ。

 しかし、である。

 トキは新しいトキを迎えに旅立つと言ってくれた。それはつまり、トキはまだ天元家そのものを見捨てたわけではない、ということである。トキは杏化天元を見限りはしたものの、国を見捨てたわけではないのだ。

 大氏、大名はトキを送り出す壮途の儀を資金の無駄であると言った。確かに米の備蓄や冬の備えを考えれば、少しでも無駄を省きたい気持ちもわかる。最悪の場合を想定して準備するのは国を運営する者たちの責任だろう。そのためにトキが一時的に巣立ちのため国を離れるのを好機と捉えるのは仕方のないことなのかもしれない。しかし、トキが先代天元と共に国の発展に尽力したのは間違いない事実だ。トキがいなければ先代天元はこれほどまでに国を発展させることは困難であっただろう。

 そんなトキを、大氏や大名は必要ないから放っておけと考えている。

「このままで良いのだろうか………」

 国のこれからを考えれば、トキが旅立つのを止めることは出来ない。新しいトキが次の時代を導いてくれるのなら、その存在は国にとって必要だ。そして、少しでも資金を貯めておきたいと思う大氏たちの気持ちもわかる。

 ───だが、それを理由にこのままにしておくのは正しいことなのだろうか?

 暗澹たる気持ちを抱えたまま、杏化天元は衛士たちが声をかけるまで一人で考えに耽った。

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