第44話 防衛戦

 防衛拠点は屋敷に移された。


 日は既に落ちている。慣れ親しんだ屋敷の景観はガラッと変わり、今まで日替わりで警備にあたっていた守衛が一時に集められ、見慣れない鉄色の武装をして屋敷の庭で等間隔に並んでいる。さらに柵の外側は最寄りの街から集められたであろう兵士で固められていた。


 使用人のシュトラウスの一家も総動員された。護衛、警備の食料と医薬品の補給を担うらしい。



 本営を構えたのは大広間である。



 戦闘に関しては賢者の依り代が、リョーリフェルドの人員の指揮は旦那様が担当する。



 俺はといえば、数少ない完全に身内の駒として、ハイデマリーの周りのことや流れに任せて雑務をこなす立ち位置にいた。


 ハイデマリーは俺と、護衛の盾役タンクの人が持つ担架に横たわって目を瞑り、嘔吐と吐血を繰り返していた。


 これが賢者の繭の状態らしかった。職業を超越した賢者という存在に至るには、生半可な体の作り替えにはならないと。


 そもそも、防衛戦を抜きにしても五日間の生存が危ぶまれる状態。


「ああ! ハイデマリー!」


 担架が大広間に着けば、待機していた奥様が血相を変えて駆け寄ってきた。


「ヴィムくん! 大丈夫なの!? ハイデマリーは!?」


「そのっ……」


 はい、と言えばいいのに、俺は言葉に詰まってしまった。


 大丈夫なわけあるか。


 今から起きることがどれだけ危険で不安定なことか、ほんの子供の俺には計り知れない。


 今までの無茶とはわけが違うのだ。


 ハイデマリーは、死ぬかもしれない。



「あなた! どうして! この子を止めなかったんですか!?」



 奥様は悲鳴のように旦那様を問い詰めた。


 迅速に動こうとしている現場に逆行する声に、少し剣呑な雰囲気が漂った。


 だけどそれだけに、皆、我に返ったように痛感する。


 これが正常な反応なのだ。


 賢者様の尋常でない指揮に流されているだけである。俺だってまだ状況を呑み込めていない。


 奥様は縋るように旦那様を見ていた。もう言っても仕方がない、引き返せないところまで来ているけど、現実を受け止めるにはまだ時間と言葉が必要だった。


「……この子が言っていたんだ。ずっと、こうなりたかったそうだよ。生まれたときからそうだったと」


「だからって──」


「聞いてくれ」


 旦那様はゆっくりと息を吐いて、言い聞かせるように言った。



「私はね、初めて、この子の望むことをしてあげられると思っているんだよ」






『私の本体と部隊が到着するまで概算で三日、それまで卵を守りきることがこの部隊の使命です』


 まるで戦の前の儀式のように俺たちは整列していた。それに賢者様が語りかける格好だ。


『今より一刻はモンスターの襲撃が主になるでしょう。これを第一波と呼称します。そして問題は第二派、人間です。最悪なことにリョーリフェルドに一番近い都市はジーツェン。間違いなく対人に特化した連中がやってきます』


 大広間に配置されたのは、俺たち使用人と、護衛のうちでも剣士や盾役タンクの職業を持つ、近接戦闘向けの人たち。


 さっき俺と一緒に担架を持ってくれた盾役タンクの人が一歩前に出た。どうやら彼が隊長ということらしい。



『耐えるのです。何を犠牲にしても』



 所定の位置に就く。


 俺には戦闘の参加なんてできないから、使用人として求められればいつでもなんでもやれるように待機するだけだ。


 それでも伝わってくる、痛いくらいの緊張感。


 大広間の外はすでに騒がしかった。それがいつここまで及ぶか、すべては時間の問題のように思われた。



 そして、そのときは来た。



 最初に聞こえたのは破裂音と、足から感じられるくらいの振動だった。


 がしゃん、と最初に一回。それから木が根本から折れる音がして、大広間の壁がごうんと叩かれて、凸の形に膨らんだ。


 揺れる。


「ああ!」


 奥様がハイデマリーを庇うように覆いかぶさる。



魔猪ボアですね。狩りに行きなさい』



 賢者様の無機質な言葉に、扉近くを守っていた剣士が反応して迅速に対応に向かった。


 ほどなくして、猪の断末魔が聞こえた。



 間髪入れず、今度は上方からがしゃん、と音がした。



 鳥だ。


 鳥が、窓硝子を割って飛び込んできた。


 大きさは鳩くらい。だけどここに襲撃をかけてきたということは、モンスターの一種で相違ない。


 広間の上で方向を変えるに二度。そしてハイデマリーに狙いを定めて、飛びついてきた。


 それを撃退したのはどこからか飛んできたナイフである。


 飛んできた方向を逆算して目で辿ってみれば、投げたのは隊長の盾役タンク


 正確無比な投擲に、この鳥型のモンスターは壁に縫い付けられて絶命した。


 隊長は顔色一つ変えない。さっき魔猪ボアを倒しにいった剣士は布切れで剣を拭いながら帰ってきて、なんでもないように所定の位置に戻る。


 彼らにとっては露を掃ったくらいのことだったらしいのだ。



 ──これが、職業持ちの力。



 モンスターの血が赤いのを目撃して、俺にもようやく現実感が湧いてきた。


 ついさっきまで心のどこかで信じられていなかった。こんな平和な田舎に、魔力を辿ってモンスターがやってくるなんて。


 もしかしてすべては念のための予防策で、運が良かったら何もかもつつがなく終わるんじゃないかって。


 だけどそうじゃなかった。


 この襲撃を皮切りに、大広間の守りが機能し始めてしまった。



 不安を煽るかのように断続的にそれぞれ別の箇所から揺れが来る。対処しても対処しても、また別のモンスターの襲撃がある。



「二人寄越してくれ!」



 俺もすぐに見ているだけの手持ち無沙汰な状態ではなくなった。大広間には絶えず補給と人員が要求された。


 補修材と止血剤を持って廊下を走る。簡単な治療なら俺がしてしまう。


 傍ら、見えた屋敷の外の景色。


 かがり火と、武装した兵士。その兵士の倍の数はいるモンスターたち。聞こえる悲鳴のほとんどは獣の声だけど、中には耳にねじ込んでくるような人の声も混じっている。



 大広間に戻るたび、ハイデマリーの無事を確認する。そして隊長を初めとした護衛の人たちが涼しい顔をしているのを見て、少しだけ安心する。



 時間は残酷なまでにゆっくりとしか過ぎていかない。


 そして過ぎたからといって状況が楽になるわけじゃない。賢者様が言ったとおり、時間の経過は新たなる脅威が到着してしまうことも意味してしまう。



 鉄の匂いに鈍感になるのと一緒に疲労で頭が回らなくなってきたころ、明らかに違う種類の揺れと、音を感じた。



 これはきっと爆発音なのだと、わかった。



「ほ、報告ぅー!」


 すぐに伝令がやってきた。隊長が待つことなく問うた。


「今の爆発はなんだ!」


「砲撃であります! 先の被弾では死者はなし! しかし北の柵が一部破壊されました!」

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