第43話 そういうふうに生まれた

『すぐに増援を呼びなさい。リョーリフェルド伯爵に働きかけて、この斎場を最大の警備で囲うこと』


 賢者の依り代の号令によって斎場はすぐさま解体された。


 ハイデマリーの周りだけは初めから儀式に参加していた人だけで固められ、教会の入り口で激しく人が行き来を始めた。


 最初にやってきたのは旦那様──ハイデマリーの父、リョーリフェルド伯その人である。


 旦那様の面持ちはいつも俺たちに見せていた内向きの顔ではなく、貴族社会で生きる一族の長、当主としての装いだった。


 その旦那様が最初に行ったのは、賢者の依り代に向かって跪くことだった。


「賢者様におかれましては、ご壮健にあらせられますことを──」


 今まで仕えていた主人があまりにもあっけなく頭を下げていた。


 衝撃を受けた。賢者とは、それほどまでに巨大な権力なのかと。


『リョーリフェルド伯ですね。手短に言います。あなたのご息女は賢者の卵でした。よって今から職業“賢者”取得の儀式、再誕の儀ア・ド・ヴェントが始まります』


「はっ……! 伺っております! ですがっ」


 この場は二つに分かれていた。訳知り顔で機敏に動いている者と、俺みたいにわけもわからず立ち尽くしている者。


 そこに待ったをかけたのは、渦中のど真ん中でぷかぷかと浮いていたハイデマリー本人だった。



「おいおい賢者様よ! 当事者を置いて話を進めるなよ! どういうことか説明しやがれ!」


『あなたには賢者の素質があります。あとは唱えるだけで、この世界の支配者の一員になれる』


「……そう、いうことなんだろうけどさ、私の意志は無視かい。しかも再誕の儀ア・ド・ヴェントだっけか、やたら大袈裟じゃあないか。成るだけじゃないの」


『おっと、これは失礼しました』



 旦那様は、賢者に大きな態度でため口を利くハイデマリーと、それに平然と応答する賢者の依り代を見てあんぐりと口を開けていた。



『既に防衛戦は始まっています。あなたの強大な魔力反応は大陸中に伝搬し、立ち昇った光の柱が視覚的にも今このとき、この場所に賢者の卵が存在することを知らせてしまいました。今さっきの開胸の瞬間を皮切りに、あらゆるモンスター、組織があなたを狙います』


「……大袈裟じゃないのかい、それ」


『そうでもないですよ。賢者の繭の魔力量があればかなりなんでもできるんですよ。今から言うことは国家機密ですが、王都あるでしょう、王都』


「あるけど」


『あの街のやたらめったら複雑で正確な治水機構システムって賢者の繭を人柱にして実現しているんですよ。この大陸の国の王都は大体賢者の卵が人柱になった何かしらの機構システムを有しています。あと蘇生なんかもできなくはないですね』


「えぇ……」


『賢者の繭はきっかり五日。その間になんとか生き残ればあなたは賢者になれます』


「だったらもうちょっと警備とかさぁ。こんな田舎で慌てて防衛戦とかじゃなくてしっかり交通費出して都市に集めなよ」


『いやね? 都市も都市で大変なんですよ。裏切り者がそこかしこ。というか、そもそも賢者再誕に際してはあんまり対策は意味がないという説が濃厚でして』


「意味がない?」


『賢者の再誕に波乱が伴わなかったことなどないんです。私のときは故郷が滅びました。私たちって、そういうふうに生まれついているんです』



 俺や旦那様を置いて、二人は荒唐無稽な話をしていた。


 護衛の人たちや神父様の反応を見るに、会話の内容は間違っていない、ただの前提のようである。



『改めて問います。我が同胞、ハイデマリーよ』



 信じられなくて、ついていけなくて、違和感しかなかった。ハイデマリーが平然と賢者様と交わしているやり取りは、俺たちの常識的な感覚の外にあった。



『あなたは賢者に成りますか?』



「うん、成るよ」



 あまつさえ見せていたその笑顔は、何もかも納得尽くみたいに晴れやかだったのである。





 予想と違った怒涛の展開のはずなのに、私はむしろどんどん手に馴染んでいくような、世界が私の思い通りになっていくような気さえしていた。


「で、詠唱はなんなの? 発行してくれるんじゃないの」


『……あなたにはまず、賢者の流儀から教えねばならないようですね』


「賢者の流儀?」


『詠唱を唱えて魔術を用いる、という意識では凡百の魔術師どもと変わりません。いいか、詠唱で魔術が起こるのではない──』


 さっきから偉そうに講釈垂れている賢者の依り代とやら。だけど私はこいつにひどく親近感を抱いていた。



『──君の魔術に、詠唱が起こるのだ』




 こいつが言うことは私が感じていた疑問の答えに繋がっていて、その先が示されたような。



『気に入ったでしょう?』


「……ああ」


『では、同胞の卵よ。幸運を祈ります。あなたの意志が我々の席に連なることを願ってやみません』



 うん。


 準備は整っていた。


 あとは挨拶を済ませるだけだ。



「……おい、お父様!」



 呆けた顔の実の父親に、声をかけた。


 こうやってまともに意思を伝えるのはいつぶりだろうか。


「すまなかったと思ってる。お世継ぎに関しちゃ私は何も役に立てそうにないよ。まあでも、この分だと賢者協会から補助だのなんだの出るんじゃないの。どうなの、賢者様よ」


『出ますね。賢者を輩出した一家となればその権威は公爵家と同等まで引き上げられます』


「だそうだ。だから、ごめんね。それと、お疲れ様。こんな聞かん坊の保護者なんてやっちゃってさ。お母様にもよろしくね」


 お父様は戸惑いながらも、ゆっくりと縦に首を振った。


 きっとこの人はいい父親なんだろうな、と今更ながらに思う。



「ヴィム!」



 そしてもう一人、挨拶をしなければならない人がいる。



「は、はい!」


「私結構危ないらしいけど! 運が良かったら、五日後、また会おう!」



 彼はどう答えていいかわからないみたいだった。


 当たり前かな。

 私たちは妙に馬が合ったけど、根本的には全然違う人間なんだ。会話がどこまで成立していたかわからないし、完全にすれ違っていたからこそ、ここまで一緒にいられたってこともきっとある。


 だけどさ、君だけだったんだぜ。私の魂に、気付いてくれたのはさ。



「あのね! 私さ! 不思議なんだけど、しっくりきてるんだ!」



 私は誰かに向かって叫ぶ。



「やはり合っていたんだ。昔から、ずっとそんな気がしてた。道理で話なんて合うわけないんだ ついてこられるわけもない」



 詠唱ってどうするんだろう。


 賢者ってどうやって成るんだろう。


 喉の奥にある胸の奥、魂の底から言葉が出てくる。それが答えだってわかる。私は最初からこうしたかった。


 ここに辿り着くのが必然だった。



「目に映るもの全部邪魔だった。私を阻害するものだった。


『それは私が特別だったから


 真実を穿つ目と 天命を覆す意志を持っていたから


 素には孤独か いいや違う 孤高だ


 我が魂は穢れなく 望むは遥か万海の果て


 そうしてたった今 諒解する──」



 ああ、全部、わかった。




「──私は賢者だった』」


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