第26話 私は呼ばれている
やはり手足は私の自由にならない。胴体もそう。体全体が私の心の邪魔をしてくる。
どれだけ意地を張ろうとも体力というものがある。揺られれば疲れてぼーっとする。肘とか膝とか、体の角ばっているところを全部潰されるくらい打ち付けられれば、痛くて何はなくとも逃げたくなる。
そりゃあ
乗り心地なんて話じゃない。何度も何度も後頭部を打った。家にいたころならお母様に怪我扱いされるような打撲が何カ所も。
簡単に寝ることができないってのも最悪。やり過ごすためのお昼寝なんかして気を抜いたらあっと言う間に板に荷台に打ち付けられる。
だから、やり過ごすために寝るというのは、半分気絶みたいな形になる。
疲れて頭がボーっとして、断続的に揺れに叩きつけられて、胃の中が空になって、呼吸が浅くなって、そうしたらときどき、ふっと時間が経っている気がする。両手足にはいい塩梅に力が入っているから、意識だけなくなっていたような感じだろうか。
一度意識が覚醒すると、もうちょっと気絶したかったな、と思う。でも空を見上げて時間が経っている気がするから、確かに車は進んだんだなとも喜べる。
気持ちが悪いのに暇である。現実逃避に寄った思索が捗る。
しかし、この眠り方というのは眠るというよりも死に近くないか? 仮死状態みたいな。大げさかな。
思索をするといい感じに飽きて、また意識を失える方向に近づく。
そんな中で、夢も見る。
さっきも何か、夢を見ていた気がする。泡沫のような記憶。実際にあったことの思い返し。そんな考えのまとまりの何か。
──私は教室で大人しく黒板の前に座っていた。
何年前だこれは。学校に通い始めの時期かな。新しくてちょっと楽しかった記憶だけど。
でも、教科書って簡単すぎるんだ。読み終わったら授業ではずっと同じことを言って教師が給金のために時間つぶしをしているようで嫌だった。
──私の周りでみんなが別々に話していた。
入れてほしいなんて思ったことはないけど。
『તમે એકલા છો』
まさか。というか、最初の方は私を囲んで入れようとしたんだよ、あいつら。普通に話してたつもりだけど、何か色々断ったりしているうちにそんなこともなくなった。
また目が覚めた。
空を見る。日は傾いているような気がする。
やはり全身が怠くて気持ちが悪い。血が溜まっているけど、どうしようもない。
荷台は高さがあるから屈伸くらいは軽くできる。その上でダメなんだから既に打つ手がないんだ。
座ってこけない方がマシだ。
早くまた意識を失いたい。先に進みたい。
耳鳴りがする。
──マリーって、持ち方綺麗ね!
これは、ティナかな。
もっと熱心にお茶会にも誘ってくれたんだよ、あの子。いい子だよね。私とあいつらの仲を取り持とうとしてくれたんだ。
でもなぁ、お茶会に出向いてみれば大体喧嘩になるんだよ、なんて言われたっけ。
──普通、誘われたら断らなくない?
そうだそうだ、“普通”、だ。
普通ってなんだよ普通って。私は私なりに普通にしてるんだよ。
『હેરાન કરનાર』
そうだよクソどもめ。あいつら性悪も性悪だ。低知能は害悪を生むんだよ。
ああ、連想してしまう。夢心地は悪い方に連なる。
──女の子はこうするものなのよ。綺麗にしとかなくっちゃ。
これは、お母様か。
私はきっと座っている。気持ちの良いお湯をかけられている。
無理矢理風呂に入れられたときだ。もっとちっちゃいときかな。私は何度も何度も聞き返したので、なんで毎日お風呂に入らなきゃいけないかって。お母様は言葉に詰まって結局こう返すのだ。
──普通は入るのよ。みんな、ね。
おいおいおいおい、なんの説明にもなってねえよ。私は面倒だから入らねえよと言いたくなった。
『મે વારંવાર』
そうだよ。
私は普通にしているだけなんだ。
これが私の普通だよ。私は生まれたとおりにしているだけなんだ。それを寄ってたかって違う“普通”が歪めようとしているだけなんだ。
また目が覚めた。
また頭を上げる。日はすっかり傾いていて、随分と長い間やり過ごせていたことがわかる。
すなわち、フィールブロンは近い。
自分を元気づけるために片方の頬を吊り上げてみた。笑っている気がする。嬉しい気がする。
するとおや、と気付く。
気がするんじゃない。形から入ったにしては頬は吊り上がりすぎている。歪んだ笑みになっているような。
本当に喜んでいるのだ。私は。
その源泉はどこだろう。きっとそれは前進に他ならない。列なり馬車が連れて行ってくれる場所へ行くことが嬉しい。
行く? 違うな。
そうか、これは、“帰る”だ。
帰るのだ。
私のいるべき場所へと。
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