第22話 確信

 話すことは余計に体力を消耗するから、黙々と歩く。

 俺と彼女では足の長さが全然違って歩調も違ったので、近くで歩くと乱れてしまう。だから道の端と端に、速さだけは変えないように歩く。


 基本的にはハイデマリーの方がちょっと速い。

 だから俺は頑張らないといけなくて、足を速く回す。するとときどき追い抜く。

 そうすると彼女がちょっと意地を張って俺を抜く。


 それでまたしばらく。二人の速度が落ちるころに俺がまた頑張る。


 太陽に晒され続けていた。日光が強くなくても、肌が焼けることはけっこうな負担になることを知った。日影がないから休まる時間もない。




 頭を一切回さない。だけど考えることは敢えてやめない。その考えていることにまとまりがなければないほどいい。


 ずーーーっと同じことをしていると、似たような思考になるみたい。

 前を見て山と自分の距離を測るのはご法度だから、見るのは足元か、横の景色だけだ。


 すると、ときどきちょっと目が合うのだ。


 最初はちょっと気まずかったけど、繰り返すうちに慣れてくる。

 彼女も相当疲れている顔をしていたけど、目はギラギラしていて、俺の方を見てニヤッとする。


 俺の方も相当疲れた顔をしていたらしい。


 そんなことが数回あって、何を思ったか俺も一回、半分笑いかけるようにした。


 ハイデマリーは吹き出した。


「……二度とやらない」


「あー、いや、ごめん。素敵な笑顔だったぜ、くふっ」


 ちょっとだけ、足が楽になったような気がする。




 ときどき喋って、変に対抗意識をばねにして前に進む。前を確認するんじゃなくて、後ろを確認すると明確に進んでいるので、ちょっと嬉しくなる。


 だけどいい加減限界は来る。


「……くそぅ。はあ、はあ、ふざけんな、くそ」


 ハイデマリーは足さばきを誤魔化すようにどんどん目を鋭くしていく。


 彼女の荒い口調の意味もわかってきた。


「おいヴィムぅ……てめぇ、へばってんじゃねぇだろうなぁ」


「……まだ、一応」


「よーし。私もまだまだ余裕だ」


 俺も相当参ってきた。

 日も高いままだ。野宿にも時間がある。


「あの……お嬢」


「ハイデマリー」


「……ハイデマリー。ちょっと、休憩しま……しない? やっぱり、しんどいかも。昼食もまだだし」


 俺は先に足を止めた。

 彼女との間に合意があった。そういうことで、と近くの一番平らなところに座り込んだ。


「……ちょっと待ってな。お花畑にトイレに行ってくるぜ」


 ハイデマリーはそう言って立ち上がった。


 やはり、休憩で正解だったようである。



 昼食を食べると血がお腹に集まって、疲労感の輪郭がはっきりし始める。


 二人して太陽に背を向けている。それが一番楽だった。

 またこのとんでもなく長い道を歩くというのが億劫で、立ち上がるのに勇気が必要だった。


「おいヴィム、もう体力は戻ったか」


「……はい」


「よし、行くぞ」


 しかしハイデマリーはさっぱりと言い切って、すっくと立ちあがった。

 てきぱきと荷物を詰めて重そうな鞄を背負って山の方に向く。


 そうしてまた、ニヤッとする。


 二人旅だけど隊長は彼女だ。ついて行ったり、ときどき手助けすればいいだけの俺と違って、すり減る精神力は桁外れのはず。


 ずっとずっと不思議で仕方ない。


 何故彼女はこんなにも突き進めるのか。その源はどこにあるのか。



「……なぜ、迷宮ラビリンス?」



 虚を突いた格好になった。素朴に聞いたから、すごくまっすぐな質問になった。


 一対一。逃げ場もない。


 彼女はなんだなんだ、と目を見開いた。そして俺が結構深めに話を聞きたいとわかって、開き直って、向き直った。


 こほんと喉を鳴らす。朗々と喋りだすみたいに。



「いいかい、迷宮ラビリンスは凄いんだぜ?」



 そして雄弁に、それでも半分はにかみながら言った。


「兵士だの役人だのは退屈が過ぎる。魔力に目覚めて迷宮ラビリンスに行かないってなぁ、そりゃあ鳥に生まれたのに飛ぶ楽しさを知らないみたいなもんさ」


「……魔力、ですか」


「ああ。もう目覚めてる。賢者の秤グライトヴィヒトは私に魔力の気配を認めたよ」


 賢者の秤ブライトヴィヒトって、あの、教会の祭壇に置いてあるやつだ。片方の皿にその人の血を垂らすことで、魔力の有無が判別できる。


 魔力の気配を認めたということはそのまま、この年齢で既に魔力に目覚めたということを表しているわけで。


 それは、すごいことだ。


 魔力に目覚める。すなわち職業を習得できる。


 合点が行った。



 彼女──ハイデマリー=リョーリフェルドには才能があるのだ。



 職業を取得できる人間は希少だ。兵士に官吏、宮廷の護衛、あらゆる高級職への切符を手に入れたということに他ならない。


「熱砂の大地の上には極寒の凍土。一寸先は闇の石筍の連綿に、蠢くのはモンスターたちの饗宴。この世の秘密に金銀財宝。何もかも、何もかもがあるのに、どうして行かないなんてことがあり得る?」


 才能とはこんなにも強く確信を呼ぶものなのか。


 俺には気持ちがさっぱりわからなかった。なんの才能もないから。そこにいてもいなくても誰も何も変わらないような人生しか送ってこなかったから。


「その、行ったこと、ないのに……」


「だから今から行くんだ! 確かめるんだ!」


「……そういう、ものですか」


「ああ。なんとなくわかるんだ。私は迷宮ラビリンスの申し子なんだよ。たぶん」


 ハイデマリーの頬は紅潮している。饒舌になって、胸に溜まっていたものをここにさらけ出してくれている。


 圧倒されていた。


 落ち着いたのか、彼女は恥ずかしそうにした。そして話の隙間を埋めるように俺に頭を振った。



「ほら、君の番だ」



 俺?


「こっぱずかしいことを言ったんだ。君も何かさらけ出せ」


「どう、って。その……」


「じゃあなんで来たんだい?」


「それはっ、どこかに、行きたかったから……」


「おいおい、逃げてきただけか? 恥ずかしくねえな?」


 そ、そうか……な? いや、恥ずかしいのでは?


「じゃあなりたいものだ。何かないのかい」


「……ない、です」


「つまんねーやつ」


 ぶっきらぼうに、彼女は言った。


 本気ではないのがわかる。

 でも、その通りなのだ。俺と彼女じゃ格が違うのだ。一から十まで違うのだ。


 仕方ないじゃないか。そういう性分なんだ。


 期待なんてされたことないし。


 やはり彼女からすれば俺は大したことのないやつなのである。

 身長の差の分だけ見下ろされている。


「……何も、何も、ないんです。昔から。生きているだけで、本当に」


 勘弁してもらいたかった。


「その、僕には、何もないんです。だから、おじょっ……ハイデマリーみたいな、強い人が、羨ましくて……」


「ふーん」


 自分の小物っぷりが嫌になる。


 もういい。


 俺はこんなんだから、誰かについていくくらいしか──



「本当にそう思ってるやつが、物語なんて読み耽るかね?」



 しかし彼女は見透かすように言うのである。


「何かあるだろ。具体的じゃなくても。あるだろ、何か。あったかいのが、とげとげしたのが、あるだろ。じゃないとここまで来ないだろ」


 俺は何も答えられないでいた。


 彼女は詰めるようでいて、見守るようだった。俺の方に答えがあることを確信しているみたいで、だけど俺には答えなんてないから、いっそう辛かった。


 時間が過ぎた。


 何かを切り出す代わりに代わりに鞄を背負って、彼女は一歩足を進めた。


「……ま、いつか、聞かせておくれよ」


 俺はやはり安堵する一方で、そんな自分が情けなかった。

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