第56話 裏返し

 不味い。これは不味い。


 頭が全開で回転している。

 組み立てているコードが空中分解しそう。

 そうなったら全身バラバラだ。一瞬でも集中が途切れると意識が飛ぶか骨が折れるか筋肉が断裂する。


 でも体はもっと動く。


 さっきの二倍の重ねがけができるんだから、使えるエネルギーも増える。

 効率も上がって持続時間は足し引きそこまでマイナスにはならない。危険リスクが増すだけだ。


 角猿もこっちの様子が変わったのがわかったみたいだった。

 獰猛な目はさらに鋭く細まって、全身の筋肉が締まるように蠢く。

 肥大すると同時に絞って凹凸がはっきりする。


 余力ありありじゃないか。

 こっちも上げないと危なかったんだ。良かった。



 飛び掛かって爪と山刀マチェットが衝突。

 運動量を交換し合うように衝撃を伝え合う。刃を数回重ねる攻防。



 全部打ち合って伝えて、前方への勢いはすべて失われて、停止。


 互いに互いの間合いの内側。

 むこうの方が腕が長いから本来は少し離れたいのだろうが、だがしかし。


 俺たちは両足を地面に固定していた。


 目と目が合う。理解する。



 ああ、こいつは



 俺は両腕に山刀マチェットを、角猿は爪を。

 曲芸ジャグリングをするみたいに脳を回しつつ、互いの組み立てをすり合わせながら高速で刃を振るう。


 蹴りを交えるなんて無粋なことはしない。


 火花が散る。

 どんどん速度が上がる。

 手持ちの発想が尽きそうになるたびにアイデアを捻りだす。相手も一緒だ。


 一瞬でも選択肢を間違えれば体が真っ二つ。

 こっちはもっとシビアな危険リスクを背負っている。



 これだよ、これ。

 高揚感と裏返しの危険。片方を上げるほどもう片方も上がるこの感覚。



『──くぞ!』



 行ける。まだまだ刻める。

 それと同時に危険リスクが増す。全身が瓦解しそうになる。


 戦いはこうでなくっちゃ。次の一瞬が保証されているなんて退屈でしかない。



『──い、ヴィム少年!』



 ダメだ。こらえられない。頬が吊り上がる。


 そうだよ、ずっとこれがやりたかった。

 上達して危険リスクが下がるのが寂しかった。

 でも安全なのが大事で、危険リスクを上げるのなんて馬鹿らしくて、でも今なら上げないといけないんだから。



「……ヒッ」



 耐えたけど、ちょっと声が出たかも。


 死ぬ。これは死ぬ。


 でも俺は今生きている。馬鹿みたいな綱を渡りきっている。



 最高だ。



 ああ、帰りだとか、仲間の命だとか、何もか──



『落ち着け!』



 角猿が急に、横に跳んだ。

 俺の攻撃に反応したんじゃない。


 意識の外からの攻撃。不意打ちだ。


「落ち着け。無茶をするな」


 大首落としが槍のように伸びて、俺と角猿の間を分断していた。


「十分によくやってくれた。だからそれ以上は上げなくていい。君が尽きたら私たちは全滅するんだ」


 カミラさんの声を聴いて、我に返った。



 俺は今、何を考えていた?



 頭に上った血がスッと引いた。


 そうだった。そういう話だった。

 つい夢中になってしまった。カミラさんの言うことが正しい。


「討伐の必要はない。我々ももう対応できる。だから、頼む」


 脳の強化の倍率を下げた。

 そうだ、ここで俺が無茶をする意味はない。

 討伐するならもっと階層全体の構造が判明して、多人数で攻めるのが効率的。


 夢中になっていた。これはあくまで撤退戦だ。


「すみません」


「まだ動けるか?」


 言われて確認する。


 大丈夫だ。倍率を上げたのは少しだけ。

 倦怠感はあるが問題ない。


「行けます」


「……よし。制御ができているならいい。前衛部隊の対応も上々だ。打ち合わせ通りに行くぞ」


 カミラさんは伝達で指示を出した。


 ここから先の俺の役目は一撃離脱ヒット&アウェイ

 後衛部隊の攻撃にわずかに遅れて、敵が防御した瞬間の隙を突く。



『第二段階だ! 撃て!』



 木々の隙間を抜けて火球が飛ぶ。

 牽制の意味合いが強いけど、他の猿たちにとっては十分直撃が致命傷になる。

 当然角猿にはより強力な炎を差し向ける。


 遅れて俺も肉薄。

 角猿の威勢はもう削がれていて、俺の勢いに負けて後退する。

 深追いはしないように軽い斬撃を数回繰り出す。

 ここから先は本体への攻撃じゃなくて、むこうの攻撃力を損なわせるために爪を割る方向に集中すべきだろう。


 形勢は逆転していた。

 猿たちの囲い込みの不意打ちは失敗し、俺たちは盤面を把握して冷静に対応できる状態にあった。


 やつらもそれを悟ったのか、俺たちを囲んでいた余裕が消え去って動きが鈍くなっているのがわかる。

 聞こえてくる全体伝達もどんどん芳しいものになっていく。


 猿たちは徐々に、そして味方の動きを把握すれば一気に翻って密林ジャングルの闇に消えていった。


『こちらカミラ、索敵部隊、どうだ』


『こちらジーモン。反応は遠ざかっていきます』


 張り詰めていた緊張の余韻が残っていた。

 それが無意味だとわかるまでちょっと、それから、難所を切り抜けたという安心感が伝搬した。



『諸君! 我々は階層主ボスの撃退に成功した!』



 カミラさんの伝達に、みんなが歓声で応えた。





 帰りの転送陣まで、とても明るい空気だった。


 俺の戦いを見ていたみんながびっくりするくらい褒めてくれた。

 本来なら絶体絶命であるはずの階層主ボスとの遭遇をしのいだ安心感もあったのか、大げさなくらい感謝もされた。


「ヴィムさん!」


 アーベル君がグイッと距離を詰めて、両手を握ってきた。


「その……マジで凄かったです」


 お、おう……


 いやいや、引いたらダメだ。

 好意をもらっているんだから、誤魔化すのも良くない。


 笑顔を作る。さあ声を張れ。張るくらいが丁度良い。


 コツはそう、こっちからも両腕を開いて歓迎する感じをイメージするんだ。


「ありがとう! アーベル君も、みなさんも、本当に助かりました! 正直あれ以上は僕も危険で……」


「そんな! 勿体ないお言葉」


「大げさだって……。本当にみなさん、ありがとうございました」


 畏まるアーベル君を見て、ちょっとした笑いが起こる。


 よし、うまくいったみたいだ。


 最近わかったことだけど、話しかけやすいオーラというか、相手の応答を積極的に受け付けようとする態度をこちらから示すことは重要らしい。



「ヴィム君ヴィム君、体は大丈夫か?」



 転送の順番待ちをしている間、ハンスさんが話しかけてくれた。


「はい。おかげ様で。病院に行く必要はなさそうです」


「そうか、なら食事でも──」


「おいハンス。あれほどの戦いのあとだぞ。ヴィム少年も副団長に向かって厳しいとも言いにくいだろう」


 カミラさんが諫める。

 でも自分の体調を振り返ってみれば、体は痛くない。魔力も尽きてない。


「本当に大丈夫、っぽいです。多少疲れてはいますけど、いつもの迷宮潜ラビリンス・ダイブとそう変わりないくらいで」


「そうか……なら無理に止めることもしないが」


 公認が出たということで、ハンスさんは向き直ってニカッと笑った。


「というわけでヴィム君、これでひと段落したことだし、地上に戻ったら食事でもどうだ。みんな君のことを知りたがってる」


 おお、これは一仕事終わったあとの飲み会というやつか。


「そうだな、ヴィム君は行きつけのお店とかあるか?」


「行きつけとかはそんなに……でもときどき行く店ならあります」


「なら、そこでどうだ? あっ、秘密にしたいとかならまったく構わない。そのときはこちらで決めよう」


 グレーテさんの顔が頭に浮かんだ。


 最近、具体的に言えば【竜の翼ドラハンフルーグ】を追い出されたあの夜から一度も行ってないな。


 そういえばもし俺が有名になったら宣伝してくれって言われてるんだっけ。


「いえいえ、店員さんにも宣伝してくれって言われてるので。泊まり枝ってお店なんですけど」


「ほう」


 軽いやり取りではあるけど、こういうのが初めてでなんだか足元がフワフワする。


 人の輪にいるってやつか、これが。

 食事しながらたくさんの人と話すというのはちょっと不安だけど、どうなのかな。


 帰ったら漠然と憧れていたような集まりに参加すると思うと、転送陣を踏む気分もなんとなく違う気がする。



「મારે તે લોકોની જરૂર નથી」 



 ああもう、やめろよ。こっちはうまくいってるんだから。


 そんなで、囁かないでくれ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る