第30話 実感

 階層主ボスが着地するまであと一瞬、今俺がいるのは多分体内の中ほど。

 早く抜けないとミンチになる。

 側面から抜けることにして、進路を変更して横向きに穴を空ける。

 一、二、三と三角形に切ればあとは蹴破るだけ。


 しかしおかしい。体内を斬り荒らしているはずなのに、まだ内臓に辿り着いていない。


 せめて見当をつけてから脱出したい。

 そう思うのと同時に翻って体を上に向けて思い切り背中を反り、壁を蹴破りながら体内を観察する。


 半分透明ではあるが、全部は見通せない。

 いや、黒い靄らしきものはまだ見える。外から見たときと位置が違うのか。


 なるほど、移動しているってことか。急所の位置を変えられるなんて馬鹿げてるな。


 もう時間切れだった。無事に脱出。体が宙に放られる。


 一矢報いたい。

 まだ階層主ボスの体に穴が空いているうちに、黒い靄に向かってナイフを投げた。


 カンッ。


 そういう音がした。そして階層主ボスに遅れて着地、というより着水。


 ようやく俺の攻撃に対する階層主ボスの反応が見られた。


 攻撃が止み、さっきとは違うふうに大きく体をくねらせる。


 多分苦しんでいる。

 そりゃそうだ、ちょっとジャンプした瞬間に体に人一人が通れる穴を空けられたんだもの。理解が追いつくわけがない。というか俺もよくできたなそんなこと。


 ああ、凄い。全部イメージ通りだ。

 刹那に思いついたことをすべて実行している。


 体が熱い。どんどん熱くなる。

 でも頭は冷静。いや、興奮してる?


「……ヒヒッ」


 笑みが漏れた。


 調子に乗ってしまったみたいだ。

 違うだろ。俺の肩には今、夜蜻蛉ナキリベラのみんなの命が懸かっている。


 俺がここで時間を稼げなきゃ誰かが死ぬかもしれない。

 定めた自分の役目を逸脱するな。


 楽しんでる暇なんてない。しかもまだ取り巻きの丸っこいやつらは無傷だから──



 ──楽しんでる暇?



 俺、楽しんでた?


 一度でも自覚したら止まらない。

 死と隣り合わせの感触はスリルだったことを知る。ピリピリする肌が心地よかったことに気が付く。

 巨大な危険が迫れば迫るほど、楽しくて楽しくて、震えてた。


 俺にはきっとこの景色の予感があったんだ。

 ずっと、ずっとここに飛び込んでみたかった。こんな瞬間をずっと待っていた。




 あれ、今、すっげえ生きてる?




 階層主ボスの動きが変わったのが目に入った。

 また触手の攻撃がくると思ったが、違う。


 周辺に一斉に触手を出して、ぐるぐると自分の体周辺に漂わせている。

 あれは、防御か。

 確かに手は出せないけど、俺みたいなのに防御してなんの意味がある。


 その意図はすぐにわかった。丸っこい取り巻きが階層主ボスの周囲に集まってきていた。


 そして、浮き始めた。


「は?」


 ふわふわと浮いている。

 それがかなり高くまで上がり、雲のように俺の上を回り始めた。

 さっきまであった個々の意識みたいなものは消えて、操られているような印象を受けた。


 なんだあれ、魔術か? 魔術って言ったらなんでもやっていいわけじゃないぞ。


 本体の階層主ボスが防御を解いた。


 見た目に変化がある。若干大きくなったか?


 そして触角が増えて、短いのが二本、それから見えにくいけどもう一対増えている。こっちが本来の姿か。


 こう見ると蛞蝓でも蝸牛でもない、やはり海牛ジークンに近いけど、なんだろうか。


 とにかく、これは形態変化だ。

 階層主ボスは追い詰められたときの奥の手としてこういうのを隠し持っている場合がある。


 前の層の階層主ボスもそうだった。


 つまり追い詰めたってことだ。


「第二ラウンドってか」


 さあどうなる。むこうの手がわからない。でも格段に強くなるのは確定的。


 こっちも、もうちょっと上げなくちゃいけないか。






 団長が負けた瞬間、心が折れる音がした。


 何が幹部候補だ。得意になっていた。誰だって助けられるつもりでいた。


 なのに、俺は無力だった。団長の戦いに加えてもらうことすらできず、あまつさえその結末に絶望してしまった。


 ──アーベル君! 防御を!


 ヴィムさんがそう言ってくれて、ようやく俺は動けた。


 この人と団長を守らなければと頭を切り替えられた。

 彼の強化バフのおかげで、信じられない防御を成し遂げられた。

 死に際で少しは役に立てると喜びすらしたかもしれない。


 しかしそう思った途端、彼は俺の脇を抜けて、階層主ボスと対峙した。


 そして彼は今、その階層主ボスを追い詰めている。


 荒唐無稽とすら言える話だけど、意外さを感じなかった自分に驚いた。


 明確な差があった。

 悔しくはない、離れすぎているから、むしろ頼もしくすらある。

 団長への羨望とはまた別の、どう別なんだろう、目標か、いや、方向性が違いすぎて目標にはならないか。



 ああ、そうか。これは、希望か。

 絶望から引き戻してくれた人への感謝と、恩。



 そう思うと腑に落ちた。

 きっとヴィムさんや他の人が見たらなんでもないやり取りだったんだろうけど、俺にとっては重要な瞬間になる予感がした。


 ……今は、生き残ろう。


 ヴィムさんが捌ききっている攻撃の、その流れ弾を、満身創痍で耐えながら。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る