第91話「エリック海兵隊長とスピネル」
全員で手をつないで、ジェイドとベリルたちは坂道を下った。
島に接岸している船は、ここへ来たときは、見上げるほどだった。なのに今は、船上甲板が目線の位置にあった。
船体のほとんどが雲海に沈んでいるのだ。今こうしている間にも少しずつ沈んでいっている。
「やべぇぞ! みんな早く乗り込め!」
急いで船に乗り込んでいく。空飛ぶ海賊船は、ゆっくりと雲の海の中へ沈んでいった。
トットットットッ──!
視界が悪くなった途端、ふいに船の中から妙な音が聞こえてきた。笑顔だった子どもたちの顔が凍りつく。
「なんだろ?」
ベリルがジェイドを見やる。ジェイドが首を横にふる。
床をひっかくような、こするような音だ。船の下層から、徐々に上に上がってくる。
ジェイドとベリルは、ダガーとナイフを構えて子どもたちの前に出た。スピネルも、近くにあったボートの中から、オールを引っ張り出す。そんなスピネルの腰にクリードがしがみついた。
「おいおい。まだなにかいるってのか? 冗談だろ?」
「実は、あなたたちみたいに、隠れてた人がいたとか?」
スピネルがそう言った。
「いいね。俺はその考えに一票」
ジェイドはそう言った。
「それか、あの怪物タコが船底にひっついていたとか、かもよ?」
ベリルが冷静にそう言うと、ジェイドは、弟に非難の眼差しを向ける。
「おいおい。そういうのは勘弁してくれよ」
音が、激しくなり、上甲板まで迫った。走っている。すぐ目の前の階段を登る。
ワン!
「!?」
「あ、ボブおじさん!」
ひとりの少年が叫んだ。ボブおじさんことボーダーコリーが、嬉しそうに、その少年の胸の中に飛びこんでいった。
三人の肩の力が一気に抜けた。
ジェイドとベリルを追い詰め、危うくシチューの材料にされかけた元海賊犬である。この犬は、この少年が飼っている犬だったようだ。
緊張の解けた子どもたちが、しっぽを振り回すボブおじさんの周りにうれしそうに集まった。
「あ~、びっくりした」
スピネルが、ほっと胸をなでおろす。
「ビックリって言ったら、君にも驚かされたぜ。まさか、生きていたなんてな。その怪我、平気なのか?」
ジェイドが肩をすくめてスピネルを見た。彼女は海兵隊長から撃たれたはずだ。だが、ドレスを汚す血は黒くなってすでに乾いていた。
「だいじょうぶよ。これはわたしの血じゃないから」
「もしかして海兵隊長の?」
ベリルの問いかけに、スピネルはうなずいた。
「うん。クリスタルの瓶に悪魔の名前が刻まれているかもしれないって、あの人が教えてくれたんだ」
スピネルが子どもたちと火薬部屋に立てこもっていた時、海兵隊長が、そこへ力づくで押し入ってきたらしい。
それは、スピネルたちを捕らえるためでなく、彼女たちを助けるためであった。
「脱出の手助けをしよう。悪魔の名について、心当たりがある」
スピネルに向かって、海兵隊長はそう言った。
「あなたは誰なの?」
「海兵隊長エリック・コルベール。長く話している時間はない。君たちはすぐに捕まるだろう。だから、こうやって話せるのは今をおいてほかないのだ。わたしの作戦に乗るか?」
そんなことを急に言われても、スピネルは信用できなかった。
「……あのふたりはどうなったの?」
そう訊き返す。
「あの兄弟なら、今頃はクリスタルの瓶を手に入れるために大タコと闘っているところだろう。悪魔を封じるために必要だからね。もしもあのふたりが負ければ、今から言う作戦も無意味になる。君たちの未来に待つのは死だけだ。どうする?」
「わかった。どういう作戦?」
「以前、悪魔の名について、中尉が口にしていたことがあるのだ。『真実の名は、クリスタルと共にある』と、そう言っていた」
海兵隊長はそう言った。
「中尉の言葉が正しければ、クリスタルの瓶に真実の名、つまり悪魔の名前が刻まれているはずだ。あの兄弟が大タコを倒してクリスタルの瓶を手にできれば、それは同時に悪魔の名前も手に入れたことになる」
「なるほど。クリスタルの瓶を手に入れた時点で悪魔を封じる条件はすべてそろうのね」
「ああ。だが、クリスタルの表面に悪魔の名が刻まれているなど一見したらわからない。ただの紋様にしか見えないからな。わたしも気づかなかった。運よくクリスタルの瓶を手にできたとしても、それに気づけない可能性が高い」
「なら、どうすればいいの?」
「もうじき、船は審判の島に着く。その前に、君は隠れて、この船に残るのだ」
「えっ!? どういうこと」
スピネルは驚いて目を丸くした。海兵隊長は、棚に並べられていた弾薬筒を手に取り、筒の中の火薬を捨てた。
「クリスタルは銅の中に封じられている。クリスタルの表面を溶かした銅で壺のように覆っているのだ。その壺には、クリスタルの紋様がくっきりと写っているはずだ。あの兄弟が悪魔の名前に気づけなかった場合、船に残った君がそれを見つけるのだ。そのために……」
そう言うと、エリックは、自らの腕を切り、弾薬筒に血を溜めて彼女に渡した。
「そのために、なに?」
「君には一度、死んでもらう」
「血は海兵隊長のものだったってことか」
スピネルの話を聞いてジェイドはそう言った。スピネルがうなずく。
「けど、まさかクリスタルに悪魔の名前が刻まれているなんてね。海兵隊長の言う通り、僕らはまったく気づかなかったよ」
ベリルがそう言った。
「ああ、そんな余裕もなかったしな」
「うん。あなたたちが悪魔や海賊たちと話しているのを聞いて、気づいてないんだってわかったよ。だから、計画を実行に移すことになったの」
「ボートに潜んでいた海兵隊長もそれがわかった……。だから、作戦通りに空砲で君を撃ったんだね」
「うん。けど派手に階段を転げちゃったから。たんこぶとあざだらけだよ。本当に意識も飛びかけたしね」
「あいつ、最後の最後に本来の自分を取り戻して、自らの血で悪魔の名を明かしたってわけか」
ジェイドは、海兵隊長が灰になって消えたあたりを見やった。
「うん。布切れに紋様を写し取るのにもエリックさんの血の残りを使ったんだ」
そう言って、スピネルが布切れを広げる。
「それに、手伝ってくれたのは彼だけじゃないよ……」
「エリックさんだけじゃない? まさか、海賊のだれかが?」
「いいえ、そうじゃなくて──!?」
話していると、急に船体が大きく揺れた。
「なんだ!?」
揺れは徐々に大きくなり、立っていられないほどになる。子どもたちも慌てふためいている。
ジェイドは腰をかがめて、甲板に膝をつけた。
「みんな落ち着いて! 近くのものにつかまるんだ」
ベリルも腰を落として、子どもたちに向かって言った。
揺れはひどくなり、ゆっくりと船が傾きはじめる。
-------------------------
明日にて完結です。
最後は、エピローグまでの3話を一気に公開します。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます