第74話「眠りの部屋」

 上甲板──

 船尾の側面はガラス張りになっていて、外の景色がよく見える。月と星が差し込む光と、壁掛けランプの明かりが、部屋を照らしていた。


 横に細長い一室の壁には、多くの棚が並び、ガラス張りの引き戸には、小さなかんぬきまで掛けられている。


「ここが例の眠りの部屋ってわけか」


 棚の中を見やってジェイドは、半分呆れたように息をはいた。ベリルも近寄ってみる。

 棚の中には、ふたつきの陶器壺が並んでいて、船の揺れで転げないように、木枠で固定されていた。そして、それぞれの壺には、紐で小さな木札が結んであった。


「お、知り合いがいるぜ」


 ジェイドが手前の壺を指さす。〝船医〟と書かれていた。ベリルが苦い顔をする。ほかにも〝猿乗せ砲撃手〟とか〝青い三角帽の中尉〟とか書いてあるものも見える。


「本来は、もっとたくさんの船員がいたんだろうね」

「ああ。せっかくだから、このまま壺の中で眠っててもらおう」


 棚がある壁のすみに、奥に続く扉がある。ふたりはその扉の奥に入っていく。

 その部屋に入るなり、ふたりは、風の音を耳にする。雲の上を流れる冷気を顔に感じた。


 左右の壁が、柱を残してくり貫かれている。まるで吹き抜けの回廊のようだった。

 その歩みを、ふたりはすぐに止めた。


 まず強烈な悪臭がふたりを襲った。思わず二人とも口と鼻をおおう。それは、鼻やのどの奥に空気としてまとわりつく。


「あれってさ……」


 なにかを見上げて、ベリルがそう言う。


「そうきたか」


 ジェイドも、呆れ半分で応じた。

 巨大な素焼き壺が行く手をふさいでいた。そして、その前には骨と化した牛が横たわっている。床のあちこちにも骨が転がり、中には、人のものと思われる頭がい骨もあった。


 ふたりの気配を感じて、素焼き壺のすぼまった丸い穴から、にゅるにゅると足がはい出てきた。巨大なタコの足だ。


「雨の日には、水浴びもできる。こりゃ干からびなくていいな」


 そう言いながら、ジェイドは大ダコを見上げる。ベリルも息を呑んでそのタコを見つめていた。


 黒と灰色を混ぜたような色の体に、巨大な吸盤。そして大きく鋭い黄色の目が、侵入者を探していた。

 突っ立ったふたりと目が合うと、八本の足をしならせて襲いかかる。巨大な碇綱が暴れまわるように、壁や床を叩きつける。


 ふたりは、思わず前室まで退却した。

 勢いよく扉を閉め切る。壁の奥からは、タコの足がのた打ち回る振動が伝わってくる。

 だが、少しすると、門番の役目を終えたのか、大ダコは、タコ壺の中にもどっていったらしい。ふたたび物音はしなくなった。


 盛大なため息をもらして、ふたりは、壁に背をつけたまま床に崩れ落ちた。


「巨大なタコって、大きすぎるにもほどがあるよ」


 首を垂れてベリルが泣きごとをもらす。


「なるほどね。クリスタルの瓶を守らせるには、うってつけだ」


 ジェイドも、力なくうなずいた。やはり、クリスタルの瓶は、あのタコが守っているに違いない。それだけは、ふたりの確信するところとなった。


「なんとかしてあのタコを倒さないと。いや、倒す必要はない。クリスタルさえ手に入れば……。でも今のままじゃ無理だよ」


 ベリルは、眠りの部屋をあちこち見まわした。いま武器と呼べるものは、ジェイドの銀の手斧一本だけ。それだけであのタコと渡り合うのは自殺行為に等しい。

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