第8話 怪異登場


 それからどれ程の時が流れただろうか?とっくに夕刻を過ぎて、寺の鐘は鳴り終わり、日も落ちて辺りは暗い。周囲を照らすのは月の光だけで、気づけば惣兵衛は源之進と名乗った男の手によって、林に囲まれた小高い丘の上に供物くもつのように鎮座させられていたのだった。


 「う~ん」


 惣兵衛が苦しそうに目を覚ました。


 「おっと起きたのかい?」


 「…ここは?」


 意識はもうろうとするが、聞こえたのは源之進の声であった。しかし、はっきりと意識を取り戻した時に奴の姿は見当たらない。目を擦りながら視界を広げていくと謎の人影があった。さらに目の焦点が合いだすと顔も見えてくる。


 それは明らかに尋常なる面相ではない。毛の生えた獣の形相であり、尖った顔は人間の骨格ではなかった。顔や手にも見える皮膚には毛が生えそろい、その紋様は見たこともないものであった。


 惣兵衛は人間が動物の毛皮を寄せ集めて被っているのかと思った。


 「すまんのう強く叩きすぎたわい」


 「うわ~‼痛い!」


 惣兵衛は驚愕して叫ぶけれど、頭部の痛みで黙った。


 この時、怪我を庇いながらも口や顔の一対した動きから、予想に反して被り物には見えないことに気付いた。


 「おいおい。大丈夫か?」


 「…毛皮が喋りよった」


 「ああ?毛皮ではない源之進だよ」


 妖怪が食った後に源之進の服を着たのだろうか?ともかく殴られて頭が痛い。惣兵衛はあり得ない物を見て気は荒ぶっているが、体は言う事を聞かないようだ。


 この世に妖怪など存在するか?惣兵衛は人並みの信仰心を持ち合わせていたし、生き物の殺生を目撃すれば念仏を唱えるものだが、よもや妖怪に出くわすとは、まったく予想しないのだった。


 「月がきれいだな」


 しかも、何の目的で惣兵衛を仕留めて置いているのかが不明である。どうしたらよいか考えあぐねるけれど、体はまだぐったりとして俊敏に起き上がって逃げられそうにもない。相変わらず妖怪は獣の様相で月を眺めている。


 「御無礼かも知れませんが、本当に源之進殿でしょうか?」


 「何を疑う。声が一緒だろ」


 「食べて声を奪ったのでは?」


 「わっはっはっ!惣兵衛は妄想がたくましいな」


 その様は確かに先程までの源之進の話し方と身振りに通じる。では、結論として妖怪だったのだと納得するしかない。


 「人間ではないのでしょうか?」


 「おう。聞いてくれるか?わしは誠に士官を持った武士だったのよ。しかし、どうも平和な時代では馴染めねえ。水軍までは良かったのだ」


 「水軍ですって、手前には何の事か?」


 そう聞くと、突然立ち上がって名乗りを上げた。


 「や~や~。拙者は海賊あがりの武士にそうろう。豊臣の治世下では豪族に仕えて水軍におったのだ。しかし、徳川の世になりゃあ殿様は何の杞憂か一族をお取り潰し。牢人になったのは自然な成り行きってもんだ。それはそうと水軍時代の酒や女と欲の多い暮らしが長かったものだから、発作的にそれが欲しくもなるわ。とうとう江戸で遊ぶ金欲しさに、お前さんを襲ってしまったっていう落ちでね」


 「豊臣の治世下…、それはいつ頃?」


 「そうだな、百年ばかり前だったか?」


 「百年と?」


 「だったと思うな」


 「………」


 やっぱりこの者は人間ではないと惣兵衛は思った。


 「牢人だった仲間の紹介で士官先に顔を出すはずだったが、不運にもこの大雨だ。方々で足止めを食ってな。刻限に間に合わなかったので士官話も破断だろう。しかし、どうしても江戸の遊郭ゆうかくに行きたいのだよ」


 そう言われてはっとしたが、惣兵衛は荷物を持っていなかった。首を持ち上げて体の周りを見渡すが、それらしい物は見えない。


 「お前さんの荷物は此処ここだ」


 見れば惣兵衛の荷物を持っている。


 「妖怪め!それを返せ」


 妖怪の身勝手な理由と、大切な荷物を奪われている事に気づき始めて惣兵衛は怒った。


 「妖怪とは無礼な!源之進と名乗っただろうが」


 「お前のような者は存在そのもの怪異だ」


 「何たる口だ!昔のわしなら斬り捨てとるぞ」


 「云うて瀕死や」


 ここまで言い争って危険ではないかと心配になってきたが源之進は構わず話している。


 「ならば、人間界で暮らしている経緯でも聞くか?むかしむかし、仲間とはぐれて彷徨っていると異界の口から森深い山中に出てしまったらしい。人間に化けた幼いわしを修験道しゅけんどうの僧侶であった父が拾ってくれ、お堂で育てられたのだ。そうして幼少期をお堂で過ごし、人間がどういう生物いきものかを知ったのだよ」


 こう言いながら、源之進は月を見上げている。


 「お堂で暮らすうちにきょうを覚え、人間の自我は芽生えつつあった。ある日、住職となった父が霊山でぎょうの途上にあって、崖から転落し亡くなったのを直感的に悟った。それから神通力じんつうりきは覚醒を続けて、ついに現世で力の扉を開いたのだ」


 顔から表情が読みづらいが、昔を思い出しているようだ。


 「それからは後を継ぐために、お堂にて僧侶としての勤めを行う日々、行者たちの修行の手伝いをしておったのだが、住職となってからも余りにわしが歳を取らないので怪しむ者が現れた…」


 そこまで話して突然に黙ってしまった。


 「どうなったのでしょうか?」


 「正体がばれて追い出された」


 源之進は悲しそうな顔を浮かべて答えた。


 「それからと言う物は修験者の一行も訪れない。真の深山幽谷しんざんゆうこくの地に合って、わしは行者となって修練に励んだのよ。高い霊験れいけんも授かり、ある時から沢山の弟子が付くようにもなった。これは確か伊賀いがでの事であったかな?」


 「つかぬ事を聞きますが御幾おいくつなのでしょうか?」


 「どうだったかな?住処を変える毎に気分も変えて暮して来たからな。恐らくは五百年には届かないぐらいだと思う」


 (ホンマの人外や)


 心の中で惣兵衛がそう思ったのを、源之進は見透かしたかのように続けた。


 「そう言いなさるな。月の晩にはみにくいい面構えにもなってしまうが、これでも沢山の者の信仰を受けた事もあるのだ。噂を聞き付けた朝廷ちょうていの臣下にも会ったぞ」


 「本当か?」


 惣兵衛は驚いて問いかけた。


 「それから貴族に誘われてみやこに住んでいたが、まつりごとで争うのに嫌気がさして、その後は巡り巡って水軍暮らしになったのだ」


 惣兵衛にはどう巡ったらそうなるのか皆目見当が付かなかった。妖怪の話を真に受けていい物だろうか?このまま荷物を奪われてしまっては、惣兵衛は江戸にどうやって辿り着くというのだ。


 そうは思っても、未だに惣兵衛の体は本調子にならず、頭はずきずきと痛んでいる。


 このまま気を失ってもおかしくない程だった。

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