第4話 一期一会

 やっと伊勢の宿場にまで辿り着いて、峠越えの一団は互いに感謝し合っている。町の入り口では土地の人間が土山で渡した杖を回収して回っていた。どうやら杖は繰り返し、峠を往復しているらしい。


 みやこから離れた場所でも人々の活気は変わらないものである。まだまだ山間の土地なのにも関わらず物資に恵まれた様子を見て、幕府にとっての東海道の重要性を思い知った。


 旅の友となった仙蔵は今日のうちに関宿せきしゅくまで歩くのだと言って、泊まって行けという土地の者の言葉を振り切って逃げた。よほど路銀ろぎんを節約したいのだろう。

 惣兵衛も同じ身分だったが、たっぷり掻いた汗を流したくてたまらない。


 仙蔵は去り際に思い出したように振り返って挨拶した。


 「では兄さん。御達者で」


 「ああ、お互いの旅の安全を祈念しようじゃないか」


 「おいらが神宮に着くころでは、まだ兄さんは道中を歩いているだろうね。とって   おきのご利益をおすそ分けしましょうか?」


 「そりゃ、おおきに」


 そう言って、宿場の中で手を振って別れたのだった。商人と百姓というものは同じ民であっても、どこか心根こころねに相反するところを感じていたけれど、腹を割って話せば気の合う相手にもなると分かったのである。


 往来ではあん摩たちがたむろして宿まで避けて通れそうもない。ならばいっそ、風呂屋で汗を流すと、惣兵衛は半日歩いて張っている足を揉んでもらう事にした。


 四半刻後、


 畳に突っ伏して今後の道のりを考えている。


 「地図によると桑名の先は大きな川が数本並んでいるようだ。この大雨で増水してなければええけど、路銀の不足する場合も考えんと」


 「若いのに苦労されるのう」


 年老いたあん摩は器用に足をほぐしている。


 「いえ、何事も修練になりますから」


 「ほっほっ。その意気は素晴らしい。わざわざ上方から江戸に出るなんて大層な夢を抱くのじゃ、こいつは立派な商人になりましょうぞ」


 「なら良いです」


 「しかし、街道ではあなたのような若い旅人から、身銭を巻き上げようとの不届きな輩もおるから、くれぐれも気を付けなさって」


 「ええ、わかりました」


 街道に賊が出没するとの噂は京都でも嫌というほど聞いた。路銀は振り分けの籠と服の袖、それから盗賊でも手を出さないところに隠している。

 惣兵衛にとっての心配は他にもあり、坂下の言葉にはまだ都の名残があるが、この先はどうなるだろうかということだった。しかし、惣兵衛も元々は京都の人間ではない。


 他の奉公人たちは遠くても洛外らくがいの出身であるけれど、惣兵衛は丹後たんごの魚売りの倅であった。父が仕事で出入りしていた店の紹介で丁稚になったのである。

 京都を出てからは少しずつ郷里の話し方に戻っている感覚もあり、それでも江戸っ子と商売するのだから、これからは別の言葉に順応しなければいけないという思いであった。


 この日、夜半にかけて大きな雨が降り続けた。今日の峠越えを逃せば難儀な旅になっただろう。


 翌日…、


 あん摩に足を揉んでもらったからだろうか、宿の廊下を歩いてみると嘘のように足が軽い。


 「ほうほう。これは十文払ったかいあったな」


 峠を越えたと言っても山間の下り坂がしばらく続く。えっちらおっちらと無様な体で歩く真似はしなくて良さそうだ。

 宿から出て坂道をひたすら下り、ようやく平地に近くなると遠くに関宿らしき喧噪も見えてきた。今日は庄野宿しょうのまで歩くつもりであり、この先ずっと街道に沿って町は続いている。


 しかし、見知らぬ土地は何とも興味深い。店には「名物」と書かれたのぼりが掲げられており、うまそうなものを見ると食べたくなるのが人の性だ。色々と見聞していると、あっという間に刻限が過ぎて、太陽も高く昇ってきた。

 惣兵衛は後ろ髪をひかれる思いで、その場を後にしなければならなかった。


 とは言っても、一切の正体不明な珍品ではなく、何となく予想は付く品物であった。惣兵衛も遂に分からなかったのは、道中にあった百姓の家屋で軒に吊るしている野菜の正体くらいである。


 辺りの田んぼでは百姓が忙しく畑仕事をしている。


 このあたりから街道を東側から歩いてくる姿が目立つようになった。聞き慣れない言葉なので畿内えないの人間ではない。どうやらお陰参りに向かうらしい。

 惣兵衛は騒がしくしゃべっている夫婦に声をかけた。


 「そこの御仁。仲睦まじい会話の邪魔をして申し訳ないですが、どちらの国の人間でしょうか?」


 「俺たちか。遥々と江戸から来たのさ」


 「おお、江戸の方ですか?」


 「そうだよ」


 夫であろう男は飄飄ひょうひょうと答えた。


 「おやおや。お前さんは随分と若いようだが幾つだい?」


 後ろから奥方に質問された。


 「滅相もない。手前もよわい二十になる男でございます」


 「はっはっ。こりゃすまないね。もっと若く見えたよ」


 奥方はほがらかな表情で笑った。


 「いえいえ」


 「俺は女房と伊勢にお陰参りに向かう途中さ。ここまで本当に苦労したぜ」  


 「こちらの旅はまだまだ遠いですよ」


 「ほう…、そちらはどこへ?」


 「これから商売のために江戸へ向かうのです」


 「こりゃ同類」


 どうやら夫婦も江戸に渡った口らしい。こうして夫婦と親しくなった惣兵衛は茶屋で団子を御馳走にもなり、そこで色々と身の上話に花を咲かせたのだった。江戸で一旗揚げるのだと言うと、夫婦から親の代に江戸に移住して、それから人足やら奉公人やらと方々を働きまわった挙句に、屋台から料理屋として成功したという苦労話を聞かされた。


 「お前さんと同じくらいの歳から屋台をやって、店を持つまでは本当に苦労したぜ」


 「そうですか」


 「でも江戸っ子たちは一度信頼を築いたら、毎日のように足を運んでくれる人情を持っているからね」


 「それは吉報だ。商売人にとって信頼は一番ですよ」


 「そうさね」


 江戸になじむのに言葉は大切らしく、夫婦に少し教えてもらった。


 惣兵衛も五人兄弟の末子として生まれ、九歳から丁稚になって、奉公の身となって小間使いや商いの修行に励んできたという身の上を話した。二人とも感心してくれたようで、自分たちの店は江戸の四日市町にあると教えてくれた。


 「この先の四日市と同じ町名ですね」


 「もちろん由来も同じだよ。商いにはいい場所だな」


 「なるほど」


 そう言った情報も惣兵衛には垂涎すいぜんだったが、そろそろ旅の道中に戻らなければならない刻限である。ここはお開きにならなければならない。


 「まだまだ遠いけどね。体に気を付けなさいよ」


 奥方が心配してくれる。


 「御ふた方も道中はお気をつけて」


 「おう。縁でもありゃ江戸で会えらぁ」


 「ええ」


 「気を付けるんだよ」


 離れていく夫婦の後姿を見送りながら、一期一会いちごいちえという言葉は今こそ使うべきものだと惣兵衛は思うのであった。


 この日、暮れ方に庄野宿に辿り着いた。

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