第4話 当たって砕けろ
「Go For Broke」
一言つぶやき、世界は止まる。
そして、一筋の光が宙を待った。
私は足を踏み出した。ドン、ドンと衝撃を体に感じながら、そうして彼等の元に向かって行く。これは時が止まった訳ではない、そんな魔法があるのか私は知らない、少なくとも私は使えない。
これは単に私がとても早く走っているだけだ。胃が押しつぶされて中身が逆流しそうになる、胸も締め付けられる様にキリキリと痛い。
ミノタウロスまで五十歩程度、実際の時間では瞬く間だが、私にはとても長い時間に感じられる。
目がかすむ、これは眼球が変形しているからだと誰かに教えてもらった気がする。筋肉や腱がブチブチと嫌な音をたてる、身体を動かす度に骨が軋み、悲鳴を上げていた。
痛みは感じる、怖いとも感じるはずなのだが、いつかどこかに置き忘れたのかもしれない。
怒り狂ったミノタウロスがアレクシスの真上から鉄塊を叩き付けようとしている、そして彼の足下に真っ黒な線が見えた。
皆は見えないらしい、魔眼の力でも無いらしいが、あれが生と死の境目なのだといつも思う。それが見えていることが、何よりも私には恐ろしかった。
どうやってミノタウロスを止めれば良いか、あの鉄塊がとてつもなく厄介だ。なら私に出来る事は手に持った剣をぶつけるくらい。残念ながら華麗な剣術は使えない、それでもこの力なら、一瞬の隙なら私でも作れる。
あっという間にアレクシスとミノタウロスの間に割って入った。ミノタウロスを見ると、その瞳の奥に煮えたぎるような怒りを潜ませているみたいだ。
どうして魔獣はここまで人を憎むのか、殺すのか、私には分からない。だけどお前には悪いが、私の大切な仲間をこんな所で死なせる訳にはいかない。
振りかぶられている鉄塊に斬りかかった。そのまま剣を叩き付けると、グーンと鈍い衝撃が手に伝わり、剣が歪んでいく。鉄塊はなかなか動かない、それでも気合いを入れて両手で剣を振り抜いた。
その一瞬の邂逅は、辺りに大きな衝撃を撒き散らす。ミノタウロスの鉄塊は遙か後方に吹き飛ばされ、大きな身体がよろけた。私は後方に吹き飛ばされる、両手に持っていた剣は無残にも折れ曲がりポッキリと逝った。
でも、これで十分だ。
「がはっ……アッ、アレク!」
止まっていた時間が動き出したかの様に、その瞬間に私は叫んだ。次に見たのは、体勢を立て直し両手に持った剣を一際輝かせるアレクシスの勇姿だった。
「我が剣よ、魔を切り裂け!Holy Sword」
バランスを崩したミノタウロスはこれを躱せない、大きな光の刃が身体を真二つに切り裂いていく。その光はいつ見ても綺麗だ、英雄に憧れる子供の様な気持ちになる。凄く格好いい、羨ましい。
「なぎ払え、Fire Ball 」
ソフィが追撃する様に魔法を放つ、何発打ち込んでいるのか、凄い連撃だ。もうミノタウロスも死んでいる気がするが、その胴体に火球が次々と着弾する。流石は英雄達、容赦の無い二連撃を叩き込む。
そして私は地面に叩き付けられていた。ぐふっと呻き声を出して、無様に地面を転げ回ってしまう。
「あっ、アルヴィ! アルヴィ、大丈夫?」
ソフィが慌てて駆け寄って来る。私の名前を呼びながら、彼女はペタペタと私の身体をさすってくれるのだ。
そう……私はアルヴィ、ただのアルヴィである、由緒正しそうな名字は持っていない。彼等とは違う、決定的に何もかも違う、そんな事は分かっていたはずだった。
それにしても痛い、今は触られると痛い、出来れば宿屋のベッドの上で優しく触って欲しい。地面に叩き付けられた衝撃で思うように声が出ない。
両足は痺れ、両手は真っ赤に染まっていた。やはり今回の魔獣はとんでもない怪力の持ち主だったのかもしれない。
「カリーネ、アルの傷を。すまない、アルヴィ……油断した……」
アレクシスが隣りにひざまずいていた、そして深刻そうな顔で私に声をかける。それじゃあ男前が台無しだろうと私は思うが、精一杯に笑顔を浮かべるものの、恐らくは苦笑いになっているだろうか。気にしないでくれと言いたいが声が出ない。
彼は英雄達のリーダーなのだ。リーダーという人は毅然とした態度で良いと思う、そう従者の人も言っていたし。
「アル、少しの辛抱ですからね。Healing Light」
柔らかい声が聞こえると、私の周りに綺麗な光がキラキラと降り注ぐ。少しずつ体の痛みが引いていく。これは傷を治す魔法、つまり回復魔法だ。
他人の体に干渉する魔法は凄く難しいらしい、使用する本人の精神状態にも影響するという。ちなみに何がとは言わないが、彼女はアレクシスの怪我を治すのがとても得意である。
それはさておき、回復魔法を唱える彼女も英雄の一人、カリーネ・オースルンドだ。恐らくこの人がいなければ、私は頻繁に死んでいるだろう。誰に対しても優しい、いつも優しい、怒ったとき以外はとても優しい人である。
教会にいる信徒の様な、淡いクリーム色のふんわりとしたローブとマントを身にまとっている。そして何となく聖なるオーラをいつも放っている気がする。
安っぽい木の杖を使って即死以外の傷を癒す事が出来るとんでもない人だ。もし私の腕が千切れても治すことが出来てしまうと言っていた気がする。
ちなみにアレクシスとは恋人同士、皆には秘密にしているけれども、少なくとも私は知っていた。二人の逢瀬のために私がどれだけ骨を折ったか、たまには恩を返して欲しいくらいである。
そして、アレクシス・ラティカインがラティカイン王国に縁のある人物なら、彼女もまた尊い人物だろう。ラティカイン王国とルクレール共和国の間にオースルンド聖教国と呼ばれる国が存在する。国の名前を名字には出来ない、普通はそう言うものらしい。
それにしても、魔獣は完全に倒せただろうか、少し上体を起こすと真っ黒い線はもう見えない。辺りには破壊の限りを尽くしただろう痕跡が残っていた、これは整備しないと馬車が通りにくそうだ。
「ありがとう、カリーネ。皆も大丈夫?」
目の前でオロオロと泣いているソフィを見ながら、ほっと胸をなで下ろす。私も皆の様に格好よく戦いたいものだ。
旅の途中、私は今まで何度も迷惑をかけたらしい。皆の足手まといにはなりたくないのだが。
この力は火事場の馬鹿力の様なもの、使えば身体は上手く動かなくなる。幾つかの危険と引き換えに一時的だが魔獣と戦えるまでの力をくれる。
大昔なら誰でも適切な手順を踏めば使えたらしい、特別な才能がなくてもだ。以前、彼等はそう私に教えてくれた。
しかし、この力は使われなくなったそうだ。理由は簡単だ、手加減が出来ず、戦うには効率も悪い。それに危険と対価が見合わない、おまけに悪い力だとも言われている。
彼等は選ばれた尊き英雄達、私はただの村人だけれども。それでも旅に同行出来るのは、この力が使えるからだろうと内心は思っていた。
もちろんカリーネの回復魔法があっての話だが、きっと私たちの関係は酷く歪なのかもしれない。
少しソフィの柔らかさを感じながら、そして私は若干の思案をめぐらせた。私でも喜怒哀楽の感情はある、そして誰かを好きになることもある。
「ソフィ……本当に、大丈夫だから」
「うっ、うん……」
目の前の小さくて、優しくて、たまに泣き虫な女の子は普通の子ではないかと。ソフィ・ルクレールとルクレール共和国には縁もゆかりもないのではないか。
従者が一緒にいるが、国から派遣されているだけ、彼女自身は普通の子だと。
いつも私と一緒にいてくれる、いつも私に笑ってくれる、いつも私に優しくしてくれる。
だから少しくらい好きになっても良いのではないだろうか。いつからか、そう思ってしまった。
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