7.秘密基地-3

「わっはっは……!」

 そんな風に笑いだしたのは、またもや、お爺ちゃんだった。

「いきなり血相かえて立ち上がるから何事かと思えば……」と、目尻についた涙を指先でぬぐい、

「久留間さんは、それくらいの事で腹を立てるような人間じゃないよ」

 まぁ、座んなさいと、かるくてのひらをあおぐように動かしながら、わたしに言ってきたのだった。

「そうですよ。そもそも、同じ会社で一緒に働いているんでしょう? 久留間さんから、さっき、優秀な僕の部下なんですって自慢されましたよ。本人には黙っておいてくださいね、とも言われましたけど。……お嬢さんの方も久留間さんの為人ひととなりはわかっている筈。なにより、ご本人が声をかけて、貴女を自分のクルマに乗せたんですから、それで文句を言ったりしやしませんよ――そうでしょう?」

 それに重ねるように、おっとりとした調子で、お婆ちゃんも。

 わたしがガバッと立ち上がったのにつられてか、同じくすこし腰を浮かしていたけれど、安堵したみたいで座りなおすと、お爺ちゃんと一緒に、ほら、座って座ってと促してきた。

「は、はい。あの……、突然、立ち上がったりして申し訳ありませんでした」

 わたしは、顔があかくなるのをおぼえながら、腰をおろす。

 そうだよね。わたしの知る久留間課長補佐って、そういう人だった。

 いつもニコニコしていて、およそ怒っているところなんて見たことがない。

 部下の誰かが仕事で失敗した時はもちろん、加代が手をすべらせて、課長補佐にお給仕していたお茶を引っ繰り返した時もそうだった。

 あの時は、机の上をびちょびちょにされたのに、真っ先に加代に火傷とかしてないかって訊ねてたっけ……。

 あぁ……。

 ダメだな、わたし。ほんと、ダメダメだ。

 いい歳をして、いったい何をやっているんだろう。

 お借りしたスカート越しに、腿の部分をギュッとつねった。

……ふるいけれども、隅から隅まで綺麗に掃除してあるお部屋。

 でも、わたしのふいの動作で、食卓にほこりが舞ったかも知れない。

 突然、押しかけ、お風呂やら食事やら手間と面倒ばかりかけているのに、その上、不作法ときたら救いがない。

 ホント、わたしときたら、なんと迷惑な客であることか……。

 と、

「ウン。そんなワケで久留間さんは、ちと時間がかかるじゃろう。お嬢さんも、初対面のじじばばと一緒にいきなり食事じゃ、せっかくの料理も味がろくにわからんと思うし、ここらで自己紹介でもしとこうかい」

 わたしが落ち込んだことを察したか、パンパン! と、お爺ちゃんが、かるく柏手をうつように手を叩いた。

「あら、そうね。お互い、まだ名前も知らないものね」

 目をパチパチとさせて、お婆ちゃん。

 その言葉に、今更ながら、人の家に来ておきながら、初対面の相手に挨拶はおろか、自分の名前も告げてなかったことに気づいて、わたしは、あ、と口をおさえた。

 うわぁ、やらかしがドンドン増えていく。

 そして、

「私たちはね、山神といいます」

 慌てて、きっちり座り直すと姿勢をただし、土下座もかくや、といった勢いで、頭を下げようとしたわたしの前に、それをさえぎるような案配で、お婆ちゃんが、まず口火をきり、互いの簡単な自己紹介がはじまったのだった。――わたしが、こちらにお邪魔するに至った理由は、話したくなければ話さなくて良いからね、と優しい口調で配慮までされて。


「……それでの、我が家うちまでの道中でお嬢さんもわかったと思うんじゃが、とにかく、ここらは田舎でのぅ。いっそ、人里離れた隠れ里――秘境と言ってもいいかもしらん。農業、林業以外にゃ満足に仕事もないし、買い物にも、学校、病院に行くにも不便じゃしで、若い者たちはよう居つかん。それどころか、働き盛りの世代までもが、ここよりはるかに便利で暮らしやすいにどんどん出て行ってしまうばかりの土地なんじゃ」

 食事の途中、お茶で喉を湿らしながら、お爺ちゃん。

「儂らのところも子供たちはみんな、都会で仕事を見つけて暮らしておるし、儂ら自身は、ここでずっと暮らしてきたから、そんなに何が不自由じゃとは思いもしておらんかったが、やっぱりのぅ。今は良くとも、こうして歳をとったで、これから先、病気のこととか、万一の時のことを考えるとなぁ……」

「ご先祖様には申し訳ないけど、そういうワケで、この家を売って、そのお金で、どこか施設にでも入ろうかって、お爺さんと話し合って決めたのよ」

 すこし寂しそうに言うお爺ちゃんの後をお婆ちゃんが引き取った。

「ウン。それで不動産屋に売却の依頼をしとったら、それを目にしたんじゃろう――ある日、ここを訪ねてきたのが久留間さんじゃったのよ。この家を自分の秘密基地にしたいとか抜かしての」

「は?……秘密、基地……ですか?」

 一瞬、自分がいま何を聞いたのか理解できなくて、オウム返しに聞きかえす。

「そうそう、秘密基地」

 変でしょう? と言って、お婆ちゃんが、ころころと笑った。

 わたしの聞き違いなどではなかったようだ。

「はぁ……、秘密基地……」

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