7月22日(木)【05】遊ぶことは楽しいこと
ラジオ体操から無事帰還。
ルーティーンを済ませるとアサガオに水を噴射した。
「えいっ――」
「おふっ!」
両脇腹を後ろからギュッとつかまれて、コンクリートにキュウリを描く。
「今日も早いね」
犯人はエリカさんだ。
「ラジオ体操があるので」
「あー! なつかしい」
「大人も参加できますよ。そこの小学校で、6時30分スタートです」
「えー、わたしも行きたいなあ」
本当に行きたそうな顔だ。早朝のラジオ体操なんてものに自発的に参加するのは、老人と子供だけだと思っていた。
「じゃあエリカさんも是非。明日の朝、6時20分にここで待ってます」
「えっ。うーん、やっぱりやめとこっかな」
迷っているというより困っている顔だ。誘った手前、少しだけ落ち込んだ。と同時に、《社交辞令》というやつだと気付いて申し訳なく思った。
「どうせ体操するだけですし。ぼくもスタンプ集めが目的ですし。もし参加したくなったらいつでも言ってください」
これ以上気をつかわせてはいけない。
会話を終わらせ水やりを再開する。
「いや、そういうことじゃなくて。本当に行きたい気持ちはあるの」
本当に行きたそうな声だ。
「じゃあ25分まで待ってますので、エリカさんが来なかったらぼく一人で行きます。かまいませんか?」
声に期待をにじませないよう注意する。
「うーん。じゃあ、それでお願いします。あきふみくんが迷惑じゃなかったら。ダメだったらごめんね」
「はい」
〇
「はい。耕地でございます」
「あっ。初乃と申しますがキヨフミくんいらっしゃいますでしょうか」
「あー、あきふみ君ね。キヨは今起きてきたとこ......(キヨー、あきふみくんから電話)」
「――はい、もしもし」
「昨日、電話くれた?」
「おう。遊ぶ約束してたやろ。その電話。今日遊べる?」
「いけるけど。何時にどこ?」
「じゃあ13時に俺ん家きて。野球のゲームしよう」
「わかった。じゃあまた」
「ほい。じゃあ」
電話のキヨは別人だ。母親が近くにいるせいだろうか。
受話器を一度下ろすと、すぐに持ち上げ、暗記しているケイタん家の電話番号をプッシュする。
「――あいつもしつこいな。まてよ......ヤンデレって知ってる?」
「言葉くらいは」
「ヤンデレっていうのはな――」
電話代がかかるのでケイタの言葉を無視する。
「それで今日は無理なんだけど、明日はケイタあいてる?」
「何曜だっけ?」
「えーと、金曜」
「オッケー。土曜は水泳と空手あるから、それ以外ならいつでも」
「じゃあ明日行くわ。そんでなんだけど、キヨがもし40日ぶんの予約入れてきたらさ」
「ほう......」
「『ケイタとの約束入れてる』って言っていい?」
「おう。別にいいぞ」
「ありがと。じゃあ明日13時に」
「あっ。日曜も家で遊ぶのは無理。父ちゃんいるから」
「りょうかい――」
ぼくは《理由が無いと断れない》臆病さ、弱さを自覚している。もしもに備える。辛いことの後に楽しい冒険が待っていると思うと、少し心がほぐれた。
〇
――ピンポーン ピンポーン――
カメラ付きのインターホンは、一度押すと二回チャイムが鳴る。柔らかい音にゆったりとしたリズムで、押した者の鼓動を落ち着かせる効果があるのだろう。
ぼくの鼓動は停止寸前まで落ち着いていた。
――ガチャン――
三階建てマンションの三階一番奥、白いガッシリとしたドアがなめらかに開く。
「入って」
「おじゃまします」
キヨの家は良いにおいがする。
適温より冷えた廊下の突き当り、の一つ手前、左側の部屋に案内された。
「実は女子大2回生の姉さんの部屋なんだよねー」と言われても違和感のないシンプルで大人びた部屋だ。
重いカーテンと分厚い窓ガラスによって、セミの音量はほとんど遮断されている。その代わりに、ベッドの反対側に置かれた薄型テレビのスピーカーが、男の子の脳を高揚させるゲーム音楽をたれ流していた。
「学校でいってた野球のゲーム。新作やで。いま選手育ててる途中やから終わったら対戦な」
キヨはそういうと、胴体の浮遊している2頭身キャラクターの育成に入った。
ぼくは白いテーブルの左側、キヨの反対側に腰を下ろした。ひんやりとした机に両腕を引っ付けて、ゲーム画面を眺める。
「――え、この選手も知らんの?」
はじまった。キヨの野球知識ハラスメントだ。
「知らん」
「お前ん家、テレビあるん?」
「あるけど」
「テレビちっこすぎて選手見えへんのちゃうん?」
「ブラウン管のほうがでかいぞ」
「そうゆうことちゃうねん。インチやねん。奥行きはでかいほうがダサいねん。あと選手の話しとんねん」
「野球に興味ないからな」
ぼくがこの言葉をいうと、キヨの目ぶたが少しだけ下がる。勉強とは違い、娯楽の知識自慢は特定のコミュニティでしか効力を発揮しないとキヨも理解している。
ゆがんだ笑みがこちらを向く。
「じゃあカードもいらんな。お菓子だけやるわ」
キヨがプロ野球選手のカードだけが抜き取られたポテトチップスを、机の向こうから滑らせた。中身が何枚か散らばる。
「全部食べていいん?」
「あげるわ。飯もろくに食ってないやろ。俺カード欲しいだけやし」
「ありがと」
ケイタが言っていたとおりヤンデレというやつかもしれない。ぼくに当てた悪口ぶんのお礼を、一枚ずつ拾い上げた。
「――おっし。対戦しようぜ。手、拭かなしばくからな。ティッシュそこあるやろ」
ぼくは口に添えたポテトチップス袋の角度を上げてカスを流し込んでから、手の油をぬぐってコントローラを握った。
「――お前弱すぎ。コールド勝ちしてもたわ」
12対2で圧勝したキヨは、ハンデをあげるからもう一回やらせてやるという。
「――センターフライくらいとれよ。ほら、二塁で止まっといたるから」
「対戦ゲームは得意じゃないからな」
「練習せえや。貸したるから」
「持ってないから」
「あ、お前ん家テレビゲームの《本体》無かったか。すまん。さすがに本体は貸されへんわ」
そういってキヨはコントローラを床に置くと、両手を合わせておでこに当てた。
キヨはクラスに友達がいない。休み時間はスポーツ大好き男子たちと仲良くしているように見えるが、実はいじられているだけだ。彼らはキヨと遊ぶのではなく、キヨで遊んでいる。
ぼくもときどき人数合わせで彼らとのボール遊びに参加するが、キヨは完全に笑われるためのおもちゃだった。
でもなぜか休み時間になると、キヨは彼らの後を追いかけて運動場にいく。
「――じゃあコントローラ交換したるから。これで逆転されたら、お前めっちゃ恥ずかしいで」
キヨと出会ったのは幼稚園のスポーツクラブだ。金曜日の昼過ぎから、休憩をはさんで2時間ほど。体育系大学を卒業した超人先生に、いろいろなスポーツを習った。
その時もキヨはぼくより、というより誰よりも、野球が下手だった。
そして、今年のクラス替えでキヨと再開した。幼稚園のときも口はヤンチャだったが、数年を経て、さらに残念な方に成長していた。
「――はい俺の勝ち。全勝やったな」
「じゃあそろそろ帰る」
「えっ――。じゃあ明日もやろか。練習させたるわ」
不思議だ。幼馴染とはいえ、なぜこんなにもぼくに執着するのか。ヤンデレについて、ケイタに詳しく聞いておくべきだろうか。
「ごめん。明日はケイタと約束してる」
「またあいつか。あんな目細いゲームオタクの方が――」
「――じゃあケイタ連れてこよか? 野球ゲームも強いやろし。良い対戦相手になると思うけど」
「えっ......はあ、ええわ。勝ちたいわけちゃうし」
「あっそう。でも勝負せえへんなら、もうケイタのかげ口たたくのやめろ」
どういう理屈か自分でもわからなかったが、とっさに言葉が出た。
「はあ......はあ?」
「悪口言いたいなら、そいつの目の前で言え」
ケイタは空手をならっているので現実世界のバトルでも勝てると、少なくとも負けることは無いだろうと思った。
いまぼくがケイタの代わりにケンカをする気はこれっぽっちも無かったが、腹にたまっていく醜いかげ口を、やめさせるくらいにはむしゃくしゃしていた。
「はあ?......」
「じゃあまた、学校で。お菓子ありがとな」
「......はあ」
――また学校で――。
今日一日ぶんのストレスをこの言葉に込めて、部屋の扉を閉める。リビングに母がいるという状況もあってか、キヨは最後までよわよわしく「はあ」とすごんでいた。
〇
木造アパートの夜は眠りにくい。狭いからではない。壁が薄いからだ。
隣人の夫婦がひとたび喧嘩をはじめると、少なくとも30分は寝られない。
ふと、お姉さんが隣に住んでいたらいいのになと考えた。でも、本当の声は知りたくないような気もする。
敷地にはアパートが二棟、向かい合わせで建っている。
北側のアパートは二階建てで、奥から2つ目が小山内さんの部屋。その向かいのアパートも二階建てだが、部屋の中に階段はなく、1階と2階でそれぞれ別の家族が暮らしている。
その南側アパート1階の奥から3つ目が、ぼくたち家族の部屋だ。
――キヨと遊んで楽しかった――。
日記にそう書けなかった。
どうせ先生だって読みやしないとわかっていても、鉛筆が動かなかった。
『遊ぶことは楽しいこと』という小学生の正答を、知っていてわざと間違えたみたいでモヤモヤする。『楽しかった』と書かなかった理由をたずねられたら、どうしよう。
夫婦喧嘩は終わっていた。
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