Chapter1. 魔術師と改人2

 早朝はまだ父も寝ている。

 君英は割合朝早くに出勤するのだが、それよりも早く起きているメアリは、体操をしたりストレッチをする習慣を続けていた。

 顔を洗い歯も磨く。髪だって今日も完璧だ。


 メアリは明里と書いてメアリと読む自らの名前も、自分の頑固な側面や生真面目さすらも気に入っている。要するに自分が好きなのだ。

 人に名前を初見では正確に読まれない難点をそれは上回る。

 そして、今日はフレンチトーストを作る下準備を。その後は少しの時間で早朝の読書の余裕をという、計算されたスケジュールの徹底ぶり。

 また不思議なのは、いつもベッドに横たわり四六時中本に没頭する絵理より、規則正しい生活を心掛けるメアリが先に近眼気味で、読書時には眼鏡を常備している。


 しばらくすると君英が起きて来るので、朝食の準備に取りかかるのが日課だ。

 父親は当番制にしようと言うが、メアリは自分が好きで毎日楽しんでいる。

 その前に絵理の部屋に行く事は忘れないよう注意する。最近朝以外は、絵理への気配りを怠りがちな自覚があるのも一因。


「おはようございます、お父様。今朝も絵理を見て来ますね」

「ああ、おはよう明里。昨日、少しばかり絵理は眠れなかったみたいだね。夜中にトイレに起きた時、電気が付いていたよ」


 そう言い、君英は髭を剃りに洗面所に向かう。髪もこれから整えるようだ。

 何だか不穏な言葉を聞いたのに、その無防備な父親を家族だけが知っていて妙な優越感に浸ってしまう。だが、いつも通りメアリは冷静に眉も動かさず返事をする。


「そうですか。また調子崩してるのかな。とにかく起きてるか見に行きます」


 そそくさと絵理の部屋に行く。

 表情と裏腹に、急ぎ足でスリッパを履くのをもたつかせてしまう。

 はぁ、と悩ましい溜息を一人頬に手を当てては零し、心なしか二つ結びに主張する髪も気分同様垂れている感じ。


「――どうして、同じ姉妹でこうも違うのかしらね。地頭は絵理の方が上なのに」


 嫉妬するくらい本当は絵理が賢いのを知っている為に、メアリは絵理を世界の不条理から守りたい。ずっと妹に負けないように人の倍努力してきたのもその為だ。

 何の根拠もなく、いずれ固有魔術式にもたどり着く心積もりでいる。

 スリッパをパタパタさせ扉の前に立ち止まり、コンコンと軽く二回ノック。


「入るわよ、絵理」

「姉さん。どうぞ」


 キイッと軋む音がする扉を開けて、ゆっくり中に入るメアリ。

 絵理はどうやらまだベッドに寝ていて、今起き上がろうとしている。桃色に白い水玉模様のパジャマ姿のまま。ベッドの側の小台には、何冊か文庫本が積まれ、ノートパソコンもそこにあり、配線が綺麗に整理され伸びている。

 机にはいつも辞書や分厚い本が置かれているが、あれも恐らく体調がマシな時に読んでいるのだろう。こちらの台には電子辞書が。

 壁にはあまり解像度の良くないコピーでジャケットアートが規則的に貼ってある。

 イエス、ピクシーズ、ニック・ドレイク、アイアン・メイデン、ザ・プリティ・スィングズなどなど。あまり趣味に統一感があるとも思えない。


 ベッドに寝ている絵理を見て、メアリは暫し沈思する。体はすこぶる弱いのに絵理は一つしか違わないメアリよりも発育は随分いい。布団の下に体の輪郭は隠れて見えないのに。身長だって姉より大きいのだから。

 これも姉妹での不均衡な所。だが別に姉妹はそれを特段気にしていない。あまり見知った間では話題にも上らないほど。


「ああ、別に寝てていいわよ。昨日寝られなかったんだってね。怖い夢でも見た?」


 絵理を寝かせて毛布を整えると、額に手をやり、熱がないか確かめる。

 うん、そこまで高くはないな。微熱程度。


「夢は見た気がしますけど思い出せません。不思議な感覚は残ってるんですが」


 そっか、それはまぁ良かったのかな、とメアリは安堵する。寝不足気味なのは目元が怪しい所からも本当らしい。

 しばらくは休んでいるように言ってから、


「とりあえず朝食は持って来るけど、無理に食べなくてもいいから。無理はしないよう釘は刺しとくけど、自分の体の事は自分が一番知ってるでしょ」


 それを聞いてふふっと微笑む絵理。布団から顔だけ覗かせているのに、妙に弾んだ声で楽しそう。弱々しい声色でも、この子はいつも気持ちだけは強く振る舞う。

 それを何がそんなにおかしいのか、と詰問するように変な顔をして問うメアリ。

 こちらは見下ろす恰好となり、姉妹は顔を突き合わせる。


「いえ、姉さんはいつも優しいなぁって思ってたんです」


 ますます分からない、とメアリの表情は困惑で険しくなる。時々この子は、自分本位に勝手な解釈をする節があると思う。思い込みが強い妹なのだ。


「一応言っとくけど。私はアンタにちゃんと自己管理しなさいって言ってるの。突発的な不調は仕方ないけど、避けられる悪化なら極力避けろって言うのよ」


 くくっ、とくぐもった笑いが絵理から漏れる。まるで姉がそう返すのが前もって分かっていたみたいに。姉を信じている無邪気な笑みだ。


「ですからそれが姉さんの優しさなんです。冷静な観察力で誰にだって厳しい物言いはしますけど、姉さんって決して無理は言いませんから」


 ああ、そういう事か。きつく言うのは、他人への思いやりと解釈しているんだ。

 メアリはそんなつもりで言ったんじゃないが、この子ったら姉はいつだって何でも一番だと思う癖が昔からある。完璧な姉のストイシズムとでも言いたいのか。

 ふぅと腰に手を置き、仕方のない妹に「優しい姉」のままで強く言い放つ。


「とにかく休んでなさい。もうちょっと後から朝食は持って来てあげるから。先にお父様の分と自分の分を済ませてくるわ」


 少し不安そうに微笑んでいる絵理を見て、無言で部屋を出る。

 ああ、あの顔は少し落ち込んでるな、とメアリは独りごちた。

 あの子は弱ってる所をあまり他人に見られたくないみたいだ。辛い時期も家族に弱音を吐かない。そうして、一人で内に籠もり我慢する傾向にある。


 まぁ、今日は少し遅く出てもいいか。

 もう少し絵理の様子を見ておいてから大学には行きますか、とメアリは無理矢理キリリと凜々しい表情を、自分に気合いを入れて作る。


 外では不安や弱点は極力見せないでいるという方針は、姉のメアリとて同じ。

 自分の精神の脆さを知っているのは、師匠だけだな、とメアリは自嘲する。本当はナイーヴなのにそれを見せたくなくて外では強がっている。

 それを久生なら、強がりも強さの内だと言うかもしれない。

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