第五章 十七話 「快楽殺人者」

 戦い自体は敗北した。彼が率いるイガチ族の戦闘部隊は戦力の大多数を失い、敵陣から撤退しつつあった。しかし、チェスターは大いに満足していた。


 狗井を捕らえることに成功した……。その成果だけでもチェスターにとっては部隊を犠牲にしても、今回の奇襲を仕掛けた意義はあったのだった。


「止めろー!離せー!」


 重症を負い、武器を失っても抵抗を続けようとする敵将がイガチ族戦闘員に引きずられていく姿を満足げな笑みとともに見つめたチェスターは狗井を拉致している味方を援護するために、防衛線を立て直し始めた敵を牽制する銃口を敵陣に向けたのだったが、彼がその目に物懐かしさを感じさせる影を見つけたのはその瞬間だった。


(あいつは……)


 拉致されていく狗井に向かって、拳銃らしきものを構えている若い敵兵……。距離は三十メートルほどしか離れていないその姿、ズビエ人とは違う肌の色と戦場には不似合いな紺色のキャップ帽を被っているその姿に屈辱の覚えがあったチェスターは即座に記憶を辿り、そして思い出したのだった。


(カム族の陣地で俺の狙撃を邪魔した奴か……)


 数ヶ月前、彼の狙撃を偶然かはたまた天才的な感で察知して妨害した上、単身で突撃をかけてきた未熟な外国人兵士の存在を思い出したチェスターはその時の戦いの圧勝をせせら笑うと同時に手にしたROMATの銃口を三十メートル離れた地点で立ち竦んでいる青年の頭に向けた。


(今度こそ死んでもらう……!)


 勝利と敵の殺害に対する愉悦で頬を歪めたチェスターは次の瞬間、ROMATの引き金を引き切っていた。


 木製の固定式銃床を通してチェスターの肩に発射の反動を残した七.六二×五一ミリNATO弾は硝煙と戦火の中を飛翔すると、当初の狙い通り青年の頭蓋へと向かって一直線に突撃していったが、命中の直前に標的が動き出したことでその狙いは外れてしまった。


(おお……!連れ去られる戦友を助けるつもりだったのか……!この状況で……!)


 狙いの外れた弾丸が左肩に命中する瞬間、確かに標的が連れ去られる狗井に向かって走り出そうとしていたのを視認していたチェスターは湧き上がる興奮とともにROMATの銃口を下ろした。


(あいつは俺が殺る……!)


 以前出会った時と同じように理性や常識を越えて行動しようとした敵兵に殺害の欲求が芽生えたチェスターは銃弾に撃たれて倒れた際に姿が見えなくなった外国人兵士を追って、敵陣の方に向かおうとしたが、その腕を引っ張って止めるものがあった。それはチェスターが荷物運びに使っている少年兵だった。


 もうここは敵に制圧されつつある。その状況の中で敵陣に飛び込もうとするチェスターのことを止めようとする少年が目の前の快楽殺人者をどれほど大切に思っていたのかは分からない。だが、チェスターの右腕を両手で掴んで引き止めるその幼い目は真剣な眼差しを向けていた。


 死んで欲しくない……。


 幼きが故にどんな人間に対しても向けられる純真な感情だったのかもしれない。彼が守ろうとしているのは狂気に満ちた快楽殺人者であるのに少年の顔は真剣だった。


 しかし、舌打ちとともに腕を振り払われた少年に待っていたのはチェスターの温情でも感謝の念でも無かった。


「邪魔をするな!」


 そう怒鳴ったチェスターは振りほどいた右手でホルスターからベレッタM1934を引き抜くと、一瞬の迷いも無いまま、手にした小型拳銃を少年の頭に向けて発砲したのであった。


 民族のしきたりに強いられるまま兵士となるしか運命の余地が無かった幼き命に自分の死を自覚する時間があったかは分からない。ただ、信頼する者によって唐突に命を奪われた少年兵の体は銃撃を受けた瞬間、一瞬硬直すると、そのまま座り込むようにして、その場に倒れ伏したのであった。


 そんな少年の哀れな最期、そして自身の為したことの無慈悲さと残虐さをチェスターが省みることはなかった。彼の中にあるのはただ敵との闘争と殺人に対する興奮と欲求のみであった。


「待ってろ……。今、殺してやる……」


 傍らで死んだ少年兵の魂を一瞬の間も省みることなく走り出したチェスターは己の欲求のままにそれを阻害しようとする解放戦線兵士達を撃ち殺しながら敵陣へと突撃して行ったのであった。

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