第五章 十二話 「あの日、あの時、あの場所の記憶」
"お前は自らが最も忌避する罪を犯した。これから貴様がその罪を背負い、苦しみながら生きていく様を地獄の縁で見といてやろう"
トールキンの最期に残した言葉が聴覚に渦巻き、脳裏にはヘンベクタ要塞で自分が作り上げた死屍累々の地獄の光景が何度も蘇る中、幸哉は降り掛かる罪悪感と悔恨の念に耐えられず、嗚咽を漏らしながら、自分の過ちを振り返っていた。
(俺はどこで間違えた?何故、間違えた?)
トールキンを裁こうと思った時?カマルを助けようとプラの集落に踏み込んだ時?いや、そもそも兵士になろうと思ったことが間違いだったのか?
誰も入ってこない暗いテントの中で幸哉は内省し続けたが、答えは出なかった。
(俺はズビエに来るべきじゃなかった……。大切な人達に心配をかけてまで、こんなこと……)
ただ、その後悔にだけ辿り着いた幸哉はこの国にやってきてからの半年の間に自分の犯した過ちを次々と思い浮かべたのだった。
自分のわがままのためにズビエ行きに付き合い、命を落とした健二……、命の恩人を救うためだったとはいえ、自分が初めて殺めた若い兵士の死に顔……、サシケゼの廃村で銃殺した政府軍兵士の悔恨と改心……。
(全部、俺のせいだ……。俺が居なければ、皆不幸にならずに済んだ……)
多くの人間を犠牲にし、生き延びてきた自分に自責の念を感じると同時に幸哉は他人の命を巻き込んでまで図々しく生きてきた自分がこの国の何も変えられていないことにも気が付いて失望したのだった。
少年兵の存在も戦争の存在も彼がこの国に来る前から殆ど全く変わらずに今もズビエにあり続けている。
主張や理想だけは高らかに謳いながらも、奪った命や犠牲になった大切な存在の重さに比較して釣り合いのとれるような大きな事は何も成し遂げられていない自分に失望した幸哉は同時にこれからも自分のような取るに足らない小さな存在には何も達成することはできないということを思い知らされて絶望したのだった。
(俺に人を救うなんて最初からできなかったんだ……)
"弱い人達を救うために生きて……"
母が残した言葉の本当の意味を追いかけてやって来たこの国で自分は殺人しかしていないことを、この半年間に対する回想で思い知らされた幸哉は失望と絶望に打ちひしがれて泣き続けている内に溜まっていた心身の疲労に引きずられて、気付かぬ内に深い眠りの底についていたのだった。
☆
銀杏の香り、小風が肌を撫でる感触、全てが優しさに包まれた気配に幸哉は目を開けた。
そこは彼の故郷の国……、病弱な母を連れてよく行ったあの公園のベンチだった。
(俺は戻ったのか……)
場所だけでない。時間までもが幸せな過去にあった。幸哉が彼の全ての罪を犯す前に居た幸せだった場所、そこに幸哉の魂は戻ったのだった。
肺いっぱいに息を吸い込めば、心の中まで澄み渡るような空気が流れる中で紅葉の盛りを迎えた銀杏は黄金の木の葉を枝いっぱいに広げていた。
いつか見たことのある幸せな景色の中で幸哉が横を振り返ると、彼の一番救いたかった人が細い体を幸哉の隣に座らせていた。
(母さん……)
力強く地面に立つ銀杏の木を彼の隣で見上げる横顔に幸哉は思わず、胸の中で声を漏らした。
その声に答えるかのように彼の母は小さく痩せた顔を青年の方に向けると、静かに微笑んだのだった。
「母さん、俺は弱い人達を救えなかったよ……」
もう二度と会えないと思っていた人に再び出会えた喜びの中で幸哉は傷付いた自分の内心、求めた夢の果てにそれだけが残った絶望の感情を吐露したのだったが、彼の母は変わらず青年の隣で自分の息子に微笑み続けているだけだった。
「俺は人に迷惑を掛けて……、不甲斐ないままで……、それに人の命まで奪ってしまって……。それなのに……」
優しく微笑む母の幻影に内心の迷いと失望を独白し続けた青年は溢れ出る涙に前が見えなくなり、嗚咽で声を発することができなくなった。
そんな青年の肩を彼の母は優しく抱いた。
"それでも……"
不意に聞こえた母の声、集中していないと聞き逃してしまいそうなくらい小さく細い声に幸哉は涙に溺れた目を再び開いた。
"生きて……"
微笑んだ母の口がそう動いた瞬間、優しさに包まれた二人の場所に時間が流れ、銀杏の黄金の紅葉の向こうから陽光の眩い光が差し込んできた。
「生きてって、どうやって?俺は何を頼りに生きて行けば良いの?何を信じて、何のために生きれば良いの?」
問うた青年の声に母が答えることは無かった。ただ少し肌寒いあの日の風が吹き、紅葉の間から差し込んだ陽光の黄金色が視界いっぱいに広がって、母の姿を優しかった過去の記憶を埋め尽くすと、青年は眠りから目覚めたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます