第五章 六話 「裁きを下すのは」

「想像以上に上手くいったな」


「全くだ。モチミ族の奴ら、ガスの中で無様に命乞いしてやがったぜ」


 静寂に包まれたジャングルの中、幸哉は木陰に身を隠し、暴走しそうになる感情を何とか抑えながら、"彼ら"の会話を聞いていた。


 カマルが最期に残した言葉に従い、プラの集落を地獄へと変えた者達を追って、南へとジャングルの中を走った幸哉は村から八百メートルほど離れた場所で兵士らしき人影の一団とトラックを見つけたのだった。


 幸哉と同じくガスマスクに防護服を着込んだ兵士達は背中にハザードシンボルの危険標識が記されたガスタンクを背負っていた。彼らがプラの集落を襲った犯人であることは殆ど間違いなかったが、幸哉は兵士達の会話を盗み聞きする中で衝撃的な事実を突き付けられたのであった。


(もしかして、こいつらはダンウー族の兵士なのか?)


 てっきり襲撃は休戦協定を破った政府軍によるものだと思い込んでいた幸哉は自分の見つけた兵士達が同じ解放戦線に属するダンウー族の兵士であることを知り、友人の死に落ち込んでいた感情を覆すほどの衝撃と怒りに包まれることとなった。


 偵察任務のために武装は持って来ていた。このまま兵士達の目の前に飛び出してカマルの仇を討ちたい、と幸哉は切に願ったが、相手の人数は十人以上いた。多勢に無勢である現状に唇を噛みしめた幸哉は木陰に隠れたまま兵士の話を聞き続けた。


 解放戦線は決して一枚岩ではない……。所詮は価値観や宗教の異なる少数民族同士をエジンワというカリスマの下に無理やり束ねただけの組織であり、その内部での諍いも全く無い訳ではない。


 中でもダンウー族とモチミ族との対立は特に歴史が長く、溝も深いのだということをヘンベクタ要塞への交渉任務の際にジョニーから教えてもらったのを思い出した幸哉は不思議に納得した気分になった。


(だから、モチミ族の集落であるプラを襲ったのか……)


 同時にダンウー族の要塞の地下で見た化学兵器の存在を思い出した幸哉は今更、点と点が線で繋がった納得感を得て、後になっては全く意味のない後悔と怒りに苛まれたのだった。


「女はどうする?」


 親友を助けられなかった自分の無力感に悔恨と自責を感じていた幸哉は不意に聞こえてきたサンゴ語のその声に意識を引き戻されると、木陰の裏側から兵士達の方を覗いた。既に兵士達は装備ともどもトラックに乗り込んでいるようだった。


「捨てておけ」


 冷たく吐き捨てられた言葉とともに細いマネキンのような影がトラックの荷台から放り出されると、エンジンをかけた四輪駆動車はジャングルの中の山道を走り去って行った。


(彼女だ……!)


 トラックが視界から消え、周囲に兵士達の存在がないことを確かめた幸哉は地面に倒れた人影の方へと走った。


「大丈夫か!」


 衣服は破り捨てられ、殆ど裸同然の華奢な体に寄り添った幸哉は呼び掛けたが、反応は無かった。


「ツツ!ツツ!」


 既に脈のない彼女に幸哉は心肺蘇生を施しながら叫んだが、カマルの妻が答えることは永遠に無かった。


(そんな……、そんな、待ってくれ……)


 激しく暴行され、腫れ上がったツツの顔にはカートランドでカマルから見せられた写真の中に映っていた笑顔はなく、土色に変色した死に顔を見つめた幸哉は約束を果たせなかったことを受け入れられず、暫くの間、死体となった女に心肺蘇生を続けた。


 彼がようやく無駄な蘇生を止めたのは冷たい感触が手の上に触れて流れてきた時だった。


(涙……?)


 そう思ったが、ガスマスクを被った自分の涙が手に落ちる訳がないと思い、頭上を見上げた幸哉の視界には無数の雨粒が落ちてきて、ガスマスクのレンズを濡らし、曇らせたのだった。


 決して激しく降っている訳ではない。だが、強く大きな雨粒を継続的に落としてくる灰白色の空を暫く見上げていた幸哉はふと傍らで倒れている女を見やった。


 閉じることなく、見開いたツツの瞼の端に落ちた雨粒が頬を伝って流れていた。まるで理不尽な暴力に涙を流す暇も無かった彼女の代わりに涙を流しているかのように……。


(ごめん……)


 助けられなかった……。ツツの魂、そして自分に最期の願いを託した親友に胸の中で詫びた幸哉は開いたままのツツの目を閉じると、華奢な体を持ち上げて、プラの集落の方へと帰ろうとした。その時だった。


"誰が奴らを裁くんだ?"


 不意に聞こえた声に幸哉は小雨の降るジャングルを振り返った。


 勿論、誰も居ない。いや、誰も居ないなどということは幸哉には分かっていた。その声の主が自分自身であることも。


"誰が裁くんだ?"


 再び聞こえた声に幸哉は頭の中で自問した。


 エジンワが?狗井が?国が裁くのか?


 ふと頭の中に冷徹で巧妙なダンウー族の指揮官の姿が蘇り、幸哉は頭を横に振ったのだった。


(誰にも裁けない……)


 誰も同じ解放戦線所属の民族がプラの殺戮を行ったとは信じないだろうし、証拠もない。加えて、あのトールキンなら自分に罪が被らないように巧妙に立ち回るだろうと幸哉は瞬時に予想した。


(そして同じ悲劇が繰り返される……)


 幸哉はツツの小さな体を抱いたまま、雨の降りしきるジャングルの中で立ち尽くしていた。


(誰にも裁けない……)


 俺以外には……!


 幸か不幸か、青年は武器を持っていた。彼は既に決意していた。


(済まない。ここで待っていてくれ……)


 ジャングルの熱帯樹の脇に小さな穴を掘り、そこにツツの遺体を埋葬した幸哉は決意を胸に足を踏み出していた。


(俺が裁く……!)


 独善的であるかもしれないが、その時の彼には親友や犠牲となった多くの魂の無念を無視することはできなかったのであった。

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