第四章 十話 「慣れぬ殺生」

 死地とも呼べる突然の窮地を幸哉が自らの力で潜り抜けるのを目撃して信頼したのか、物資搬送任務から帰還した後のネルソンとジニーは任務前では考えられないほど、幸哉に親しく接してくれ、様々なことを青年に教えてくれた。敵は基本的に夜襲をかけてくることや歩兵の突撃がない昼間は迫撃砲やロケット砲による攻撃を撃ち込み続けてくることなどである。


「今日は例外だ。普段は攻撃機は当然のこと、地上部隊も南から襲ってくることはない」


 任務帰還後、狭いバンカーの中で支給された乾パンの袋を囲んで分け合いながら談笑する間、マレー兄弟は幸哉に要塞で生きるための多くの心得を教えてくれたが、それと同時に彼らは青年に日本という国について沢山のことを質問した。


 生まれた時から国に戦争があり、兵士となる運命しか残されていなかった彼らにとって、戦争も無く、人々が自分の生き方を自由に生きられる日本という国は新鮮であり、ある種の羨望を抱いている対象でもあった。そして、そんな豊かで平和な日本、理想郷のような国を離れて、幸哉がわざわざズビエにやってきた理由にも彼らは大いに興味があるようだった。


「確かに日本は平和で豊かな国です。でも、俺は……、俺にはあの国で生きていく意義を見出すことができませんでした……」


 唯一の肉親であった母の最期の言葉に触発され、亡き父を追ってズビエにやってきた事……、そしてこの国で自分が見い出した、人々に宿る生の輝きと自らの人生の生き甲斐……、幸哉がこの数ヶ月の間に起きた出来事を話している間、二人のレボ族の若者は真剣に青年の話を聞いていた。


「すまなかったな」


 幸哉が話を終えると、ジニーが詫びてきた。彼は幸哉が常に被っている帽子を大切にしている理由を知り、先程の自らの行動に深い自責を感じているようだった。


「いえ……」


 ジニーの真剣な表情に既にぶつけるべき怒りも無かった幸哉が静かに謝罪を受け入れると、ネルソンが二人の肩を同時に叩いた。


「まっ、これでお互いのことをよく知れたんだ。次に戦闘が起こっても背中を預けて戦うことができるな!」


 準備するぞ……、そう言って立ち上がったネルソンに続いて幸哉とジニーも起立すると、それぞれに与えられた役割を遂行する足を踏み出した。時刻は十七時、既に陽は傾き始めており、敵の迫撃砲攻撃も止まっていた。


(暗くなれば、歩兵による突撃が始まる……)


 そう覚悟した幸哉は不足している衛生品を手に入れるべく、補給所に向かう歩を踏み出したのであった。





 その夜、敵陣地からの激しい機銃掃射とともに政府軍の歩兵による突撃がかけられた。突撃といっても、要塞と敵陣地との間には百メートルに及ぶ地雷原があるため、敵の歩兵はそれらを解除しながら要塞からの機銃攻撃を伏せてやり過ごし、匍匐前進で前進してくる。


 明かりは時折打ち上げられる照明弾とマズルフラッシュの閃光しか無い暗闇の中、地雷原を越えて接近してくる歩兵を銃眼の狭い穴から見つけるのは決して容易なことではなかったが、幸哉は生来夜目が良かったようでバンカーに近付いてくる政府軍兵士を次々と撃ち倒していった。


「おお!やるじゃねぇか、新入り!すげぇぞ!」


 兄のネルソンがブローニングM2を掃射する隣で幸哉の戦果を確認していたジニーが青年を鼓舞するように叫びながら自動小銃を発砲したが、幸哉の心中は決して明るくはなかった。


 僅かな月光の光だけが差し込む暗闇の中で芋虫のように蠢く敵の匍匐前進……、その影に向かって銃弾を撃ち込んだ後、影が静止して動かなくなる瞬間、幸哉は確かな人の死を察知して胸の内が暗くなるのだった。


 自分が撃った政府軍兵士にも家族や兄弟がいる……。それがこんな危険な任務を与えられた挙げ句、愛する誰にも知られることなく、干からびた大地の上で死んでいく……。そして彼らのその命を奪ったのは紛れもなく自分だと再認識した時、幸哉は目の前が暗くなるような感覚に襲われるのであった。


(でも……、戦うしかない……!)


 仲間のため、自分の理想のため……!


 そう胸中に念じ、敵を銃撃し続ける幸哉の肩を叩いたジニーは恐らくは青年の心中に気付いていなかったのだろう。


「これ、使ってみろよ」


 そう言って、レボ族の若者は木製の長身銃を幸哉に手渡してきた。


「これは……」


 渡されたスコープ付きのライフルに困惑している幸哉の前でその扱い方、コッキングレバーの操作方法などを簡単に見せて教えたジニーは得意げな顔をして言った。


「モーゼルGew98、俺の爺ちゃんの銃だ。使ってみな」


 渡された狙撃銃に戸惑った幸哉だったが、今持っている五六式小銃より遥かに精度の優れる銃を断ることもできず、青年は細身で長身の銃身を銃眼の穴から出して構えると、スコープの中を覗き込んだ。


 暗視装置もついていない旧式のスコープでは暗闇の景色は全く変わらなかったが、僅かな光でも夜目のきく幸哉からすれぱ拡大された視界の中には地雷原を突破しようと接近してくる歩兵達は勿論、その三百メートル後方で機銃掃射の弾幕を張る政府軍の機銃手の姿も見えていた。


「それじゃあ、試しにあの機銃を狙ってみろ」


 戦闘の片手間で幸哉に指示を出すジニーは青年が既にスコープの中に捉えていた機銃のマズルフラッシュを示した。


(機銃の種類はヴィッカース重機関銃……、兵士の数は二人……)


 既にそこまで見通していた幸哉はしかし、拡大された視界の中で人を殺める重さに今になって気付き、再び目の前が暗くなるのを感じた。


(でも、やらないと……。やらないと……!)


 逃げようとする自分の心を叱咤した幸哉はスコープの十字線の交点を敵の機銃手の頭につけると、ゆっくりと息を吐き出した。風の影響も狙撃弾の弾道運動も知らない彼だったが、ただやるしかないという覚悟だけで引き金を引いたのだった。


 刹那、銃眼の狭い空間がマズルフラッシュの閃光でスパークし、想像以上に重たい反動が木製ストックを押して、幸哉の肩を叩いた。


 四秒ほどの沈黙の後、スコープの拡大された視界の中で機銃手が脳髄を散らして倒れたのを視認した幸哉は溜め息をつき、スコープから目を逸らした。そんな青年の内心のストレスなど知る由もなく、敵からの機銃掃射が止まったことに驚いたジニーは幸哉の肩を激励するように叩くと、狭いバンカーの中で騒ぎ立てた。


「おお!当たったんじゃないか!」


 歓喜したジニーは隣で重機関銃を黙々と掃射する兄の耳元でも叫んだ。


「すげぇぞ!三百メートル超えの狙撃だ!」


「何?そりゃ勲章もんだな!」


 二人とも幸哉を褒め称え、励まそうとして歓声を上げていたが、目の前で人の死を目にしたばかりの幸哉にはその賛辞を素直に受け取ることは出来なかった。


(俺には……、無理だ……)


 幸哉がそう思い、銃口から硝煙を昇らせるボルトアクションライフルを溜め息とともに傍らに置いた時だった。


「新入りか!衛生兵が必要だ!来てくれ!」


 背後のバンカーの入り口から叫びかけてきた声に幸哉とジニーが振り返ると、その視線の先には仲間の血を浴びたらしく戦闘服を赤黒く染めた解放戦線兵士の姿があった。


「よし!新しい勲章だ、幸哉!行って来い!」


 背中からかけられたジニーの激励の言葉を聞きながら、衛生用具の入ったバッグを手にした幸哉は助けを求める解放戦線の後に続いてバンカーを飛び出した。


(やっと人の命を奪うこと以外のことができる……)


 兵士としては生半可である証拠とも言える思考だったが、僅かに安堵した幸哉は仲間の後を追って掩体壕のトンネルの中を走ったのであった。

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