第四章 八話 「奪われた父の形見」
カートランド要塞は川幅五十メートルほどの河川を挟んで、南側を隣国との国境に直に接している。そのため南以外の三方面を完全に包囲しているズビエ政府軍も南方からは攻撃をしかけることができず、同時に要塞を防衛する解放戦線側は南の国境を越えて、協力体制にある隣国から物資と武器を要塞内に搬入していた。
幸哉が要塞に無事降り立つことが出来た翌日、彼を含んだ小隊に与えられた任務はその河川を挟んだ物資輸送の補助だった。
「ここで待てか……、本当にこんな人数必要なのかよ」
帰りの物資輸送にも使うボートに乗って、ジャングルの生い茂る対岸に渡った幸哉達だったが、分隊の大部分とともに岸での待機命令を下されたマレー兄弟の弟がぼやいた。物資を準備している隣国の輸送班はジャングルの少し奥で待機しているらしく、彼らと合流するため、カリ中尉は数人の部下を引き連れて、数分前にジャングルの中へと幸哉達を置いて分け入ってしまったのである。
「おい、お前。いつまでその変な帽子被ってんだ」
物資輸送を任された分隊の中に見知った顔がなく、一人心許なげに座っていた幸哉に機嫌の悪そうな様子のジニーが絡んできた。
「いや、はい……」
決して自分に良い印象を抱いていないであろうジニーの目を遠慮がちに見返した幸哉は謙った様子で返事した。しかし、ジニーの反応は容赦のないものだった。
「お前、カリ中尉を少年兵と見間違えたらしいな」
日本人は仕事ができないだけじゃなくて人の本質を見る目も無いのか、と続けたジニーの声は大きく、周囲の兵士達もその声に幸哉の方を振り向くと、ヒソヒソと仲間内同士で笑い合い始めた。
(いくら俺が新兵だからって調子に乗りやがって……)
ジニーの蔑む声と目に触発された反感に加え、周囲から小馬鹿にされた恥ずかしさより転じた憤怒で腸が煮えくり返った幸哉だったが、そんな幸哉の肩を落ち着かせるように隣に座っていたネルソンが叩いた。
「気にしなくて良い。こいつは新兵には厳しいんだ」
そう言って幸哉を宥め、場を丸めたネルソンだったが、その兄の言葉に座っていた倒木から立ち上がったジニーは反抗するように怒鳴った。
「ちげぇんだよ!俺はこいつの人間性が気に入らねぇんだよ!」
ジニーが自分の何に苛立っているのか、幸哉には全く分からず困惑するしかなかったが、そんな当惑する日本人青年の方へと怒れるレボ族の若者は迫ってきた。
「自分の国は平和だってんのに、わざわざ戦争するためだけに他人様の国にまで来やがって!」
激しい剣幕で捲し上げ、目の前まで迫ってきたジニーに幸哉は、
「いや、俺は決して戦争したい訳じゃ……」
と言って、自分がズビエに来た理由を説明しようとしたが、「うるせぇ!」と叫んだジニーの怒声に遮られてしまった。
同時にジニーが振り上げた右手に殴られると思った幸哉は瞬時に顔を両腕で覆い、目を閉じたが、殴打される感覚は何秒経っても襲ってこず、代わりに髪の毛の上から何かが取られる感覚が伝わってきた。
その瞬間、何が起こったのか理解した幸哉は両目を開けると、
「返せ!その帽子は!」
と叫んだが、幸哉から奪った紺色の帽子を片手に握ったジニーは既に川の縁まで走って行っており、嘲笑するような笑みで幸哉を挑発してきた。
「返して欲しけりゃ、自分の力で取ってみな!」
そう叫ぶと、ジニーは川の中に飛び込み、数秒の内に川の正中に浮かぶ中洲にまで逃げて行ってしまった。
「あーあ、取りに行かねぇと本当に返して貰えねぇぜ」
傍らで静かに様子を見守っていたネルソンが中洲の上から幸哉を挑発する弟の姿を微笑とともに見つめながら言ったが、父親の形見を奪われ、ぞんざいに扱われた時点で幸哉は本気だった。
(殴り飛ばしてやる……!)
相手はこれから同じバンカーを共有する仲間……、トラブルは避けたかったが、憤怒に後押しされた幸哉に自分自身を止めることはできなかった。
「準備運動ぐらいして行けよ……」
そう言ったネルソンの言葉も無視して幸哉は目の前の川に飛び込んでいた。彼は決して泳ぎが得意という訳ではない。加えて川の流れは外から見ていた以上に速かったが、今の彼には負けられない理由があった。
(絶対に……!)
最初は水流に流されていたが、すぐに要領を得た幸哉は二十メートルほどの距離を順調に泳いでいき、中洲まであと少しの位置まで泳ぎ着いたのだった。
(あの野郎、絶対に殴り倒して……)
普段は抱かない胸の憤怒に幸哉が水中で拳を握りしめた瞬間だった。鼓膜を遮る水音の向こうから喧騒のような人の叫び声と機械音のような轟音が微かに聞こえたのである。
(何だ……?)
そう思い、水面から顔を出した幸哉の目の前に迫ってきていたのは両翼に轟音を立てて回転するプロペラを備えた対不正規戦用軽攻撃機だった。
(プカラ!)
ヘンベクタ要塞で遭遇したのと同種の軽攻撃機が突然目の前に降って湧いた現状に殆ど何も理解できなかった幸哉だったが、このままでは不味いと訴える本能に従って水中に再び潜り込んだ。その瞬間であった。水面の向こう側に轟いた多数の破裂音とともに無数の機関砲弾が二列に並んで気泡とともに水中に突進してきたのであった。
運良く命中はしなかったものの、高エネルギーを帯びた機関砲弾の嵐が水中を掻き乱した乱流に全身の動きを封じられた幸哉は水深十メートルはある川底へと引きずり込まれた。
全身が上手く動かないのに加え、誤って口の中に入り込んできた水が肺の中に入り込んだものの蒸せ返すことも出来なかった幸哉は川底に背中を打ち付けた衝撃で意識が遠くなるのを感じると、そのまま深い眠りに落ちたのであった。
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