第三章 十一話 「固めた覚悟」

「武器を捨てろ!」


 叫んだ幸哉の手は震えていた。だが、トリガーにかけられた彼の人差し指にはいつでも自分の意志で引き金を引くことができる覚悟が宿っていた。


「武器を捨てろ……」


 突然、背後からホールドアップを命じられたことに驚いたのか、幸哉の最初の一言を聞くと同時に肩を大きく上下させた政府軍兵士は自分が武器を持っていないことを証明するかのように両腕を頭の上に上げた状態でゆっくりと腰を上げると、静かに幸哉の方を振り返った。


「動くなと言っている!」


 自動小銃を構えたまま、鬼の形相で叫んだ幸哉の怒声にピタリと動きを止めた政府軍兵士の男は焦燥したその顔に引きつった笑顔を浮かべると、両手を幸哉の方にゆっくりと突き出しながら、サンゴ語で何かを喋った。その言葉の意味を幸哉は理解できなかったが、男の表情や気配からして敵対心が無いことは幸哉にも察することができた。


(落ち着けと言っているのか……?いや、油断するな……!)


「動くなと言っているだろう!」


 再度、怒声を張り上げた幸哉の形相に自分の意志が伝わらなかったことを察したらしい政府軍兵士は血の気の引いた顔で何度も頷くと、前方に突き出していた両腕を力無く下ろして後退りした。


「両手を上げろ!」


 静寂の廃村に一定の間で響く幸哉の怒声、ホールドアップを命じられた政府軍兵士に抵抗しようとする気配はなく、青年はこのまま何事もなく相手を制圧できると思った。


「伏せろ!」


 無意識の恐怖感からか後退りしながら遠ざかろうとする政府軍兵士に幸哉は最後の命令を下した。周囲には立ち並ぶサバナ住居を始めとして遮蔽物が多く、このホールドアップから逃れて逃走することも不可能な状況ではなかったが、幸哉の目の前の政府軍兵士は大人しく青年の指示に従うと、両膝を地面の上についた。


(武器を持っているかもしれない……)


 万一の危険に備え、腰を低くした男の一挙手一投足に注意を払っていた幸哉は体を地面に這いつくばろうとした兵士が一瞬、右方向に視線をやったのを見逃さなかった。


 幸哉からして左側、政府軍兵士が一瞬脇見した三メートル先のサバナ住居の入り口にはバナナ型五十発弾倉を装填した自動小銃のベクターR4が立てかけられていた。


(まずい……!)


 目の前の兵士にだけ集中していたがため見逃していた危険に心臓が縮み上がりそうになった幸哉が眼前の地面に伏せる兵士に、「動くな!」ともう一度命じようとしたその時だった。這いつくばっていた政府軍兵士が地面に着けていた両手両足を一気に伸展させて飛び上がったのであった。


(甘かった……)


 まるでサシケゼの集落までの草原で目にしたヒョウの如く俊敏な動きで飛び上がった眼前の兵士の突然の挙動に自身の甘さを悔いた幸哉は逸していた視線を構えた自動小銃のアイアンサイトの先に急いで戻すと、目の前の兵士に狙いを定めたが、政府軍兵士が飛び出した方向は幸哉の方ではなかった。


 生命の危機に瀕した決死の力が可能にしたことか、肉食動物のそれと見紛うほどの俊敏な動きで飛び上がった政府軍兵士が飛び込んだのは彼の右側、三メートルほど離れた先に立つサバナ住居の入り口だった。


(しまった……!)


 目の前の敵が飛び込む先、サバナ住居の入り口に南ア製の自動小銃が立てかけられていたのを思い出した幸哉は一瞬の速度の差が生死を分ける駆け引きに身体の全ての筋肉と神経を総動員し、最速の動作で自動小銃を構えた。


 人間の潜在能力とはこれほどまでに恐ろしいものなのか……。


 今までで一番速く構えたにも関わらず、全く振れの生じなかった自動小銃の照準の先にスローモーション映像のようにゆっくりと映る政府軍兵士の横っ腹を捉えながら、幸哉はどこか冷静な心の中でそう思った。


 瞬時の判断が生死を分ける状況に相手も死力を尽くし、動物のような速度で動いているにも関わらず、幸哉には自動小銃に飛びつこうと宙空を飛んでいる政府軍兵士の姿はひどくゆっくりに見えた。


(敵の左胸の中にバスケットボールをイメージして撃つ……!)


 狗井から教わった確実な敵の射殺方法を驚くほど冷静な頭の中で反芻しながら、銃に飛びつこうとする政府軍兵士の側胸部に照準をつけた幸哉は確かにその瞬間決意した。


 撃たなければ自分が殺られる……。その状況にあったことは間違いなかったが、その瞬間の幸哉は以前に不可抗力に強いられるまま引き金を引いた未熟な青年とは明らかに別人だった。


 この手で殺す……。


 憎しみも恨みもない。ただ、兵士としてそうする……。自らの胸に固まった新たな覚悟に幸哉自身が心のどこかで驚きを感じた時、彼の指は既に引き金を引き切っており、漆黒の銃口からは閃光色のマズルフラッシュとともに高速回転する銃弾が吐き出されていた。


 鋭利な鉛の塊が肉を突き破る生々しい音が鼓膜を震わせた瞬間、硝煙を上げる銃口の向こうに見た光景に幸哉は己の覚悟と行動の重さを思い知らされることとなった。高速回転する運動力で血肉を抉りながら、体の中を突き進んで行った銃弾に口から紅血を吹き出した政府軍兵士は空中に飛び上がったままの状態で全身を奇妙な形に拗らせると、小銃が立て掛けられていた土壁に頭をぶつけるようにして地面に倒れ伏した。


 硝煙と血潮の香りを漂わせる真新しい血痕を飛び散らせた土壁に首から上だけをもたれ掛からせるようにして倒れた男はそのまま二度と動くことはなかった。


(死んだ……)


 覚悟を決めて引き金を引いたからなのか、それともこの数ヶ月の経験で自分の人間性が摩耗したのか……、初めて敵を撃ち殺した時のような後悔や衝撃は全くない胸の内を却って虚しく感じた幸哉は微動だにしないその身体の下から黒々とした血溜まりを拡げる政府軍兵士の死体に近付こうとしたところで、先程男が飛びつこうとしていた小銃の脇に黒い影が揺らめくのを視界の隅に見て、下ろしていた自動小銃を再度構えた。


(撃つな……!)


 再び最速の動きで構えた自動小銃の照準の先にあったものを見て、幸哉は教育通りに非常時以外は引き金に指を掛けていなかった自身を幸いに思った。


(トリガーに指を掛けていれば、撃つところだった……)


 安堵を感じながら嘆息をついた幸哉の視線の先、下ろされた銃口の先でサバナ住居の入り口から小さな顔を覗かせているのは幸哉がつい先程写真の中に見たのとよく似た幼児だった。


(でも、何故こんなところに?)


 幸哉が当然とも言える疑問を胸の中に抱いたのと、小屋の中から出てきた幼児が倒れた男の傍らに寄り添ったのは同時だった。


(もしかして……)


 この子はこの兵士の子供……?この兵士は銃を取ろうとしたのではなく、子供を守ろうとしただけ……?


 様々な憂慮が頭の中を駆け巡った幸哉は自身が取り返しのつかない過ちを犯してしまったのではないかと、沸き立つ不安に胸の中をかき乱されるのであった。

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