第二章 十二話 「起死回生の武器」

 残弾が少なくなったロケット弾ポッドは温存し、機首に装備した二門の二十ミリ機関砲と四挺の七.六二ミリ機関銃の掃射によって、ダンウー族地上部隊の殲滅を始めたプカラが上空を飛翔するのを睨みながら、幸哉はジャングルの中を山の麓に向かって疾駆した。


 今の自分は正気ではない……。


 あちこちで銃声が轟くジャングルの中を駆けながら、幸哉は何度もそう思い、足を止めそうになったが、その度に半身を失った少年の死に様が彼の脳裏に蘇り、理不尽と暴力に対する憤怒の炎が幸哉の足を動かし続けるのだった。


(あいつだけは生かして返さない……!)


 プロペラエンジンの轟音を響かせながら悠然と上空を飛び回る敵機に殺意を送りながら走り続けた幸哉は数分の疾走の後、ジャングルの一角に探し求めていたものを見つけた。解放戦線が持ち込んだ三両のショーランド軽装甲車の内、プカラの爆撃を逃れた最後の一両である。


 MANPADS(携対空ミサイル)を装甲車に置いて来ちまった……。


 洞窟の中に逃げ込む直前、ジョニーがそう叫んでいたのを覚えていた幸哉は起死回生の武器を求めて装甲車の方へと走った。


(あの中にミサイルがある……!)


 装甲車の数十メートル脇で植物の擬装を施したCJ-6ジープが荷台に搭載したSPG-9無反動砲を上空を飛翔するプカラに向かって発射する中、乗員が退避して無人と化した軽装甲車に運転席ドアから乗り込んだ幸哉は対空ミサイルが収納されているガンケースを探した。前部座席には運転席と助手席の間にガンラックが装備され、数挺のライフルが保管されていたが、ミサイルの入っているガンケースと思しきものは無い。幸哉は運転席の前から後部座席を覗いた。


(あった……!)


 長辺が一.五メートルほどある直方体のガンケースを見つけて、幸哉は微かに歓喜した。間をおかず、ケースの表面に記された白いプリント文字を確認する。9K32ストレラ-2……、幸哉が探していた携対空ミサイルの名称だ。


(間違いない……!これで殺れる……!)


 復讐の手段を得て心躍った幸哉が前部座席からリアシートのガンケースに手を伸ばそうとした時だった。装甲車の車体を震わす激震とともに鼓膜を破るような爆発音が薄い装甲板越しに響いてきた。それが先程、無反動砲を発射していたジープがプカラの機関砲弾を喰らって爆散した音だとまでは幸哉には分からなかったが、確実な死の足音が迫って来ていることだけは彼にも分かった。


(急がないと……!)


 焦燥しながら、ガンケースを引っ張り出そうとする幸哉だったが、狭い車内は動きにくい上、重量と大きさのある金属製ケースを前部座席からリアシートに身を乗り出して取り出すのは至難の技だった。四苦八苦している間にも、開けた運転席ドアの向こうから聴こえてくるプロペラエンジンの轟音は次第に大きくなっていく。


(やばい……!)


 自分の乗っている装甲車の存在が気付かれたことを直感で察知した幸哉は前部座席からケースを取ろうとするのは諦め、一旦車外に出ると、装甲車の後方に回った。ランドローバーをベースに開発されたショーランド軽装甲車には運転席と助手席以外に車体後部にも車内にアクセスできるドアがあった。そこからならガンケースを無理なく取り出すことができると幸哉は考えたのだったが、旋回して飛翔してくるプロペラエンジンの起動音は日本人青年が苦心している間にも大きくなる。


(間に合わない……!)


 本能が逃走を促し、心臓の鼓動が速まり高まる中、幸哉はミサイルを諦めて逃げることも考えたが、その度に半身を失った少年兵の姿が彼の脳裏に蘇った。


(絶対に俺の手で堕とす……!)


 プカラ自体は撃墜しなくても、残弾が無くなれば帰還する。安全な洞窟の中に退避していれば、攻撃はいつかは終わる。それを頭の中では理解していても、幸哉が逃げなかったのは復讐と憤怒の念が彼を駆り立てていたからだった。


 後部ドアを開いた幸哉は車内に上半身を突っ込むと、後部座席の上に積まれたガンケースの一端を両手で掴んだ。そのまま、車外に引きずり出そうとするが、ミサイルの重量と狭い車内の動きにくさがそれを邪魔する。その間にもジャングルの向こうから迫ってくる爆音は徐々に大きくなり、幸哉に攻撃機の急接近を確実に知らせてくれた。


「早く出ろ!」


 死に対する恐怖と緊張で震える両手で取っ手を握りしめたガンケースを幸哉は怒号とともに全力で引っ張った。その瞬間、車内の座席に引っ掛かっていたガンケースは抵抗が外れて、一気に車外へと飛び出したが、二十キロ近くある質量が突然、自分の体にのしかかってきた幸哉は思わず後ろ向きに倒れてしまった。


 荒れた地面に尻餅をついた幸哉の前で金属製のガンケースが音を立てて地面に落ち、衝撃でロックの外れたケースの中から携対空ミサイルの発射器がシーカー冷却用のバッテリーとともに飛び出す。幸哉は慌てて体勢を整え直そうとしたが、緊張で足がもつれて再び転倒してしまった。その間にもジャングルの木々の向こうから聞こえてくるプロペラエンジンの轟音は大きくなる。


(まずい……!)


 迫り来る死神の気配に幸哉が焦燥した瞬間だった。


「何してるんだ!早く起きろ!」


 背中にかけられた怒声とともに幸哉は何者かに体を後ろから引きずり起こされた。日本語でかけられた声に顔を見ずとも誰が自分を助けたのか幸哉は分かっていたが、振り返って確認すると思わず声を漏らしてしまった。


「狗井さん……!」


 退避した洞窟の奥で爆風をやり過ごした後、外の確認に出ようとした所で洞窟の外へと疾走する幸哉を目撃した狗井は平時とは違う日本人青年の異様な表情を怪訝に思って追いかけてきていたのだった。


「お前、これの使い方分からないだろ……?」


 ふらつく幸哉を立たせた狗井は傍らに転がる9K32ストレラ-2の発射機に目を転じて、呆れたような声を漏らした。確かに訓練で触ることはあっても、実際にMANPADSを撃ったことは幸哉には無かった。自分が何も考えず、復讐の念だけで動いていたことに今更ながら気づいた幸哉は僅かに冷静さを取り戻したが、それでも彼の心の中では憤怒の炎が燃え盛っていた。


「でも……、俺、あいつを……!」


 上空を睨んで呻いた幸哉の様子を見た狗井は溜め息をつくと、ストレラの発射機を担いだ。


「分かった!そっちのバッテリーを持て!走るぞ!」


 地面に転がったシーカー冷却用バッテリーを顎で指して走り出した狗井の背中を追って幸哉が走り出した瞬間、プロペラエンジンの轟音が一段と大きくなり、彼らの後方のジャングルの陰から機首を向けたプカラが飛び出してきた。


「伏せろ!」


 僅かに後ろを振り返ってそう叫んだ狗井の指示を聞くよりも先に幸哉は地面に前のめりに倒れていた。転倒に近い形で取った回避姿勢のままでジャングルの斜面を幸哉が転がった刹那、プカラのハードポイントより発射された五七ミリロケット弾がショーランド軽装甲車に直撃し、軽装甲の四輪駆動車を紅蓮の炎が包み込んだ。


「うわっ!」


 地面から突き上げてきた衝撃波とともに迫って来た熱気に幸哉は思わず悲鳴を上げながら、急斜面の上を二十メートルほど転がった。最後は斜面に突き出た熱帯樹の切り株に背中を打ち付けた幸哉だったが、胃から飛び出してきた吐瀉物を口から撒き散らしながらも頭上を見上げると、視線の先を悠然と飛行するプカラの機影を睨みつけた。


(絶対に逃がすものか……!)


「幸哉、バッテリーをセットしろ!」


 背中を強打した衝撃で朦朧とする意識の向こう側から聞こえてきた声に振り向いた幸哉の数メートル脇では狗井がストレラの発射機を抱えて、プカラの機影に目標を合わせた照準機を覗き込んでいた。


(俺は仇を討たないといけない……!)


 体は全身が痛み、平衡感覚は破綻しかけていたが、ミサイルを構えた狗井の姿を目視した瞬間、幸哉は足元に転がったバッテリーを拾い上げると、もつれる足を必死で動かして狗井の方へと駆けた。


「そこだ!そこにそいつをはめ込むんだ!」


 遠ざかっていたプカラが旋回を終え、再度の攻撃態勢に入ったのか、頭上に轟くプロペラエンジンの起動音が再び大きくなる中、幸哉は狗井の指示する通り、シーカー冷却用のバッテリーを発射筒先端下部、グリップの前部に装着した。


「後ろは大丈夫か!」


「クリアです!」


 敵機に焦点を合わせた照準機を覗き込んだまま叫んで問うた狗井に幸哉は発射機の後方を確認すると、後方噴射を遮る遮蔽物や味方の人員が無いことを確認して叫び返した。その瞬間にはプロペラエンジンの轟音を響かせる敵機の機影はジャングルの木々の上に確認できるほど、二人に接近していた。


(殺される……!)


 機首をこちらに向けたプカラが二十ミリ機関砲の砲口に発砲の閃光を生じさせるのを目にした幸哉の背筋に死の恐怖に煽られた悪寒が走った瞬間だった。


「耳塞いどけ!」


 いつの間に敵機をロックオンしたのか、狗井が怒声を張り上げた瞬間、細長い円筒状の発射機の後端から高温の白煙が噴き出され、耳をつんざく破裂音が幸哉の鼓膜を震わせた。


 パッシブ赤外線ホーミング方式……、弾頭の赤外線シーカーが標的航空機の生じる熱を感知し、その排気熱を追跡して撃墜する携対空ミサイルの本体が発射機の先端より飛び出して、秒速四百三十メートルの高速で標的のプカラへの飛翔していく瞬間を幸哉はスローモーションの映像のように目視した。発射機から射出された直後、細長い円柱状の本体後部から方向微調整用のフィンを展開し、後端のロケット・モーターを点火したミサイルが正面から接近するのを目視で確認したプカラのパイロットは先刻、ミストラルを回避した際と同じように機体を上昇に転じさせると、最大戦速で太陽へと向かって回避運動を取ったが、その戦略で追撃をかわすには攻撃機はミサイルに接近し過ぎていた。


 僅か八百メートル、速度差は秒速にして三百メートルの二つの飛翔体の距離は数秒の内に縮まり、一つの影として重なった。その瞬間、上空に轟いていたプロペラエンジンの起動音が綺麗に消え、白雲を浮かべる青天にもう一つの太陽が生じた。


「やった……」


 遅れて届いた爆発音を聞きながら、上空に華開いた黒煙の粉塵の影からプカラの残骸が四散するのを双眼鏡で確認した狗井が声を漏らした。その傍らで同じく上空に生じた黒雲を見上げる幸哉の表情は虚ろだった。多くの人間を屠り、凄惨な地獄を創り上げた敵攻撃機、その余りにも呆気ない最期に先程まで抱いていた憎悪と憤怒がその矛先を失い、唐突に虚無的な感情に襲われた日本人青年はその後も暫くの間、呆然とした表情で上空を見上げ続けたのだった。

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