第一章 十一話 「魂の声に従って」

 狙撃が失敗した。引き金を引く瞬間まで照準の中にあった標的が銃弾の直撃する直前で身を伏せたのである。いや、厳密には標的の傍らにいた敵の傭兵が標的を伏せさせたのだが、チェスターは自身の狙撃が気取られた理由を考えるよりも先にL42のコッキングレバーを操作し、次弾を薬室に装填していた。


 チャンスがある限り、諦めない。彼がローデシアSASに所属していた時代に叩き込まれた信条の一つだったが、狙撃に関しては一発目を外せば、二度目のチャンスは無かった。チェスターは素早く照準をつけ直し、即座に引き金を引いたが、不十分な照準のために僅かに弾道の逸れた狙撃弾は標的ではなく、標的を庇おうとしていた護衛の後頭部に命中した。再びコッキングレバーを操作して次弾装填、三発目を間髪入れずに射撃したが、標的は既に障害物の裏に身を隠した後だった。


 絶対に外すはずの無い好機を逃した……、圧倒的優位な条件で敗北した……。


 射撃中から三発目の排莢を終えるまでチェスターは悪態すら発さず無言だったが、その横顔から立ち昇る殺意の気配に傍らの少年はチェスターが抱いている屈辱と憤怒の念をひしひしと感じていた。


 下手な事を言うと自分が殺られる……、本能的にそう察知し、無言で空薬莢を拾い集めた少年が木の陰に立て掛けていた銃器と無線機を背負い、狙撃地点を離れようとした時だった。


「あいつだ……」


 狙撃から初めて口に出したチェスターの声に少年は思わず振り返った。その視線の先でローデシア人傭兵は狙撃体勢を取ったまま、ライフルスコープの中を見つめていたが、その頬には先程までの無表情とは打って変わって、不気味な笑みが浮かべられていた。日頃、表情を表に出すことのない傭兵が何を目にして、そんな笑顔を浮かべているのか幼き好奇心から興味を抱いた少年はすかさず片手に持ったスポッターを構えて覗いた。


 二人の撤退を援護するための砲撃が雨あられと撃ち込まれる敵陣地の中を数秒の間、概観した少年はスポッターの拡大された視界の中に傍らの傭兵が見ているであろう人影を見つけた。降り注ぐ砲弾に身を伏せつつ右往左往する人影の中で一人だけ微動だにせず、直立したままでこちらを見つめている細身の男。軍服姿に身を包み、肩にはスリングで自動小銃を携帯したその男はしかし、頭の上には戦場に不似合いな濃青色のキャップ帽を被っていた。


「あいつが将軍に俺達の存在を知らせたんだ。だが、スコープも無しでどうやって気づいた?」


 独り言なのかそうでないのか少年には分からなかったが、そう言ったチェスターの顔は満足気に歪んでおり、声はひどく愉快そうだった。


「おっ!走り出したぞ!」


 普段は指令以外、言葉を発することのない冷酷な傭兵が子供のようなはしゃいだ声をあげ、少年は思わずスポッターの中の情景をもう一度凝視した。拡大された視界の中には先程まで突っ立っているだけだったキャップ帽の男がこちらを時折睨みながら走ってくる姿があった。


「面白い……。ここに来るか……」


 チェスターには男を狙撃することもできた。だが、彼はそうはせず、ライフルスコープを覗く顔を笑みで歪ませた。


 彼はあの男と対決したがっている……、少年が瞬時に察したと同時に命令を出すべく振り返ったチェスターの表情は普段と同じ能面を取り戻していた。


「お前は先に撤退しろ。仲間達と合流するんだ」


 スナイパーライフルを手渡した代わりに愛銃のROMATを少年から受け取ったチェスターは有無を言わせぬ声で命じた。


 あの変人を待ち受ける理由を問いたかったが、命令に従わねば殺されることが分かっている少年はただ無言で頷くと、無線機と銃器を背負ってその場を後にしたが、普段とは明らかに異なる傭兵の様子に撤退中、何度も背後を振り返ってしまうのだった。





 何故、そんな行動に出たのか彼自身も分からない。分からないが、我に返った時には幸哉は既に砲弾の降り注ぐカム族の陣地を出て、向かいの山のジャングルに足を踏み入れていた。


 狙撃の直前、確かに感じた強い殺意のうねり……、それに向かって彼が駆け出した理由は本能的な何かだった。


(あの殺意の根源は弱い人達を容赦なく蹂躙するものだ……)


 理屈などない本能で察知した確信に突き動かされて、ここまで来た幸哉だったが、冷静になり後ろを振り返ってみると、味方が一人も居ないことに気づき、突然の心細さに襲われた。


(俺一人で何ができる……?今すぐ戻れ!)


 心の一部がそう警告する一方、


(ここで戻ってどうする!俺は何の為にこの国に来た?大切な人を心配させ、親友を危険に晒してまで……)


 魂の根幹が幸哉にそう問いかけるのだった。恐怖で両足が震えつつも、今度こそミスしないように五六式自動小銃の安全装置を外した幸哉が従ったのは後者の声だった。


(心配するな。狗井さん達はすぐに来る……)


 今にも逃げ出しそうな自分にそう言い聞かせた幸哉は未知の敵に向かって、新たな一歩をジャングルの中に踏み出すのだった。

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