第一章 四話 「敵の内情」

 幸哉達がソルロの街から十キロ離れたカム族の軍事拠点に向かって移動を開始し始めた時、首都ジークに所在する政府官邸の一室では国家戦略部門大臣のマハマドゥを最高位にして、経済省大臣のタンジャ、外務大臣のハマ・ダ・パトリアが自分達を招集した国王の到着を緊張した面持ちで待っていた。普段は閣僚達の会議に使う広い部屋の中で、長机を前にして座った彼ら三人の間に殺気立ったような緊張感が流れているのは、単に彼らがこれから国の最高指導者と面会するためだけではなかった。


「なぁ、兄貴。また、叱責かな?」


 招集の時間まで後数分。部屋への唯一の入り口である両開き扉の向こうに人の気配のないことを確かめたタンジャが左隣に座るマハマドゥに心許なげに問うた。細身の体にグレーのスーツを着込んだ彼の声は微かに震えていた。タンジャの右隣に座る、眼鏡をかけた外務大臣も小太りの体を二人の方に傾け、マハマドゥに問う視線を向けた。


「叱責たって……。俺達、何もミスしてねぇぞ」


 経済省大臣の問いに怪訝そうな表情をして向き直ったマハマドゥは六十代という年齢のために皺の多い顔に、更に皺を寄せて答えた。


「でも、兄貴がセイニに命令してやらせたNPO殺し……。あれ、国外からかなり叩かれてるらしいですぜ」


 タンジャの言葉にマハマドゥが反応するより先に、外務大臣のハマが張り詰めた表情で続けた。


「うちの省にも昨日から、近隣諸国からの確認の連絡が引っ切り無しにかかっています。虐殺だなんてバレたら、俺達全員あの世行きですよ」


 ハマが己の首を斬るような仕草をして言った言葉に、ようやく事態の重さを悟ったマハマドゥは焦りを言葉にするかのようにして言い返した。


「でも、解放戦線を支援するNPOを敵対組織に認定するって言ったのは国王だろ?」


「それにしても、やり方ってのがあっただろう?兄貴のミスで俺達も叱責されるのはゴメンだぜ……」


 抗議するタンジャとハマの目線にマハマドゥが、


「何だよ、お前達……、俺だけが悪いみたいに言いやがって……」


と歯切れ悪く言い返し、三人の間に気まずい沈黙が流れて、数秒が経った時だった。


「遅くなってすまなかったな」


 低い嗄れた声とともに会議室の両開き扉が開き、三人の待機していた部屋に一人の老人が入ってきた。三人の政治幹部達は勢い良く立ち上がり、直立不動の姿勢で礼をした。彼らの視線の先で悠然と会議室に入ってきた老齢のこの男こそ、ズビエの最高指導者であり、フラニ族の国王である男、ヤシン・エンボリだった。


「お元気そうで何よりです!」


 直立不動の例で挨拶した三人だったが、会議室の中に入ってきたのはエンボリだけではなかった。国王の後に続き、老齢の政治幹部に見下すような視線を送りながら、部屋の中に入ってきたのは、まだ三十代半ばほどであろう年齢の若い政治顧問だった。


 "アドバイザー"……、それが男の名前だった。本名は誰も知らない。国王のエンボリですら、"アドバイザー"の呼称でしか名前を決して呼ばない若年の政治顧問はエンボリが席に着くと同時に、手にしていた書類を国王に手渡した。再び席に着いた三人の政治幹部達が固唾を呑んで見守る中、暫くの間、手元の書類を読み進めていたエンボリは突然片手を上げ、


「マハマドゥ」


と三人の幹部の中で一番近くに座る国家戦略部門大臣の名前を呼んだ。


「は、はい……」


 NPO虐殺の件を咎められると思ったマハマドゥの返事は硬かった。しかし、国王の口から次に出た言葉はその事件とは全く関係のないことだった。


「カートランド攻略の準備、順調に進んでいるようだな」


 肩透かしを食らったマハマドゥは一瞬、何を問われたか分からないという風に目を瞬かせたが、すぐに状況を理解すると、


「はい……、あそこは解放戦線の要所ですから……。いずれはメネべ陥落に繋がる重要な戦闘になると心得て準備しております……」


と辿々しく答えた。


「南東部のダイヤモンド鉱山の採掘状況は良好なようだな」


「ゾミカとは去年よりは友好な関係を結べそうか、外務省はよく働いてくれとるな……」


 その後も三十分に渡って、エンボリは三人の政治幹部達と話を続けたが、国王は彼らの懸念事項を問うことなく、逆に三人の働きぶりを褒めるだけで、遂に書類の入ったファイルを閉じた。表情に出すことはなくても、マハマドゥ達は安堵に胸を撫で下ろした。それまで会議室に張り詰めていた緊張感が一気に解けてなくなる……、そうなりそうだった時だった。


「だが……」


 微かに表情の緩んでいた三人の部下をエンボリは睨みつけた。その眼力の強さ、七十歳を超えても衰えない計略家の怒りを視線に感じたマハマドゥ達が本能的な恐怖を感じた瞬間、彼らの座っていた机が大きく揺れた。エンボリが拳を叩きつけたのだった。


「貴様らはこの国を潰すつもりか!」


 何のことを言われているのか心当たりはあったものの、怒声を上げたエンボリの表情の凄みに気圧されたマハマドゥ達が冷や汗をかいて固まる中、若い男の淡々とした声が会議室の中に響いた。


「NPO虐殺の件、あなた方の命令ですよね?非公式ながら、近隣国だけでなく、ヨーロッパ各国からも非難の声明が届いています」


 今日、この場で初めて口を開いた"アドバイザー"の声だった。自分よりも半分しか年のない政治顧問に対し、内心では憤怒と反抗感を抱きつつも、マハマドゥは俯いたままだった。


「国際問題にでも発展したら、どう責任を取るお積もりですか?」


 表面上では敬語を使っていても、"アドバイザー"に三人に対する敬意など微塵もなかった。寧ろ侮蔑に満ちた声にようやく顔を上げた外務大臣のハマが恐る恐るながらも意見した。


「こ、今回の件は解放戦線がやったという事で……、その、あの……、我々は全く関係していないと声明を出されてみては如何でしょうか?」


 エンボリに対して発言した外務大臣だったが、国王よりも先に"アドバイザー"にその意見を一蹴された。


「解放戦線が自分達を支援するNPOを虐殺した……、そんなことを世界が信じると本当にお思いですか?」


 冷静に考えれば、子供でも分かる指摘にハマは再び俯き沈黙してしまった。再び暗い沈黙が会議室に流れ、そのまま誰も発言しない状況が永遠に続くのではないかと思われた暫しの後、最初に口を開いたのはマハマドゥ達でも"アドバイザー"でもなく、エンボリだった。


「まぁ、良かろう」


 先程の激怒からは想像もできないほど、上機嫌な笑顔と明るい声でそう言った国王の方を三人の政治幹部達は半べそをかいたような表情で振り返った。


「実はな、この"アドバイザー"がな。お前達の尻拭いを既にしてくれとるんだ」


 そう満面の笑みで言ったエンボリが"アドバイザー"の方を一瞥すると、その視線を受けた忠実な政治顧問は明朝に解放戦線の補給列車を強襲した件を三人に説明し始めた。当初の計画通り、列車は敵対するソルロの街で爆発。破壊工作の証拠はないため、カム族も解放戦線も爆発を脱線事故だと思っていること。そしてその結果として、解放戦線内の結束は乱され、彼らの信頼と自信は完全に失墜したことを"アドバイザー"は淡々と説明した。


「という訳だ。お前らの失態は既に彼が取り返してくれている。お前達が心配することは何もない」


 自分達の想像を遥かに超える"アドバイザー"の計略の先鋭さと冷酷さに言葉を失っている三人の政治幹部達にエンボリは取ってつけたよう笑顔で不自然に温かい言葉を送った。


「帰って良いぞ」


 呆気に取られて一瞬の間、何を言われたのか分からなかったマハマドゥ達だったが、国王の言葉を理解すると、即座に帰る準備を整え、一礼だけ残して部屋を出ようとした。その時だった。


「国王は大変寛大です。ですが……」


 三人はその声に部屋の扉の前で足を止めた。そんなマハマドゥ達を振り返り、侮蔑の視線を送った"アドバイザー"は低い声で続けた。


「私は国王ほど、寛容ではありません……」


 その言葉にマハマドゥ達が返答することは無かった。ただ、そそくさと部屋から出ていった三人を見送った会議室にはエンボリと"アドバイザー"だけが残されたのだった。

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