第百五話 夜明け(完結)

至蘭しらん


 二十四白にじゅうしはくの一である白喜はくきのことをそう呼ぶのはこの大陸の全土を探しても文輝ぶんきだけだろう。

 呼ばれた白喜は嬉しそうにくるくると表情を変えている。

 それを見た白瑛びゃくえいが大きな溜め息を吐いた。


「――それでございますよ。小戴しょうたい殿」

「何のことだ、信梨しんり殿」

「あなたは白喜にしゅをかけたのですね?」

「えっ?」

「『至蘭』とはすなわち『しらん』という音を持ち――『知らん』という無の状態からあなたが名付けた――というよりは読み替えたのです」


 ですから、あなたがその命を終えるまで白喜はあなたのことを特別に感じるのでしょう。

 言って白瑛は白喜に命じる。


「白喜。その危なっかしくて無謀な方が無事この国に戻って来るまでお傍にいなさい」

「あなたなんかに言われなくても。首夏しゅかが行くところなら、わたしはどこへでも行くに決まっているでしょう?」


 そのあまりにも完璧な反語に文輝は束の間硬直する。硬直して「えっ?」などと間抜けな声を上げるのが精一杯の文輝に、眉尻を下げた白喜が尋ねる。


「首夏、わたしが一緒だと嫌かな?」

「えっ? あぁ、うん、別に、嫌じゃねえ、けど」

「やったぁ! じゃあ行こう! 一緒に、その人の国まで行こう!」

「では俺も随行しよう。青東国せいとうこくなど訪れる手立てもないと思われていたからな。興味深い」

「――あー! もう! 好きにしてくれ!」


 文輝の意見など差し挟む余地もないほど、最初からこの策の着地点は決まっていたのだろう。

 子公しこうの掌の上で踊っていたかと思うと滑稽さも感じたが、そもそも、彼と一緒にいてそうでなかったことの方が珍しいのだから、悩むだけ無駄だと判じる。

 その間にも文輝の訪問の段取りが進められていく。


「それで? 龍は何体必要なのだ。馬鹿ものと――赤虎せっこ殿は猫、白喜殿は雪栗鼠ゆきりすの姿で同乗されるのか」

「では龍は二体で十分、ということでございましょう」

「了解した。おい、文輝」


 子公の声が不意に文輝を捉える。

 出立は明日の午後となったらしい。子公の乗ってきた龍が一日かけて青東国から迎えの龍を寄越すという。龍――神龍しんりゅうの一族ではなく、そういった名称の種族があるそうだ――の背に乗る、というのはどんな悪夢だ、と文輝は眩暈がする思いだったが、西白国さいはくこくでは誰も乗ったことのない生きものを見られるというのはそれなりに冒険心をくすぐられた。

 国主である伶世れいせいは打ち合わせを終えた白瑛と共に奥の間に消えた。

 この場に残っているのは文輝と共に青東国を訪れる顔ぶれだけだ。


「何だよ、子公」

「貴様は私に問うたな? 『誰の為の歯車になりたいのか』と」


 飾り立てられ、見たこともないほど豪奢になった子公の姿の中に一片の曇りもない紫紺が輝いている。

 その中央に、文輝がいた。

 残り少なくなった松明が軽い音を立てて爆ぜる。

 何を言いたいのだろう。何を言われるのだろう。身構えながら文輝は紫紺と対峙する。


「ああ、言った」

「故国は私が不在にした間も健在していた。健在して、いたのだ」

「子公。俺のことを馬鹿だって思うならもう少し言い方を考えろ」


 彼の言い分は回りくどく、何が言いたいのかはっきりと伝わってこない。

 子公は子公で苦虫を噛み潰したかのように苦い顔をしているし、このまま話が進んでも不毛だという予感があったから口を挟んだ。更に苦い顔で子公が「最後まで聞け、馬鹿もの」と文輝を制止する。


「私という歯車が抜け落ちても青東国は在ったのだ。故国を棄てたいとまではもう思わんが、私がおらずともあの国は回っていくだろう。そして」

「そして?」

「貴様には私が必要なのだろう? 私が抜け落ちて、帰ってきたのを見たとき、一番安堵した顔を見せたのが貴様だ、文輝」


 だから、貴様の思う理想の為に今しばらく働いてみることにした。感謝しろ。

 言い切ると子公は決まり悪そうに踵を返して、朝議ちょうぎの間の奥へと消える。

 残されたのは白喜と華軍だけで、その二人もまた不器用な子公の言い分にそれぞれの表情で苦笑していた。


「華軍殿。今日、一番情熱的な言葉が今聞こえたのですが」

小戴しょうたお。お前、やはり感性が狂っているのではないか?」

「そうかも、しれません」


 肯定するな、馬鹿もの。笑って華軍が文輝の背を叩く。

 そうして、華軍は猫の姿に戻った。


「小戴。朝飯を食べに行くぞ」

「――はい、華軍殿」


 空の端に光点が見える。沢陽口たくようこう城郭まちのそのまた向こうに聳え立つ内輪山ないりんざんの峰を越えて冬の遅い陽が昇る。その白々とした明るさの中、文輝は王府おうふを後にして暮らしなれた中城へと戻る。

 陽黎門ようれいもんの守衛たちに詫びながら手型を残してやらなければならない。始末書も何枚か書かなければならならないだろうが、それは明日の午後までに期日を伸ばしてもらうしかなかった。

 守衛の二人に挨拶をして、陽黎門をもう一度潜ったら。

 そうしたら、城下にあるたい家の屋敷に戻ってたらふく飯を食おう。

 夜が――明ける。

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「如風伝」それは、風のように2 稲瀬 @hatzhow

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