第百三話 国主の陳情

 お前の為に何をしてやれるのか、と言葉を飲み込む。溢れ出る涙を拭うことすらせずに、伶世れいせい文輝ぶんきをじっと見つめていた。その双眸の真摯さに次の句が継げない。戸惑う文輝を構うことなく伶世は陳情を続けた。


「文輝殿。文輝殿が皇子おうじとお話するのに分不相応だとおっしゃる方がいます。中城ちゅうじょうの中でも王府おうふの中でも本当にたくさんの方が、あなたのことを軽んじます。私はそれが一番許せないのです。文輝殿は確かに兵としても将としても官としても中途半端な存在です」

「――それは、婉曲に俺を否定してねえか?」

「いいえ。事実です」


 そうきっぱりと言い切られるというのも中々複雑な思いになる。そうか、中途半端か。指摘されて、やはり自分は二人の兄のようには生きられないのだと、やっと諦められるような気がした。抱きかかえた伶世の向こうで白瑛びゃくえいが「国主こくしゅ殿は存外残酷であられますね」と満足げに笑う。華軍かぐんが「言うようになったな、伶世」と結い上げられた伶世の髪を撫でる。誰も文輝の才の在りようについて否定してくれないのが、何だか切なさを誘う。皆、腹の中ではそう思っていた、ということだ。悲哀に満ちた表情を浮かべると遠くで子公しこうが泣きそうになりながらも笑っている。お前もか、子公。完全なる負け戦に文輝はいっそ退官しようかとすら考えた。

 そんなことを知らない伶世が畳みかけるように言葉を結ぶ。


「ですから。私の夫となっていただきたいのです」

「――は?」

「家柄にも人格にも申し分ありません。九品きゅうほんたい家の三男である御身なら家格として決して劣ることはないでしょう。品行方正とまでは申し上げませんが、素行にも問題ないことは典礼官てんれいかんたちが調べあげてくれる筈です。そうなれば――」

「待った! 待った! 何だ、その――唐突にどうして婚姻の話になるんだ」


 国主となった伶世ならば誰でも喜んで夫となってくれるだろう。次の国主の父親になることを望むものは多い筈だ。まして、伶世のこの儚げな美貌を見ていると守ってやりたいと庇護欲を掻き立てない筈がない。釣書つりがきの上でも文輝を上回る相手など、それこそ星の数ほどいる。どうして、自分なのだ、と困惑した。


「私の夫であれば王配おうはいということになります。柯皇子は青東国せいとうこくの第一皇位継承者。西白国さいはくこくの王配が交流を持つのに十分相応しいのではございませんか?」

「その為にお前を利用しろ――と?」

「勿論、私にも打算はございます」


 第一に伶世は男性と言葉を交わすのがあまり得意ではない。その点、文輝であれば既に友好的な関係を築いている。今更、怖がらねばならない要素がなかった。

 第二に毎日毎日釣書を見るのにはもううんざりしている。この年が終わるまでには配偶者を決めろ、とせっつかれているが政務上、調印するだけでも時間に追われている。恋愛の駆け引きなどをしている余裕はどこにもなかった。

 第三に――


「伶世。お前、どれだけ結婚したくなかったんだよ」

「おかしなことをお聞きになるのですね。文輝殿も似たような境遇でしょう?」

「俺は――まだそういう歳じゃねえっていうか」

「年が明ければ文輝殿も二十三の歳を迎える筈。二十三で妻帯していない貴族など、廃棄物もいいところでございますよ」


 でなければ不能か変態の烙印を押されても文句は言えない。それとも、誰か好いた相手でもいるのか。確信を突いた伶世の指摘に、朝議ちょうぎの間にいた全員が噴出した。

 思い出せば似たようなことを沢陽口たくようこうの任に赴く前に口にして子公を揶揄った記憶がある。


「文輝、貴様、不能か」

「ちっげーよ! なんでそうなるんだ」


 左の座所から出て、面白くてならないと言った顔で子公が笑う。

 かと思えば左腕で華軍に抱き寄せられて、伶世と共に二人で抱え込まれる。


「そうかそうか。残念だったな、小戴しょうたい。子種がないのであればこの大任はお前には重すぎる」

「華軍殿! 俺だって子ぐらい成せます!」

「ならば応えて差し上げればよろしいのでは? 国主こくしゅ殿は契約的な婚姻でもよい、と仰っておられるようにわたくしには聞こえますが」


 揶揄いの声が止まない。

 もう穴でも掘って頭から埋まってしまいたいほどの羞恥に襲われるが、朝議の間というのはこういう他愛もない冗談が充満していてもいい場所だったのだろうか。そんなことを束の間考える。


信梨しんり殿まで! もう! 俺は――」

「わかっています。文輝殿は『暮春ぼしゅん殿』を想っておられるのでしょう?」

「なっ! なんでそうなるんだ!」


 顔を真っ赤にして、解放してくれない華軍の腕の中で「違う! 俺は母上のような女性と婚姻したかっただけだ!」と吼えるとようやく首を絞めつける力が緩んだ。


「幼い夢でございますね、小戴殿」

「尚更、早々に母親からは親離れしろ。そんな調子では婚姻など望むべくもない」

「小戴。そういう意味では伶世は中々適任だぞ」

「文輝殿、私では不適格でしょうか?」


 畳みかけるようにそれぞれの言葉が降ってくる。その誰一人、文輝のことも伶世のことも否定しないことに何か、胸の奥で明かりのようなものが灯った気がした。


「伶世。よく考えろ。本当に俺でいいのか?」

はい。勿論。この世界で私を私として見てくださるのは文輝殿お一人でしょうから」

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