第八十二話 雪栗鼠の神像

 だから。


文輝ぶんき、よく覚えておけ。ただ人に聞こえぬ音を聞く耳は『神龍しんりゅうの一族』の特権だ」

「そりゃ、どういう――」

「この国で言えば『才子さいし』と呼ばれているもののことだ。神龍の一族――白帝はくていの血が流れている。神代では然程珍しくもなかったが現代においては稀にしか発現しない。才子というのは神の庇護を受けているというよりは――先祖返りという表現が適しているだろう」


 赤虎せっこ殿も生まれを辿っていくと遥か昔のどこかの先祖に白龍の一族と交配したものがいる、ということだ。

 言いながらも子公しこうは地面に何かを探している。


「そして、この国は音によるしゅを選んだ」

「――読替よみかえのことか」

「そうだ。音は耳で聞く。光のように瞼で遮ることは決して出来ない。強制的に『聞こえてしまう』のが音と言う媒体の特徴だ」


 その音に意味を与え、異なる文字に封じて人を蝕んでいるのが読替だ、と子公は言う。


「本質が見えないのにその言葉を口にするだけで呪が発動するとはな。白帝もよく考えたものだ」


 私たちもそうすればよかった。小さな小さな、あまりにも小さなひと言を聞き逃しそうになって、それでも何とか拾えたのも子公の言う「神龍の一族」の特権なのだとしたら、そのことについては感謝してもいい、と思えた。

 ただ。

 その告解を精査する時間などどこにもなくて、文輝ぶんきもまた土砂の中から白喜はくきの神像を探す作業に入る。

 土砂は山肌を抉っている。あまりにも広大な範囲の探索で文輝たちは自然、距離を取った。

 雨は今もなお降り続いている。崩れた斜面の表層は定まることがなく、何度も何度も足を取られた。

 どのぐらいそれを続けたのか、わからないぐらい辺りは暗く時間の経過すら定かではない。

 足が滑って顔から土砂に突っ込むことも何度もあった。

 指先は泥で汚れ、本来の指の形からすれば何倍もの大きさに膨れ上がっている。

 その土くれを何度も何度も剥がしては投げ捨てて、文輝は一心に泥を掻き分けた。


至蘭しらん! どこだ――どこにいるんだ」


 教えてくれ。祈るように願って叫ぶ。その声すら雨音にかき消される中、不意に土鈴の音が妙にはっきりと聞こえた。

 りん、と鳴る。鳴っているのが土鈴だと気付く頃には文輝は斜面を大きく下っていた。山肌と山肌がぶつかる渓流――だっただろう場所から音が鳴っている。近づけば近づくほど、土砂を掘れば掘るほど土鈴の音は明瞭になった。爪が欠けるのも、土砂で顔が汚れるのも全て忘れて文輝は必死に土を掘る。

 そうして。


「――至蘭、お前、こんなとこにいたのか」


 どろどろの土の中で、一片の汚れもなく雪栗鼠ゆきりすの神像が眠っていた。

 凛、と音が高く鳴るのが至蘭からの返答だと思った。文輝なら探し出してくれると思った、だなんて言われたわけでもないのに胸の奥が熱くなる。そのまま周囲の土を更にかき分けて神像を完全に出土する。文輝の頭ほどしかない神像を抱え、今、安全な場所へ連れ帰ってやるからな、と安堵していると不意に多雨が豪雨に変わる。

 それと気付いたときには既に遅かった。

 地鳴りがして文輝の背をゆうに超す土砂崩れが襲い掛かる。

 ただ名が視えるだけの、土鈴の音が聞こえるだけの人である文輝にはそれから逃れる術がなく、刀匠から譲り受けた盾を身構えるだけで精一杯だった。

 神器じんぎなのだから多雨の怪異に対しても効果を発揮してくれればいい、と遠く祈りながら文輝と文輝の抱えた雪栗鼠の神像は土砂に呑み込まれた。

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