第四十四話 黒茶と米茶

「この大馬鹿ものが」


 そういうことはもっと感情を割り切ってから言え。

 言った子公しこうの紫紺は強さと鋭さの中に同じぐらい慈しみを伴っていた。知っている。子公というのはそういう男だ。果断に言葉を切って捨てる。弱みを見せれば傷口に塩を塗り込むどころか小刀でより切開する勢いで責め立ててくるような男だ。それでも、文輝ぶんきは知っている。子公の一見、冷酷で残忍に見える言葉の裏側には、いつだって期待と労りが隠れていることを、文輝はずっと前から知っている。


「お前ほどじゃねえよ」

「それで? 後悔はしないのだな? 感傷に流されるのであれば私は貴様を見捨てるが良いな?」

「おう。それは、承知してる」


 文輝の器では全てを円満に解決することは出来ない。それは十分理解している。

 だから、文輝が感情論に流されて実利を見誤ることがあれば、そのときは国益を損しているも同義だ。見捨ててもらって構わない。そう返答すると子公の双眸がすっと伏せられて、再び開かれる。

 そして。


「では泣き言に付き合っている時間が惜しい。白瑛びゃくえい委哉いさい。貴様たちがこの期に及んでまだ隠している情報があるのはわかっているが、初校尉しょこうい殿が共闘を所望している。この際、それについては目を瞑ってやろう」

「そうだね、子公殿。そちらも全てを白日の下に曝したいわけではないだろう? お互い様というやつじゃないかな」

「わたくしも、天に誓って、などとは申しませんが、語るべきときが来ればそのときにはお話しするとお約束いたします」


 白瑛殿、で、あなた、だ。その訂正をもう一度繰り返しそうになって、文輝は気付いた。敏い子公が文輝の話の要点に気付かない筈がない。つまり、子公は「承知の上で」無礼を繰り返している。何の為に、だなんて聞かなくてもわかる。文輝もそこまで愚かではない。

 溜息を吐いた。

 そうだ。全てを知らなくても、人は生きていける。全てが真実でなくとも、人は生きていける。それでも人はいつだって真実の向こう側に誠実さを推し量ろうとする。その結果で、人は人に価値を付ける。

 そうだ。人というのはそういう生きものだ。文輝も勿論例外ではない。

 だから。


「委哉、この湯屋には黒茶こくちゃはねえのか」


 白瑛が真実だけを語ったわけではないのもわかっているし、委哉たちもまた食事以外の目的を持っているのも何となくは理解している。

 それでも。

 人に信じてほしいのなら、まず自分が相手を信じなければ始まらない。

 自らを疑っている相手のことを信じてくれるだなんて夢物語はないのだから。

 不満があってもある程度までは耐える。小さなことならなおさら耐える。

 それでも、文輝はもう一つ知っている。

 小さな我がままを行使するとき、人は相手に自らが信頼されていることを薄っすらと感じる。

 些細なことだが、お互いに歩み寄る余地があると教えてくれることを知っている。

 だから、文輝は正面に座る委哉に向けて飲み物の注文をした。

 委哉が文輝の意を受けて穏やかに微笑む。


「おや、小戴殿? 米茶まいちゃは気に入らなかったのかな?」

「何だ? 米?」

「そう。米茶。小戴殿は味の濃いものの方がお好きのようだね」

「まぁ、岐崔ぎさいで生まれ育てばそうなるだろ」


 怪異の区画では一般的な西白国さいはくこくの料理が提供された。

 西白国では肉料理を中心とした味付けの濃い品目が一般的だ。肉料理の味付けに負けないように、と副菜も大抵は濃いめの味付けになっている。茶ですら黒茶のように苦みと渋みが強く、西白国に来たばかりの頃、子公に食べられるものは殆どなかった。そんな冗談のような本当の話を思い出して雑談を振ると全員が乗ってくる。


「信じられん。貴様らには繊細な味付けという概念がないというのが実に信じられん」

「他所の国に来ててめえの国の味が自慢してえなら勝手に菜館しょくどうでもやってろ」


 冗談に冗談を重ね、お互いが一歩ずつ歩み寄りを示した。

 大陸の守護者である白帝はくていの代弁者。白帝が排斥しようとした異教の神々。そして、通力など持たず、世の流れに身を委ねるしかない人間。こんな雑多で、滅茶苦茶な関係など多分、この機を逃せば二度と成立しないだろう。

 だから。

 文輝は自らの発した言葉が転がっていく先を見つめながら、この城郭のより良い明日の姿を思い描いていた。

 今日もまた暮れない夜がやってきてときだけが過ぎるだろう。それでも、多分。何かが変わる。まだそう信じながら、文輝はこの文化が混在する場所で戦うことを決めた。

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