第十四話 着陸許可

「安心しろ。あの手の怪異がそうそう日常に転がってるわけじゃねえさ」

「貴様は動じておらんようだが?」

石華矢薙せっかやなぎを見るのは正真正銘、初めてだ。けど、怪異を一度も見ることなく大人になる、なんていうのは主上しゅじょうであっても難しいだろうな」

首府しゅふにも怪異はあるのか」

「一番可能性が高いのは『時忘れの華』だろうな」


 怪異というのは概ね名が体を示す。時忘れの華、というのは人畜無害な怪異でただ時季外れに花を咲かせる。天然の樹木の狂い咲きとの線引きが困難で、ともすればただの自然現象だと見過ごすことすらある。西白国さいはくこくにおける怪異、というのは概ねそのような存在だ。

 中空を大鷲はゆっくりと進む。風切鳥ふうせつちょうはその性質から、飛行出来る高度が才子さいしの力量によって決まっていた。文輝ぶんきたちを載せた大鷲は人が呼吸出来る空域の最も高い場所を飛んでいる。今、子公しこうの双眸には沢陽口たくようこう城郭まちの全容が見えているだろう。


「この城郭は狭いように見えるが存外広いのだな」

「まぁ、ある意味じゃここも城下の一部だからな。あまりに狭くっちゃ無用な混乱が起きるだろ」

「地を歩いているときはそうは感じなかったがな」

「そりゃお前、便利なところで寝起きしてたんだろ。官吏ですらこの城郭の隅から隅まで歩くような酔狂はいねえさ」


 暗黙裡に他者の立ち入りを拒んだ区画。真っ当に生きていれば立ち寄ることのない場所がこの城郭には幾つもある。それでも、その区画でも生きている民は存在して、城郭の一部として子公の目に映っていた。普通に生きていればそれを知ることもない。無意識下で排斥された区画、だなんて西白国さいはくこくでは珍しくも何ともないことをそれでも文輝は知っていた。


「差別のない国だ、と聞いていた」

「奇遇だな。俺もお前の国をそういう風に聞いてる」

「貴様は本当に期待に副う男だ。『私の国』は貴様の愛してやまないこの国だとどうしても聞きたいように見える」

「そういうわけじゃねえさ」


 ただ、文輝はこの四年で知ってしまった。

 理想を謳ったこの国にも差別や偏見や身分の上下や敬遠が確実に存在していて、文輝は生まれながらに天に愛された存在であったことを知ってしまった。

 多分、子公も文輝と同じ側の人間だろう。立ち居振る舞い、言葉の選び方、物ごとの考え方や捉え方が彼の生まれの良さを如実に物語る。誠実であることは大国であれば美徳の一つなのだということを子公の存在が裏打ちした。大国であれば人の心は豊かに育まれるが、日々の生計に困るような小国で理想を唱えてもただ野垂れ死んで終わりだ。

 理想を抱いている。人々が皆幸福で祝福される国を描いている。それだけで十分に文輝は子公という人間の美徳を感じられた。


「人と人を比べりゃ上下が出来る。上下がありゃあ当然感情が起伏する。人を妬まずに生きろってのはずっと地べたを這って生きろってのと大して差がねえんだろうよ」

「羨望が向上心を生み、それが国を生かすと言わんばかりだな」

「上を見りゃあきりがねえ。下を見りゃあ安心する。人の世の真理の一つだ」


 見下したその「下」になることを恐れて人は我武者羅に前進しようとする。その感情を利用しているのが国家だ、という言い方も出来る。前進を失った国は緩やかに滅びの道を進んでいるのと同義だ。安定は決して悪ではないが、善でもない。ただ、留まっている状態が安寧かどうか、文輝はその答えを未だ知らない。

 文輝はあの日、安寧の岐崔ぎさいと別離した。

 それ以来、文輝の目には差別と憎悪と羨望と欺瞞が矛盾なく映っている。人の持つ負の感情が人を走らせることもあると知って、文輝はただ善であるということの罪悪を知った気がした。


「それで? 貴様は何を妬んで生きている」

「そうさなぁ。多分、俺が妬んでる相手とはもう一生顔を合わすこともねえだろう」

「記憶の中で美化された過去を妬む、か。実に貴様らしい感傷だ」


 思い出の向こうに別離した旧友。一生に一人しかいない、親友で同輩。なのに文輝は彼女と対等であることすら出来なかった。

 その苦い記憶が時を経るごとに美しく輝いて文輝を責め立てる。

 感傷でない、などと大言壮語するほどには文輝はもう幼くはなかった。

 子公の言葉をそっと受け入れて、一生涯消えることのない憧憬を抱いて、そうして文輝もまた足元の城郭を見下ろす。市街を越え、突堤と湖水の青が大きくなってきた。

 もうそろそろ地上に戻る時間だろう。そのことに思い至ったらしい子公が鳥の背から問う。


「それで? この鳥はどこに向かわせている」

「――着陸許可を取ってねえのを今思い出した」

「――は?」

「だから! 風切鳥の着陸には! 府庁やくしょの許可が要るんだが! 俺は! 誰にも! 申請してねえんだ!」


 気笛きてきを使用するに際して取り決められた律令の諸々を思い出す。まじないの一つをただ人が行使するにあたり、役所は煩雑な手続きを定めた。でなければまじないは乱用され、結局のところ人々の暮らしを脅かす存在にしかならない。そうなれば才子は再び敬遠され、不要な差別を生む。互いが互いを尊重し合う為に、律令の存在は必要不可欠だった。

 ただ。

 文輝は風切鳥を使うとしても、まだ未来の出来ごとだと認識していたから何の手続きも取っていない。

 となると、当然着陸地点の確保も許可もない。

 そのことを若干の申し訳なさも感じながら子公に申告すると彼は大きなおおきな溜息を吐いて、心底呆れたように文輝を罵倒した。


「馬鹿か貴様は」


 どうするのだ。降りられないでは洒落にもならないぞ。言外に含まれたそこまでを聞き取って、文輝は大鷲の脚をぐいと引っ張った。

 市街に降りることは出来ない。風切鳥の圧で住居を損壊させる可能性があった。広さで言えば府庁の中庭が最も適しているだろうと判じたが、そこに着陸すると事情聴取と始末書で向こう三日は拘束されるだろう。であれば、何の為に気笛を使ったのかがわからなくなる。

 最適解として一つの答えが文輝の脳裏に浮かんだ。

 最も問題が少ない方法だ。ただ、子公が文輝の案に同意してくれるとは限らない。

 それでも、風切鳥はどこかに着陸させなければならないのだから、文輝は腹を括った。


「子公、青東国せいとうこくは水の国だったよな」

「そうだが?」

「お前も泳げると思って――っていうか信じて着水する」

「ああ、そうだな。時候的にも問題ない。そうせよ――などと言うと思ったのかこの大馬鹿もの」


 右服うふくは着たまま泳げる構造にはなっていない。そんな苦情が頭上で幾つも綴られるのを聞きながら、腹を括った文輝は風切鳥の高度を下げ始めた。眼下の城郭が少しずつ大きくなる。


「選択権とかねえんだよ。行くぞ。十数えたら着水する。十、九――」


 八、七。そうしてきっかり零の瞬間に文輝と子公を載せた大鷲は湖水に溶けて消えた。

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